
今井悠介氏の著書『体験格差』(講談社現代新書)は、子どもたちの「学力格差」や「所得格差」といった可視化しやすい指標ではなく、「どのような体験ができるか」という目に見えにくい格差に焦点を当てた一冊です。
今井氏は、そもそも「体験」という言葉自体が非常に広範な意味を持ち、明確な定義が難しいことを認めたうえで、調査と議論を進めるための暫定的な枠組みを以下のように示しています。
「一口に『体験』と言っても、その潜在的な範囲はとても広く、明確な境界線を定めることはできない。だが、そうであるからこそ、『体験格差』についての調査や考察を進めるうえでは、試行的にでも何らかの範囲を設定することが必要になってくる。
そこで、本書やその元になった全国調査では、主に子どもたちが放課後に通う習い事やクラブ活動、週末・長期休みに参加するキャンプや旅行、お祭りなど地域での様々な行事、スポーツ観戦や芸術鑑賞、博物館や動物園といった社会教育施設でのアクティビティなどを『体験』として定めた。」
このように、あくまで調査の現実的な設計のために「学校外の活動」に限定するという立場をとっていることがわかります。また、今井氏は本書の目的についても、次のように述べています。
「本書が今の日本社会における『体験格差』の現実を認識し、その解消に向けた議論を深め、必要な変革を起こしていくための土台の一つとなることを願っている。」
この「土台」を築くために、今井氏は独自に全国調査を実施しています。その調査方法と留意点について、以下のように説明されています。
「本調査は、2022年10月12日から10月14日の期間に実施し、インターネットモニターを利用したWEBアンケートにより行った。調査対象者は全国の小学校1年生から6年生の子どもがいる世帯の保護者とし、有効回答数は2097件である。」
さらに、体験の定義と範囲については以下のように述べられています。
「本調査における『体験』の範囲は、学校外で行うものに絞り、学校で行う体育や音楽、図工などの授業、修学旅行や文化祭などはここに含まない。また、日常の中で行われる友人、きょうだい間の遊びやお手伝いなどの生活体験も本調査においては対象外とした。」
そして、調査時期の社会的背景についても次のような注意が付されています。
「本調査における『直近1年間』は2021年11月~2022年10月までの1年間を指している。同期間は新型コロナウイルス感染症が5類感染症に移行する前の段階であり、社会全体が外出の自粛要請等、コロナ禍の影響を受けていた時期と重なるため、家庭の経済状況等にかかわらず、全体として子どもの体験機会が少ない結果となっている可能性がある。」
このように、調査はあくまでも限定された条件の中で行われており、その結果をどう受け止めるかには注意が必要です。
まず、調査方法がWEBアンケートであるため、インターネット環境のある家庭や、情報リテラシーの高い層に回答者が偏る可能性があります。これは、体験格差の実態を全国レベルで正確に反映しているとは限らないことを示しています。
また、「体験」の範囲を「学校外」に限定しているため、学校内での活動や、家庭での遊びやお手伝いといった日常的な体験が調査からは除外されています。こうした体験の中には、非認知能力や社会性を育てる重要な契機が多く含まれており、それらを含めない形での「格差」の議論には、一定の限界があると言えるでしょう。
さらに、調査期間がコロナ禍と重なっていたことにも注意が必要です。この時期は、家庭の経済状況にかかわらず、多くの子どもたちの体験機会が制限されていたと考えられます。したがって、調査結果が描く「体験格差」の実態は、平時に比べて差異が縮まっている可能性すらあります。
こうした事情を踏まえると、この調査結果を一面的に評価するのではなく、冷静に受け止めることが大切だと感じます。調査結果を過大に評価して「すべての子どもが体験不足に陥っている」と断定するのも、逆に「そこまで深刻ではない」と軽視するのも、いずれも適切ではないでしょう。
むしろ重要なのは、今井氏が示した調査枠組みを「一つの出発点」として受け止め、そこからさらに具体的な実践や政策提言、より広範な調査へとつなげていくことだと思います。体験格差の問題は、単に調査数値だけで語り尽くせるものではなく、地域、家庭、学校、そして社会全体で支え合いながら長期的に向き合っていくべき課題です。
第1部 体験格差の実態━━「体験」は子どもの未来をかたちづくるか
なぜ「体験」が重要なのか
今井氏は、体験には「その場の楽しさ」と「将来への影響」という二重の価値があると述べています。
「体験格差とは、今を生きる子どもたちにとっての楽しさや充実感の問題でもあり、将来の人生の広がりに関わるより長期的な問題でもある。」
体験には、単なる娯楽にとどまらない学びが含まれており、社会性や感情のコントロールといった非認知能力の育成にもつながるとされています。これは、私自身が提案した「小・中学生のための体験活動マップ」の趣旨とも響き合う視点です。
もちろん、「楽しい体験」だけが価値を持つわけではありません。早起き、感想文、兄弟げんか、植物の世話━━こうした日常の営みも含めて、子どもは体験を通じて世界を理解し、適応する力を身につけていきます。
初の「体験格差」全国調査とその特徴
今井氏は、体験格差の全国調査を行い、以下のような点を重視したと述べています。
- 小学生の保護者を対象とした全国調査
- 放課後の習い事や休日のレジャーなど「33項目」に及ぶ具体的体験を定義
- 相対的貧困層を意識した設計
とりわけ注目すべきは、「体験」を「放課後」と「休日」に分類し(表1)、それぞれに「遊び」と「学び」の要素があるとした点です。この分類は、学習指導要領に基づく体験活動分類(筆者作成)(「子供たち(小・中学生)のための体験活動━━学習指導要領をもとにした体験活動マップの提案」)とも共鳴します。
ただし、ここで対象とされた体験は、お金のかかる習い事やお出かけなどが中心です。体験一般を包括するわけではなく、経済的要因が色濃く反映される活動に焦点が当たっています。

(出典:今井悠介『体験格差』(講談社現代新書))
「体験ゼロ」の子どもたち
調査では、「放課後の体験」も「休日の体験」も一つも行っていない、いわば「体験ゼロ」の子どもが15%にのぼることが示されました。年収300万円未満の家庭では29.9%と、高年収層(11.3%)の約2.6倍です。
「『体験ゼロ』とは、直近1年間で、調査項目に含まれる学校外の体験が『一つもない』ことを意味する。」
この数字は衝撃的ですが、「体験ゼロ」の定義には注意が必要です。無料・有料問わず調査項目外の体験(読書、家庭学習、地域の遊びなど)は含まれていません。
また「2.6倍の格差」という表現よりも、「年収600万円以上は88.7%、300万円未満は70.1%」といった18.6ポイントの開きの方が実感に即して理解しやすいでしょう。

(出典:今井悠介『体験格差』(講談社現代新書))
「体験」は贅沢品なのか?
今井氏は、体験を「贅沢品」ではなく「必需品」と捉えるべきだと主張します。
「こうした家庭に生まれた子どもたちにとって、様々な『体験』の機会は、得られなくても仕方ない『贅沢品』だろうか。そうであるべきではない、『必需品』であって然るべきだと私は思う。」
一方で、「必需品」と断定するには慎重さも必要です。体験の種類や目的は多様であり、「できれば得たいもの」として位置づけたほうが現実的かもしれません。
「放課後」にも「休日」にも格差
調査は、「放課後の体験」と「休日の体験」について、それぞれ年収別に参加率と費用を分析しています。
- 放課後の習い事(スポーツ・文化):月謝や道具代を含む年間支出額は8万円以上
- 休日の体験(キャンプ・旅行など):自然体験でも3万円弱、文化的体験では2万円以下

(出典:今井悠介『体験格差』(講談社現代新書))
人気の水泳やピアノは、年収によって参加率に2倍以上の差が出ています。しかし、武道や造形活動などでは、年収が低い層の参加率が高い場合もあり、年収だけで一概には語れないかもしれません。


(出典:今井悠介『体験格差』(講談社現代新書))
さらに、共働き世帯では「送迎・付き添い」が障壁になるなど、時間的制約も無視できません。
「『経済的理由』が56.3%、『時間的理由』が51.5%・・・共働きの家庭はもちろんのこと、ひとり親家庭で習い事への送り迎えや付き添いなどがより困難であることは想像に難くない。」

(出典:今井悠介『体験格差』(講談社現代新書))
「子ども目線」の落とし穴
今井氏は、放課後の時間を「子ども目線」で再考する必要があると主張します。
「子どもたち一人ひとりに合った形で、一人ひとりが望む形で、放課後の時間を過ごすことができるべきだろう。」
これは理想的な視点ではありますが、子ども自身の価値観は大人の影響を大きく受けています。子どもの短期的な希望と長期的な成長とのバランスを見極め、大人の経験から導く道筋も必要です。
「休日」体験の格差━━自然・旅行・地域行事
休日の体験に関しても、年収による差は顕著です。
- 自然体験:600万円以上の家庭39.7%、300万円未満の家庭23.1%(1.7倍)
- 旅行・観光:42.8% vs 23.2%(約2倍)
- 地域の行事・イベント:小さな格差(1.3倍)が見られる



(出典:今井悠介『体験格差』(講談社現代新書))
「山や海は基本的に誰にでも開かれている。だが、現実的には家庭の状況の違いが、子どもたち一人ひとりがどんな『体験』をするかに大きく関係している。」
自然との距離ではなく、「お金」と「親の体力・時間・情報」が影響しています。とくに母子家庭では、登山やキャンプに不安を感じるケースもあり、参加への心理的障壁も見逃せません。
数字の奥にある「体験」の意味
体験格差は、「格差」という言葉がもつ衝撃性のゆえに、時に誇張されて見える側面もあります。しかし、今回の調査で明らかになったのは、放課後や休日における有償体験が、家庭の年収によって大きく左右されているという現実です。
ただし、体験にはお金のかからないものも多く存在します。そうした選択肢や工夫、地域や学校による支援、そして子ども一人ひとりの背景に応じた多様な学びの場が大切です。
今井氏の提起した問いは、「体験=贅沢」ではなく、「体験=生きるための学び」として捉え直す契機を与えてくれます。その意味で、本書は非常に示唆的であり、体験活動の今後の設計にも貢献するものだと感じました。
2 それぞれの体験格差━━体験の連鎖と、希望のまなざし
第2部「それぞれの体験格差」では、子どもに十分な「体験」を与えられないと感じる保護者の切実な声が紹介されています。親たちは子どもの成長にとって体験が大切であることを理解し、願っているのに、経済的な困難、時間や体力の制約、送迎の困難さ、社会的孤立など、さまざまな要因によってそれを実現できない現実があります。
たとえば、シングルマザーの高山さんは、息子がサッカーチームに入りたいと望んでも、「自分が送迎できないから」と断念させてしまったことを悔いています。自分自身もシングルマザーの家庭で育った長谷川さんは、子ども時代にアウトドア系の体験がなく、そうした種類の「体験」については、関心がないと語ります。このように、親の体験の有無が、そのまま子どもの体験の有無に連鎖してしまう構図が浮かび上がります。
菊池さんは自身が文化的体験に恵まれた子ども時代を送り、その記憶から子にも音楽や芸術に触れる機会を与えようとしています。一方で、自らのピアノ経験があまりに厳しかったため、「子どもには楽しんでほしい」と、あえて無理強いしない姿勢も見せます。体験は親から子へと継承されることもあれば、あえて変えられることもある━━それが印象的でした。
障害のある子を育てる保護者や多子家庭、外国籍家庭、非正規で働く親など、さまざまな立場の声も紹介されていますが、共通していたのは「子どもに何かを経験させてあげたい」という親の願いと、それを阻む日々の現実です。
こうした事例を読むと、「体験の有無」が子どもの将来を決定づけるかのような印象を受けてしまいそうになります。確かに、体験が豊富であることは、子どもの自信や社会性、視野の広がりにつながる可能性があります。しかし、逆に体験が少ないことを過度に「欠如」として語りすぎると、当事者をさらに追い詰めてしまいかねません。
現実問題として、私たちは、子どもにすべての体験を用意できるわけではありません。でも、親の姿勢やまなざし、社会が提供する選択肢の幅、そして「あとからでも間に合う」という柔軟な考え方が、子どもにとっての希望となるのではないでしょうか。
第3部 体験格差に抗う
本書の第3部では、「体験格差の是正に向けた施策」として、次の5つの提案が示されています。
- 提案1 体験格差の実態調査を継続的に実施する
- 提案2 体験の費用を子どもに対して補助する
- 提案3 体験と子どもをつなぐ支援を広げる
- 提案4 体験の場で守るべき共通の指針を示す
- 提案5 体験の場となる公共施設を維持し活用する
ここでは、特に提案5に注目したいと思います。
公共施設の維持と活用をどう進めるか
著者は次のように述べています。
「全国各地の児童館や公民館、青少年教育施設(青少年自然の家など)は全国的に減少傾向にある。しかし、これらの公共施設は市民が無償または安価に利用でき、地域のボランティアやNPOなどによるスポーツ・文化活動や子ども会、野外教育などの活動を陰から支えてきた。
公共施設自らが行う各種の講座やイベントなども、多くの親子に開かれた貴重な場だ。だからこそ、子どもの『体験』を支える公的なインフラの維持、そして更なる活用を提案したい。」
実際、1960〜1970年代に国の補助を受けて整備された「青年の家」や「少年自然の家」は、学校や地域での宿泊体験や野外活動の場として長年にわたり重要な役割を果たしてきました。しかし、近年は少子化による利用者減や老朽化、財政負担の増大といった事情により、多くの施設が閉鎖されています。
「青少年教育施設全体では、この約25年間で450ヵ所以上が減少している(グラフ23)。
廃止されたのち民間企業に売却される事例もある。民間のグランピング施設になり、高所得者向けのアウトドアサービスを提供する話も出てきている。
公共施設の減少は、子どもたちが安価に参加できる『体験』の機会を奪い、体験格差をますます広げることにもつながりかねない。特に青年の家や少年自然の家は、大人数の受け入れが可能なため、学校が主催する野外体験や宿泊行事などで利用されている。これらの施設が廃止されることで、公教育の中で行う体験機会も減少しかねない。」
この指摘はまさにその通りであり、公共施設の減少をなんとか食い止める必要があると強く感じさせられます。特に、家庭環境によって体験の機会が限られている子どもたちにとって、公的な支援による体験の場は、まさにセーフティネットとなっているからです。
調査の意義と現場のリアル
本書全体を通じて、調査結果は必ずしも大規模なものではありませんが、体験格差の実態を浮き彫りにし、多くの示唆を与える内容となっています。特に第2部で紹介された、厳しい状況におかれた家庭の声は非常にリアルで説得力がありました。ここだけでも、本書を読む価値は十分にあると感じます。
もちろん、示されたデータや事例がそのまま一般化できるわけではありません。しかし、体験格差が特定の条件や環境と結びついている傾向を読み取る手がかりにはなります。
また、人類学者クロード・レヴィ=ストロースのいう「ブリコラージュ(あり合わせのもので創造する)」の発想に立てば、たとえ条件が整っていなくても、身の回りにある資源や機会を活用して、自分なりの体験を積み重ねていく可能性もあるでしょう。これは、すべてを制度に頼るのではなく、「日常にある体験の再発見」にもつながる視点です。
本書は、体験の格差がどのように子どもたちの育ちに影響を及ぼすかを丁寧に描き出しながら、社会が果たすべき役割を多面的に提示しています。体験格差の問題は、決して「自己責任」で片付けられるものではありません。誰もが何らかの形で支援を受けながら、子どもたちが豊かな体験を積み重ねられる社会をどう築いていくか━━その問いを、私たち一人ひとりが引き受ける必要があると、深く考えさせられる一冊でした。