「マシュマロ実験」については、多くの研究者や一般書が紹介しており、私自身は強く信じていたわけではありませんが、“子どもの頃の自制心が大人になってからの成功に影響する” という一般的な説明を自然なものとして受けとめていました。しかし、林岳彦著『はじめての統計的因果推論』(岩波書店)を読んで、この実験をそのまま受け入れることには慎重であるべき理由がよく分かりました。本書には、マシュマロ実験について次のように記されています。

マシュマロ実験とは何だったのか

「マシュマロ実験という有名な━━その結果が “エビデンスに基づく知見” として世間に広く普及したことと、追試によってその実験の再現性が乏しいことが後日明らかになったことの両面において有名な━━研究があります。ここでは、そのマシュマロ実験を題材に、分析概念の吟味の問題を考えていきます。」

続いて、オリジナル研究の紹介がなされます。実験の基本構造はよく知られているとおりです。

「被験者の子どもたちは、実験のスタッフから『目の前のマシュマロを食べるのを15分間我慢できたら、マシュマロをもう1つあげる』と説明されて、部屋に残されます。そこでそれぞれの子どもたちが目の前のマシュマロを食べることを我慢できたか、できなかったかの記録をとります。ここでは、我慢できた子どもたちは “自制心” があると解釈されます。」

そして、追跡調査で 我慢できた子のほうが大学進学適性試験SAT)などで高い成績を示した と報告され、Mischel らは「自制心こそ人生の成功を導く重要な要因である」と結論づけました。

このシンプルでキャッチーな物語が、世界中で教育提言として広まったわけです。

しかし、後続研究が示した “別の物語”

ところが、その後に Watts らがより大規模かつ一般的な背景をもつ子どもを対象に追試を行ったところ、次のような結果が出ます。

「“自制心” の影響は共変量を調整すると大幅に小さくなり、Mischel らの論文では言及されていない家庭環境の違いなどが大きな影響をもっていることが報告されました。」

つまり、自制心が成功の鍵というメッセージは再現性が乏しく、家庭環境などの 社会経済的要因を軽視していた可能性が明らかになったのです。

測定していたのは本当に “自制心” だったのか

さらに林氏は、マシュマロ実験で測定されていたもの自体があいまいであることを指摘します。

「我慢できなかった子どもたちの実際の行動をみると、開始から数秒の間にマシュマロを食べている場合が多いことが報告されています。これは、この実験で実際に測定されているのは、概念的には(オリジナルのマシュマロ実験で想定されているような)メタ認知的な判断に基づく “自制心” というよりも単なる『衝動性の有無』が測定されているとも解釈できます」

加えて、「周囲の大人を信頼できるかどうか」が行動に影響するという研究もあることから、“自制心” ではなく、“環境への信頼” を見ていた可能性が示唆されています。

「そもそも “自制心” として解釈されていたものが、実は子ども自身がもつ特性というよりも、子どもの背景にある社会的環境━━周りに信頼でき、約束を守れる大人がどの程度いるかなど━━を反映している可能性を示唆するものです。」

「背景を揃える」分析が見えなくするもの

林氏の議論は、単なる実験批判にとどまりません。研究デザインの背景にある「均一なサンプル集団を用いたこと」が重要な示唆を与えてくれます。

「オリジナルのマシュマロ実験では、被験者はスタンフォード大学付属の幼稚園から集められた子どもたちであり、平均的な子どもの集団とはさまざまな面で背景の異なる均質性の高いサンプル集団でした。おそらく、オリジナルの実験ではそうした特殊かつ均質なサンプル集団を用いたゆえに “自制心” の影響がクリアに見えた事例であり、その結果を留保なしに一般の集団へ移設できる可能性は比較的低かったと推察されます。」

(出典:林岳彦著『はじめての統計的因果推論』(岩波書店))

また、背景因子を揃えることが「大事な要因を視界の外へ追いやる危険」も指摘されます。

「『背景を可能な限り均一にする/背景にある共変量の影響をキャンセルする』という分析上の行為が『本当に重要な他の要因』を視野の外に追いやってしまう機能をもち、それゆえにその分析上の行為が時に、社会的な不正義の存在をもキャンセルして不可視化しうるという危険性を私たちに気づかせてくれるものです。」

つまり、均質な環境で得られた “美しい結果” を、そのまま多様な社会に当てはめることの危うさが浮かび上がるのです。

林氏は、マシュマロ実験の真の教訓を次のようにまとめています。

「マシュマロ実験の真の教訓は、『 “自制心” が人生の成功の鍵』といったものではなく、『研究者には安易な一般化を我慢する “自制心” がしばしば著しく欠けている』ことを示したことにあると私は考えています。」

私自身が感じたこと

私も、これまでマシュマロ実験を “子どもの自制心が将来の成功に関わる” という大まかなメッセージとして受け取っていました。しかし、統計的因果推論の視点から見れば、

  • サンプルの背景は本当に一般化できるのか
  • 測定している概念は明確か
  • 隠れた要因が作用していないか

といった問いを常に意識しなければなりません。

同じような人々だけで構成された環境で成立した結果は、異なる環境では再現されないことがあります。外国の研究で得られた“成功法則”が、そのまま日本でも通用するとは限らないのです。マシュマロ実験は、その代表例と言えます。

おわりに

科学的研究は、単純化された“わかりやすい物語”として流布されることで広く影響力を持ちます。しかし、その背後にある 統計的前提、測定概念、サンプルの特殊性 を十分に吟味しないまま一般化することは、かえって社会の実態を見えにくくします。

マシュマロ実験をめぐる一連の議論は、「エビデンスをどう社会で使うべきか」という大きな問いを私たちに突きつけています。