
教育を考えるうえで、人間の「意識」をどう捉えるのかということは極めて重要なことと考えます。ものごとを学習していくことは、意識自体が学習していくことですが、そうして学習して「賢くなった」意識が、結局死によって「無駄になる」ように思えるからです。
そこで、今回は、意識について研究をしている渡辺正峰氏(東京大学大学院工学系研究科准教授)の「意識の脳科学」講談社現代新書、についてここで紹介します。何らかの参考になると思われます。
この本の構成は次のとおりです。
1章 死は怖くないか
2章 アップロード後の世界はどうなるか
3章 死を介さない意識のアップロードは可能か
4章 侵襲ブレイン・マシン・インターフェース
5章 いざ、意識のアップロード!
6章 「わたし」は「わたし」であり続けるか
7章 アップロードされた「わたし」は自由意志をもつか
8章 そもそも意識とは
9章 意識を解き明かすには
10章 意識の自然則の「客観則の対象」
11章 意識は情報か神経アルゴリズムか
12章 意識の「生成プロセス仮説」
13章 意識の自然則の実験的検証に向けて
14章 AIに意識は宿るか
15章 意識のアップロードに向けての課題
16章 20年後のデジタル不老不死
意識のアップロード
渡辺氏は「死は怖くないか」と問いかけます。なぜ怖いのか、それは無に帰してしまうことへの恐怖だと渡辺氏は言います。そしてしかし、「今のわたしたちには一縷(いちる)の望みがある。死なずにすむのではないかと、心のどこかで本気で信じている自分がいる。何を隠そう、『意識の解明』と『不老不死の実現』の一石二鳥の妙案を思いついたからだ」と主張します。この2つが、本書の問題意識であり、研究目的という位置づけになります。
では実際にどのよにして不老不死を実現するのでしょうか? これに関しては、分離脳と片半球喪失の患者が辿る意識の変遷を参考にして、「死を介さない意識のアップロード」という手法を渡辺氏は考案したと言います。この詳細については、次のように説明しています。
分離脳からわかることは、左右の脳半球を連絡する神経線維束が離断されることで、頭蓋のなかの1つの意識が、2つの意識に分裂することだ。また、時間を逆再生するならば、左右の脳半球に独立に宿りうる2つの意識が、左右の脳半球を連絡する神経線維束によって、1つに統合されることがわかる。
これらの知見をもとに、まずは、アップロード対象者の大脳を分離する。次に、左右の生体脳半球を、それぞれ、右と左の機械半球に接続する。この接続には、次章で導入する特殊なブレイン・マシン・インターフェースをもちいる。その後、できあがった2組の生体脳半球━機械半球ペアに対して、意識を統合し、記憶の転送を行う。そうすることで、生体脳半球と機械半球の関係は、生体脳半球どうしの関係と等しくなる(下図 a 、b の左側)。
ここから先、生体脳半球と機械半球にまたがる1つの意識は、片半球喪失の患者の意識と同じ道を辿ることになる。片側の脳半球を脳卒中などで喪失したとき、何が起きるのだろうか。もちろん、半身麻痺や片視野の喪失など、重篤な後遺症は避けられないが、両半球にまたがっていた1つの意識は、死を介することなく、片半球の1つの意識へとシームレスに移行する(下図 a の右側)。
さきほどの生体脳半球と機械半球のペアにおいて、生体半球が否応なく迎える終焉の時、これと同じ意識の変遷が生じるはずだ。生体脳半球と機械半球にまたがっていた1つの意識は、機械半球のみの1つの意識に移行することになる(下図 b の右側)。そして、最後に機械の分離脳のさまざまな不便を解消するべく、2つの機械半球を接合する。こうしてわたくしたちは、死を介することなくシームレスに機械脳のなかで生き続けることになるだろう。
ここで問題となるのは、「生体脳と機械脳との間で意識を統合し、記憶を共有すること」なのですが、そこには「侵襲ブレイン・マシン・インターフェース」を利用すると述べています。そして、渡辺氏は、左右の大脳半球どうしの連絡が、脳梁、前交連、後交連とよばれる3つの神経線維束に集中していることに注目して、「3つの神経線維束に対して、3つの神経線維束に対して、包丁をいれるかのごとく、両面の『高密度2次元電極アレイ』を差し込むというまったく新しい方式のブレイン・マシン・インターフェース」の提案しています。その具体的なイメージについては、次のように解説しています。
高密度2次元電極アレイとは、CMOS(Complementary Metar-Oxide-Semiconductor:相捕型MOS)などの集積回路技術によって、基盤の目にように細かく電極を並べたものだ。それをきれいに切断した神経束断面に押し当てることで、各々の神経線維に対して直接的に情報を読み書きするかたちとなる(下の図 b )。
ただ、課題として、神経線維を切ってしまうことを挙げています。これについては、「最新の遺伝子改変技術を応用するなどして、近い将来、何かしらの再生能力が実現する可能性は高い」と率直に述べていますので、逆に言えば技術的なハードルは高いということだと思います。
生体脳半球と機械半球との意識の統合が果たしてできるのか、という疑問が湧きますが、渡辺氏は、ブレイン・マシン・インターフェース(BMI)を介して生体脳半球と機械半球の然るべきニューロンどうしをつないでいく「ニューラル・ルーティング」によってなされると言います(なお、ここで利用する機械半球はニュートラルな意識のみを宿す)。どうでしょうか? 私個人としては、ニューロンどうしが適切につながれていくのか、という疑問がさらに湧いてきますし、技術的には結構難しそうな気がしました。
さて、渡辺氏は具体的な意識のアップロードの手順についてもう少し分かりやすく、次のように解説しています。
提案する手法は、次の5つのステップから構成される(下の図)。①左右の生体脳半球の分離(新型BMIの挿入)、②生体脳半球と機械半球のあいだの意識の統合、③生体脳半球から機械半球への記憶の転送、④生体脳半球の消失、⑤左右の機械半球の接合。
ここでいろいろな疑問が湧いてきますので、それをいくつか挙げていきたいと思います。
記憶の転送については、「できるかぎりの記憶を思い出してほしい。・・・ただ思い出すだけで、生体脳半球に貯えられた記憶は機械半球へと転送されていく」と渡辺氏は言います。これについても、本当にそれだけでいいのか? という疑問が湧きます。思い出せなかった記憶は転送されないことになりますし、今まで何十年と生きてきた中で蓄積された記憶は膨大なものになります、それをすべて機械半球に転送できるものなのか、疑問です。それとも思い出そうとすることで、すべての記憶データが転送されるという仕組みなのでしょうか?
さらに疑問なのは、生きたままの状態で、生体脳を2つに分離するとなると、1つの生体脳半球はその人の頭蓋の中に置いておくとして、もう1つの生体脳半球はどこに置くのでしょうか? もしその生体脳半球を身体から分離した状態でどこかに置こうとしたら、その時点で切り離された脳半球は死んでしまわないのでしょうか?
生体脳半球と機械半球となった段階から、生体脳半球を消失させる段階において、意識はどうなるのでしょうか? 生体脳半球の方が機械半球より優位に立っているような気がするので、生体脳半球を消滅させた段階で意識は死ぬことにならないのでしょうか?
意識の解明
本書において渡辺氏は意識についての議論を行っています。まず意識の定義については、「哲学者のトマス・ネーゲルによれば、意識とは、"What it's like"(そのものになってこそ味わえる感覚=固有の内在感覚)である」と、トマス・ネーゲルによる意識の定義を紹介しており、渡辺氏はその定義をそのまま使っています。すなわち「そのものになってこそ味わえる感覚」ということです。まあ、言われてみればそうかもしれないと思いました。他の定義の仕方もあるかもしれませんが、たとえあったとしてもそれほど違いはないと思いますので、とりあえず、ここはあまり深入りしないほうがいいかもしれません。
次に「なぜに脳に意識が宿るのか」という疑問に対して渡辺氏は「人間原理」というものを持ち出しています。人間原理とは、たまたまそのような宇宙に我々は存在しているという事実を尊重するという原理のことですが、その立場からすると、たとえ不思議なことがあっても、そのように天下り的に決まっているので、「なぜにそうなのかを問うても意味がない」となります。このあたりを、イギリスの天文学者、アーサー・エディントンが相対性理論の検証を行った例を紹介しつつ、渡辺氏は次のように説明しています。
相対性理論が検証されたことで、遡って、その自然則として礎をなす「光速度不変の原理」も証明されたことになる。ここでポイントとなるのは、それが証明された後に、なぜにそうなのかを問うても意味がないということだ。この宇宙はそうなっているとしか言いようがない。この宇宙、この天の川銀河で、まさに天下り的に決まっているものは他にも数多くなる。重力の強さを決める万有引力定数などもそうだ。それがどんな値であるかを実験的に問うことはできても、なぜにその値であるかを問うことに意味はない。
意識も同様に考えることができるのではないだろうか。なぜに脳に意識が宿るのかを問うても意味がない。たまたま、「意識の自然則」をレパートリーの1つに備えた宇宙に、わたしたちが存在しているに過ぎない。
意識の自然則が必要だと主張するだけでは何も先に進まないとして、渡辺氏はそれを検証する方法を検討しています。一番いいのは生体脳を使ったものだが、それは不可能ということで、「人工物に意識を宿す」試みを通して、意識の自然則を見極めるとしています。具体的には、次のような方法を提案していますが、これはすでに「意識のアップロード」の途中段階のものに相当します。
脳の意識と機械の意識、それぞれを中に据え置いたまま両者を連結する。そのうえで、機械をとおして感覚がわいたなら、機械そのものに意識が宿ったとしか言いようがない、そんなうまいつなぎ方があるのではないか。
ヒントは分離脳だ。左脳と右脳を連絡する神経線維束を切断すると、1つの頭蓋のなかに2つの意識が出現する。右視野だけを見る左脳の意識と、左視野だけを見る右脳の意識。ポイントは、左右の脳半球が結ばれているわたしたちの健常脳でも、こと視野に関しては、左右それぞれ独立に意識が宿ることだ。それぞれにマスターとして意識が宿り、2つが連結することで、左右の視野をまたぐ、1つの意識が成立する。
であれば、生体脳半球と機械半球を接続し(下の図)、仮に、生体脳半球に残ったわたしに、機械半球側の視野もふくめて見えてしまったなら、そのときには、機械半球側にもマスターとして意識が宿り、それがわたしの意識と一体化したと結論せざるを得ない。
疑問点は多々ありますし、かなりチャレンジングな研究内容ですが、このような様々な挑戦によって、最大の難問と言われている「意識とは何か?」について今後解明が進んでいくことが望まれます。
また、この分野での研究開発の途中で得られた果実をもとに、脳機能支援や脳機能代替といった先進的な医療技術に導入されることが期待されます。ただ、脳機能を人間がコントロールできてしまうということは、悪意をもった人が現れた場合、人をコントロールすることにつながる危険性があるので、倫理的な問題として、科学者だけでなく様々な立場の人々の参加を得て、真剣に議論されるべきでしょう。
ところで、遠い将来にもし「デジタル不老不死」が実現される場合、人が永遠に生き続けることになりますが、はたしてそれが望ましい姿なのか、という疑問も生じます。これも議論されるべき問題だと思われます。新しい命が生まれる数よりも、「長老」の数ばかりが増えることにつながりかねないという側面もありますし、ほかの生物同様に、死をそのまま受け入れることこそが、この宇宙における望ましい姿とも言える可能性があるからです。
ここでは一部しか紹介できていませんので、興味を持った方は、実際にこの本を購入するなどして、じっくり全体を読んでみてください。