近年、高等学校の学習指導要領が改訂され、金融教育の充実が図られています。もっとも、金融庁が中心となっていることもあり、どうしても「資産形成」や「投資教育」といった側面が強調されがちです。

しかし、そもそも私たちは「お金」そのものをどれほど理解しているでしょうか。

その疑問から、ダン・アリエリー(デューク大学教授)とジェフ・クライスラーによる『アリエリー教授の「行動経済学」入門 お金篇』(早川書房)を読んでみました。本書は、お金にまつわる人間の “非合理” な行動を、軽妙なエピソードと実験で鮮やかに描き出しています。

「おトク」に取りつかれたスーザンおばさん

なかでも印象的なのが、「お金の相対性」をめぐるエピソードです。アリエリー氏は次のような物語を紹介しています。

「スーザン・トンプキンは、だれかのスーザンおばさんだ。スーザンおばさんのような存在はだれにでもいる。彼女は根っから陽気な愛情深い女性で、買い物に行くたび甥っ子や姪っ子にプレゼントを買っている。スーザンおばさんのお気に入りは百貨店のJCペニーだ。(略)

そんなある日、JCペニーの新任CEOロン・ジョンソンが特売を全廃し、『公明正大な』価格を全商品に導入した。セール品もバーゲン品もクーポンや割引もおしまいだ。

スーザンは急に悲しくなった。そのうち怒りがこみ上げてきた。そしてJCペニー詣(もう)でをすっかりやめ、友人と『ロン・ジョンソンなんか大嫌い』というオンライングループまで立ち上げた。(略)

1年後、スーザンおばさんはJCペニーに値引きが戻ったという噂を耳にした。おそるおそる用心しながら偵察に行った。・・・『20%オフ』『値下げしました』『セール品』。初日は2、3の品しか買わなかったが、それからはJCペニー好きだった昔の自分を取り戻した。前のようにしあわせだった。買い物の回数も、ダサいセーターの数も、親戚からのぎこちない『ありがとう』の数も増えたということだ。めでたしめでたし。」

この話は実際の出来事に基づいています。アメリカの百貨店JCペニーでは、2011年に就任したCEOロン・ジョンソンが「正直価格」を導入し、特売を廃止しました。しかし、値引きがなくなったことで多くの顧客が離れ、最終的に彼は解任されてしまいました。

価格自体は実質的に変わっていなかったのに、客は「お得感」を失ったとたんに購買意欲をなくしてしまったのです。

アリエリー教授の分析:「相対性」に惑わされる心

アリエリー氏は、こう説明します。

「スーザンおばさんとJCペニーの物語には、相対性がおよぼす多くの影響のいくつかが見て取れる。相対性は、実際の価値とはほとんど無関係な方法で価値を評価することを私たちに強いる、もっとも強力な要因の1つだ。(略)

あなたならどっちを買う? 60ドルのワイシャツか、定価100ドルから『おつとめ品! 4割引! わずか60ドル!』に値引きされた、まったく同じシャツか?」

2枚のシャツは同じ価格ですが、私たちは「定価100ドル→60ドル」という“割引” に価値を感じてしまいます。アリエリー氏によれば、それは私たちがモノやサービスの「絶対的な価値」を判断できないとき、「比較」に頼ってしまうからです。

さらにアリエリー氏は次のように言います。

「問題は、相対性の概念そのものではなく、私たちがそれを用いる方法にある。ほかのすべてのものと比較するのであれば、機会費用を考慮することになるから、すべてうまくいく。だが私たちはそうせずに、たった1つ(か2つ)のものとしか比較しない。だから相対性に欺(あざむ)かれるのだ。

60ドルは100ドルと比べれば相対的に安い。でも、機会費用を思い出してほしい。60ドルと比較すべきは0ドル、または60ドルで買えるすべてのものだ。でも私たちはそうせず、スーザンおばさんのように今の価値と割引前の定価(または定価とされる価格)とを比べ、相対価値によって価値を測ろうとする。だから相対性に惑わされるのだ。」

*「機会費用とは代替案だ。なにかをするために、今または未来にあきらめることになるものごと、つまり選択を行うときに私たちが犠牲にする機会のことだ」とアリエリー氏は説明しています。

私たちの日常にも潜む「相対性」

私たちがスーパーマーケットなどで食料品などを買うときにも、もしかしたらこのような相対性に惑わされているかもしれません。たとえば、1パック269円で売られている「わらび餅」が、賞味期限が切れそうなので228円に値引きして売られていると、41円もお得なので、そのようなお得な品を逃すわけにはいかないと考え、ふだんは買わないのに今日は「わらび餅」を買ってしまう、ということはありませんか。

ここで考えなくてはならないのは、269円のものを228円で買うことができて41円得したと思うことではなく、ここでわざわざ買わなくてもよかったのだけども、228円の出費をしてしまった、ということなのでしょう。

近所に角上魚類という魚屋さんがありますが、毎月1回全品が10%引きになる日があります。その日はものすごくお客さんが多くなり混雑するのですが、いつもより10%も安いということで、私も自転車に乗って朝早くから行きました。ふだんはあまり買わないのですが、通常価格700円の海鮮天丼があります。それが10%引きで630円となります。そこで、10%も安くなるということで思わず、昼食用に買ってしまいました。1つではもったいないので、家族の分も含めて2個も買ってしまいました。

これも10%引きというお得感を感じて、普段は買わないものまで手を出してしまい、1260円もの出費をしてしまったということになります。1260円もあれば、夕飯のおかずとして、さわらの切り身を5切れぐらい買えたでしょうが、それをせずに、お得感ということで買ってしまいました。

また、私の母親がケーブルテレビを利用しようとして、ジェイコム(J:COM)に相談したのですが、ここでも、「お得感」から契約してしまったものがありました。そのとき、ケーブルテレビだけでなく、ネットと固定電話も同時に契約することとなっていたのですが、それに追加して、Netflix(ネットフリックス)も割引になるからということで、それも契約したのでした。本来は1月あたり810円のところセット割引で510円になるということなので、300円はお得になる計算です。ストリーミング配信をあまり利用するとは思えないのですが、ともかく契約してしまいました。

「真ん中を選ぶ」心理

アリエリー氏はまた、次のような興味深い実験を紹介しています。

「パナソニック製の36インチTV(690ドル)、東芝製の42インチTV(850ドル)、フィリップス製の50インチTV(1480ドル)の選択肢があるとき、ほとんどの人が真ん中の選択肢である、850ドルの東芝製品を選ぶ。一番安いものと一番高いものは、真ん中の選択肢に私たちを誘導する道路標識なのだ。」

適正な価格がいくらなのか見当もつかないとき、高級モデルに浪費せず、かつ最低限のモデルで安くすませないことが、最善の決定にちがいないと考える。そこで真ん中のものを選ぶわけだが、それはマーケティング担当者が一番売りたい品だということが多い。」

日本でも「松・竹・梅」メニューで「竹」を選びがちな心理と同じです。人は“極端”を避け、「無難な真ん中」を選ぶことで安心を得ようとします。しかしマーケティング担当者は、その心理を計算したうえで価格設定をしているのです。

合理的な判断のために

『アリエリー教授の「行動経済学」入門 お金篇』には、この「相対性」のほかにも、「心の会計」「出費の痛み」「アンカリング」「授かり効果」「公正さと労力」など、私たちの非合理な金銭感覚を浮き彫りにするテーマが豊富に語られています。

お金は、単なる経済の道具ではなく、私たちの感情や判断を映す鏡でもあります。自分がお金を「どう感じ、どう比べているのか」に気づくことが、真の金融リテラシーの第一歩なのかもしれません。