中室牧子著『科学的根拠で子育て』(ダイヤモンド社)を読み、エビデンスに基づく子育ての重要性をあらためて認識しました。一方で、読み進めるなかで、いくつか立ち止まって考えてみたい点も浮かび上がってきました。本稿では、その点について私なりに整理し、考えてみたいと思います。

はじめに

本書の冒頭で、著者は次のような主張を提示しています。
「子育てに成功した親の話はアテにならない」「『データ』を使えば、教育・子育ての効果がわかる」「信頼できる『エビデンス』で、あなたの子育てを助けます」。
つまり、個々の成功談に頼るのではなく、データに基づいて子育てを考えるべきだ、という立場が明確に示されています。

では、その「データ」とはどのようなものなのでしょうか。著者は次のように述べています。

「最近では、何十万人、何百万人という単位の子どもたちの成績、行動、進路などが含まれるビッグデータもあります。それだけではありません。1人の人間を生まれたときから長期にわたって調査の対象にし続けたデータの蓄積も進みました。

これによって、子どもの頃のある時点で受けた教育が、大人になってからの就職、収入、昇進、結婚、健康、そして幸福感などに与える影響を明らかにすることができるようになりました。」

もし本当に、何十万人、何百万人規模の人生の軌跡が詳細に記録され、それが誰かによって一元的に管理されているのだとしたら、そこには一抹の不安も感じます。仮に、国家や行政がそうしたビッグデータや、そこから導かれた「結果」を用いて、「優れた人」と「そうでない人」を分類し、後者を排除するような政策を行うことも、理論上は不可能ではありません。そのとき、排除される側の人間にとっては、きわめて深刻な問題となるでしょう。

もしそのようなビッグデータが存在するのであれば、その管理や利用には、最大限の慎重さと透明性が求められるはずです。あるいは、そもそもそのようなデータを収集・蓄積すること自体の是非について、社会全体で立ち止まって考える必要があるのかもしれません。

将来の収入を上げるために、子どもの頃に何をすべきなのか?

本書の第1章では、「将来の収入を上げるために、子どもの頃に何をすべきなのか」という問いが正面から扱われています。著者はここで、「将来の収入を上げるために、子どもの頃にやっておくべきことベスト3」として、①スポーツをする、②リーダーになる、③非認知能力を高める、という三点を挙げています。

教育の目標を「将来の収入」に置くことには、やや乱暴さを感じる向きもあるでしょう。もっとも、著者はこの点について、次のように説明しています。

「経済学では、『将来の収入』は、学校を卒業したあとの教育の成果の1つだと考えます。

将来、高い収入を得られるように子どもを育てることが子育ての成功だなどと言われると、抵抗を感じる人は多いかもしれません。しかし、子どもたちが、将来しっかり稼ぐ力を身に付けて、経済的に独立することは大切なことです。」

子どもが将来、経済的に自立できる力を身につけることが重要である、という点には異論はありません。ただ、「将来しっかり稼ぐ力を身につけること」と、「高い収入を得られるようにすること」とは、必ずしも同じではないのではないでしょうか。本書全体を通じて、「少しでも高い収入を得られることが望ましい」という価値観が、前提として置かれているように感じられます。

こうした問題意識のもとで、著者はとりわけ「スポーツをすること」を強く勧めています。次のように述べています。

「『将来しっかり稼ぐ大人に育てる』方法の1つ目は、子どもたちがスポーツをするよう仕向けることです。子どもの頃のスポーツ経験が将来の収入に良い影響を与えることを明らかにしたエビデンスは多くあります。

たとえば、パデュー大学のジョン・バロン教授らは、アメリカの高校で課外活動としてスポーツをしていた男子生徒は、スポーツをしていなかった同級生と比べて、高校を卒業して11~13年後の収入が4.2~14.8%も高いことを明らかにしています。」

では、なぜ子どもの頃のスポーツ経験が、成人後の収入に結びつくと考えられるのでしょうか。著者は主に二つの理由を挙げています。

第一の理由として、「企業がスポーツ経験のある人を好んで採用したいと考えるからだ」と述べています。その根拠として、ノルウェーで行われた次の研究が紹介されています。

「ノルウェーで行われた研究は、求人を出している企業に対して、写真や経歴などはすべて同じで、スポーツ経験の有無だけが違う架空の履歴書をランダムに送り、面接に呼ばれる確率にどのくらい差が出るかを調べました。

その結果、スポーツ経験があると書かれた履歴書を送ると、面接に呼ばれる確率が約2ポイントも高くなることが示されました。」

ただ、この結果だけから「スポーツ経験があると採用に有利になる」と言い切ってしまうのは、やや言い過ぎではないでしょうか。その他の条件がまったく同じで、スポーツ経験が「プラスアルファ」として記されていれば、それを好意的に受け取る可能性はあるでしょう。しかし、差が約2ポイントにとどまるのであれば、決定的な理由づけとまでは言えないようにも思われます。

私自身、人事採用に携わった経験がありますが、「スポーツをしていたから有利になる」と単純に判断したことはありません。大学時代にどのような活動に取り組んできたのか、そして、その経験を通して何を学び、どのように成長したのか、そうした点を面接では重視してきました。音楽、ボランティア、旅行、スポーツなど、活動の種類そのものよりも、取り組み方や語り方、受け答えの姿勢のほうが、むしろ重要だったように思います。

第二の理由として著者は、「スポーツ経験によって、忍耐力、リーダーシップ、責任感、社会性といった非認知能力が身につくからだ」と述べています。この点についても、先ほどのノルウェーの研究が引き合いに出されます。

「前出のノルウェーの研究は、大規模な行政記録情報を用いて、同じ家庭で育った14万人のきょうだいを比較する研究もしています。遺伝的にも似ており、同じ家庭で育ったきょうだいのうち、片方がスポーツをして、もう片方がしなかったケースで、将来の収入にどれくらい差が出るかを調べたものです。

分析の結果、きょうだいのうち、スポーツをしていたほうの年収が、スポーツをしていなかったほうよりも約4%高いことがわかりました。

このように、スポーツ経験があることによる賃金の上乗せ分を、スポーツの『賃金プレミアム』と言います。そして、この賃金プレミアムのほとんどが、忍耐力、リーダーシップ、責任感、社会性などの『非認知能力』によるものだとわかったのです。」

もっとも、忍耐力やリーダーシップ、責任感、社会性といった力は、必ずしもスポーツだけで培われるものではないでしょう。天文部、生物部、演劇部、吹奏楽部、放送部、書道部など、文化系の活動においても、同様の力は十分に育まれるはずです。

さらに、こうした研究結果が海外の調査に基づくものである点にも注意が必要です。日本において、さらには自分が所属する学校の文脈に、そのまま当てはめてよいのかどうかは、慎重に考える必要があるでしょう。この点については、著者自身も本書の後半で次のように述べています。

「海外のエビデンスは日本にはあてはまるとは限らないということです。同様に、日本国内のデータであっても、都市部のデータを用いて得られた結果が、地方にあてはまるとは限りません。これを『外部妥当性』の問題と呼びます。」

著者は、「日本では教育政策の効果を科学的に検証する習慣がほとんど根付いていない」ことを、日本の教育政策の大きな課題として指摘しています。この問題意識自体は、重要で妥当なものだと思います。

ただ、たとえ一つのエビデンスが示されたとしても、それをそのまま信じて学校の在り方を大きく変えてしまってよいのか、という疑問は残ります。仮に高校の校長という立場にあったとして、「スポーツが重要だというエビデンスがあるのなら、部活動はすべてスポーツ系にして文化系は廃止する」と判断してよいのでしょうか。むしろ、生徒一人ひとりが関心をもてる活動に取り組める環境を整え、その過程を教員や保護者とともに話し合いながら形づくっていくことのほうが重要ではないでしょうか。

教育を「将来の収入を上げるための手段」としてのみ捉えてしまうのは、やはり単純化しすぎているように思います。収入以外にも、自分は何をしたいのか、何に価値を見いだすのかを見つけ、それを支える力を育てていくことこそが、教育の大切な役割なのではないでしょうか。

おわりに

本書で紹介されているエビデンスは、これまで経験や慣習に頼ってきた子育てや教育のあり方を見直すうえで、重要な示唆を与えてくれるものだと思います。データに基づいて考える姿勢そのものは、今後ますます大切になっていくでしょう。

ただし、あるエビデンスが示されたからといって、それをそのまま「正解」として受け入れ、教育の方向性を一気に決めてしまうことには、やはり慎重であるべきだと感じます。研究が行われた国や時代、社会的背景が異なれば、その結果が自分たちの置かれている文脈にそのまま当てはまるとは限りません。また、教育には収入の多寡だけでは測れない価値も数多く含まれています。

エビデンスは、判断を代替するものではなく、考えるための材料として位置づけるのが適切なのではないでしょうか。その材料を手がかりに、教員同士、生徒や保護者、さらには地域の人たちとも話し合いながら、「自分たちにとっての教育とは何か」を考えていく。その過程そのものが、教育の質を高めていくのだと思います。

子ども一人ひとりが何に関心をもち、どのような経験を通して成長していくのかは、本来、多様であってよいはずです。エビデンスを尊重しつつも、それに盲目的に従うのではなく、対話と熟慮を重ねながら、それぞれの現場、それぞれの家庭にふさわしい教育のかたちを探っていきたい━━本書を読み終えて、あらためてそのことを強く感じました。