
私たちが住むこの宇宙は、いまから約138億年前、超高温・超高密度の「火の玉」━━いわゆるビッグバンの急激な膨張によって誕生したとされています。
その後、約90億年が経って地球が誕生し、さらに約6億年後、約40億年前に生命が誕生します。
その地球上で圧倒的な存在感を誇っていた恐竜は、約2億3千万年前に登場し、約1億6千万年という長い時代を生き抜きました。
一方、人類の祖先である猿人が現れたのは約700万年前、そして私たちホモ・サピエンスが登場したのは、わずか30万年前のことです。
恐竜たちが生きた年月に比べれば、私たち人類が地球上に現れてからの時間は、ほんの一瞬に過ぎないことに気づかされます。

ここで、ふと湧き上がる疑問があります。
そもそも、約138億年前に宇宙が誕生する「前」はどうなっていたのか?
感覚的には、138億年という数字は確かに長いようでいて、宇宙全体のスケールを考えると、むしろそれほど古いとも感じられません。これから先、何百億年、何千億年と宇宙が続く可能性を思うと、私たちは「宇宙の始まりにほど近い時代」に存在していることになり、時間軸の中で非常に偏った場所にいるようにも思えてきます。
こう考えると、数学の世界の「数直線」が頭に浮かびます。数はマイナスにもプラスにも、無限に続いていきます。
宇宙もまた、時間軸において無限の過去と無限の未来に広がっているのではないか━━そう考えると、妙に納得がいくのです。
もしそうであるならば、ビッグバンによる宇宙の始まりの「前」にも、別の宇宙が存在していたのではないか? 現在の宇宙には「寿命」があるとするなら、私たちの宇宙は、無限に連なる宇宙の“ある一世代”にすぎないのかもしれません。
つまり、
- 今の宇宙の前には、親世代の宇宙があり、
- そのまた前には祖父母世代の宇宙があり、
- 時間をさかのぼれば、宇宙は際限なく連鎖してきた━━。
未来についても同様です。
今の宇宙がいずれ終焉を迎えたとしても、その後にはまた新たな宇宙(子世代)が誕生し、しばらくしてまた別の宇宙(孫世代)が生まれる。
そうした宇宙の誕生と崩壊が、時間の中で無限に繰り返されていると考えると、不思議と整合的で、どこか美しい調和さえ感じられます。

このような発想は、物理学の世界でも「循環宇宙モデル(サイクリック・ユニバース)」として議論されており、完全に荒唐無稽な話というわけではありません。
宇宙の過去と未来、有限と無限、始まりと終わり━━それらをめぐる思索は、私たちの存在を相対化し、時間と空間の本質について深く考える契機を与えてくれるのではないでしょうか。
さらに近年では、野村泰紀氏(カリフォルニア大学バークレー校)が提唱するマルチバース宇宙論のように、ビッグバンを “すべての始まり” とせず、宇宙が無数に存在するという視点も登場しています。野村氏の理論では、私たちの宇宙は永遠に膨張し続ける「多元宇宙(マルチバース)」の一つであり、量子力学の観測問題とも深く結びついた存在として理解されます。このような視座は、宇宙の「外側」や「以前」を問い直すうえで、きわめて示唆的です。