「利己的な遺伝子」で有名なリチャード・ドーキンスによる「神は妄想である」(早川書房)について、気になるところをまとめてみました。すでに他の著者による、宇宙、意識などについて書かれた本を紹介してきましたが、それらをふまえるととても納得がいきます。とはいえ、判断は各人によると思います。いずれにせよ、宗教を考えるうえで参考になりそうな本です。

第5章において、次のように、宗教は何かの副産物ではないかと言っていますが、個人的に気になったところです。

このところますます多くの生物学者が、宗教はほかの何かの副産物であるとみなすようになっているが、私もそのうちの1人である。もっと一般的にいえば、ダーウィン主義的な生存価について憶測をめぐらすときには「副産物を考える」必要があると私は思っている。

もし、宗教が他の何かの副産物であるとすれば、その何かとは何なのだろう? ・・・私の持っている仮説とは、端的に言えば、子供に関するものである。人間はほかのどんな動物よりも、先行する世代の蓄積された経験によって生きのびる強い傾向をもっているのであり、その経験は、子供たちの保護と幸福のために、子供に伝えられる必要がある。理屈の上では、子供は自らの実体験によって、あまり崖っぷち近くまで行かないよう、食べたことがない赤い実(ベリー)は食べないように、ワニの潜む川では泳がないように学ぶことができると言えるかもしれない。・・・「大人が言うことは、疑問をもつことなく信じよ。親に従え。部族の長老に従え、とくに厳粛で威圧的な口調で言うときには」という経験則をもっている子供の脳に淘汰上の利益があるはずだ。年上の人間の言うことは疑問をもたずに信じよというのは、子供にとって一般的に有益なルールである。

自然淘汰は、親や部族の長老の言うことは何であれ信じるという傾向をもつ脳をつくりあげる。そのような、「疑いをもたず服従する」という行動には、生存上の価値がある。・・・しかし、「疑いをもたず服従する」という態度は、裏を返せば、「奴隷のように騙される」ことにつながる。そのような姿勢の逃れられない副産物として、その人物はウイルスに感染しやすくなる。・・・子供の脳は親と、親が信じよと教える年長者を信じる必要がある。そこから自動的に導かれる結果として、信じやすい人間は、正しい忠告と悪い忠告を区別する方法をもたないということになる。・・・そして、その子供が成長して自分の子をもったとき、当然のごとくその一切合切(いっさいがっさい)━━ナンセンスなものも意味のあるものも同じように━━を、同じような感染力のある厳粛なやり方で自分の子に伝える可能性は非常に高い。

興味を持った方は、購入するなどして、ぜひこの本全体を読んでみてください。