野村泰紀氏の「マルチバース宇宙論」(星海社)の内容について、重要なポイントをまとめてみました。
第1章 「宇宙」って何?
我々の宇宙とは?
我々の銀河系も数多く存在する銀河系の中の一つにすぎないことは20世紀初頭には明らかになる。また、我々の周りの世界は観測的に(粗っぽく言って)ほぼ一様であることが現在分かっている。そしてこの一様な領域は全て「標準模型」と呼ばれる素粒子の理論(正確には、それをダークマター、ダークエネルギーと呼ばれるものをも含め拡張したもの)で正確に記述されることも分かっている。この領域が、我々が宇宙と呼ぶものである。
具体的には、我々の宇宙には3つの空間次元(x,y,z)を持ち、その上には6種類のクォーク、6種類のレプトン、ヒッグス粒子と呼ばれる素粒子たちが住んでいる。(我々のよく知る電子は、レプトンの内の一つである。また、陽子や中性子は、ぞれぞれ3つのクォークによって作られた複合粒子である。)これらの素粒子は、(重力に加えて)電磁気力、弱い力、強い力と呼ばれる力によって相互作用を及ぼしており、その質量および相互作用の強度などは宇宙のどこに行っても同じである。
より正確には、まだ我々がその正体をよく知らないダークマターと呼ばれる粒子も存在していることが分かっているが、その性質も宇宙のどこに行っても同じと考えられている。
膨張する宇宙
アインシュタインは重力を時空の幾何学として記述する一般相対性理論を1916年に完成させたが、その発表から1年も経たず、それを宇宙全体に適用してみた。そこで得たのは、宇宙は膨張するか収縮するのかのどちらかでしかないという答えであった。彼は、その答えを受け入れることができず、理論を修正し、膨張も収縮もしない定常な宇宙が得られるよう試みた。
この状態は1929年に劇的に解決される。アメリカの天文学者、エドウィン・ハッブルが宇宙膨張の証拠を見つけたのである。実際にハッブルが見つけたのは、(ほぼ)全ての銀河は地球から遠ざかっており、またそのスピードは遠くにある銀河ほど速いということである。
宇宙が膨らんでいると言うと、初め小さかった宇宙が大きくなっていくというイメージを持つかもしれない。しかし、これはそうとは限らない。膨張宇宙の「大きさ」は最初から無限であり得るのである。すなわち、宇宙が膨張しているとは、宇宙の異なる点の間の距離(例えば銀河間の距離)が一緒に大きくなっていく現象のことであり、それは必ずしも宇宙全体のサイズが有限であり、それが時間と共に大きくなっていくということではない。
もし宇宙が膨張を続けているのであれば、初期の宇宙はその内容物がもっとぎゅうぎゅうに詰まった高密度の状態であったはずである。そして、エネルギーがそのように高密度に詰まっているということは、高温であることを意味する。すなわち宇宙は高温・高密度の「ビッグ・バン」から始まったはずであり、現在の「ほぼスカスカ」な宇宙はこの状態から膨張を通して得られたものだということになる。
若い宇宙は見えている!
では、このビッグ・バン宇宙論は観測的にはどの程度確かめられているのだろうか? 実は、年齢がまだ約40万歳、温度が3000度程度だった頃の初期の宇宙は「直接見えている」のである。(ちなみに現在の宇宙の年齢は約138億歳、温度は絶対温度にして2.7度、摂氏マイナス270度程度。)
このことを理解するには、光の速さが有限(秒速約30万キロメートル)であることに注意すればよい。今、1000光年(光が1000年かかって進む距離)の彼方にある星を見たとしよう。それは、それは我々が今見ている光はその星を1000年前に出発したことを意味する。すなわち、我々はその星の1000年前の姿を見ているのである。だから、もしさらに遠くの銀河、例えば1億光年の彼方にある銀河を観測すれば、我々は宇宙の1億年前の姿を見ることができるのである。
ビッグ・バン宇宙論によれば、初期の宇宙は高温高密で光り輝いていたはずである。であれば、星々や銀河よりさらに遠くの背景はピカピカに光り輝いているはずである。なのに、夜空は暗い。なぜ夜空は輝いていないのだろうか?
実は、輝いているのである。ただし、宇宙が膨張しているため、我々に届く光はドップラー効果によりその波長が間延びして、可視光の範囲を超えているので、見えない。光も波とみなせるため、遠ざかっていくものから発せられた場合その波長は長くなり、初期宇宙からの光はちょうど電波領域になっているのである。つまり、電波で見れば実際夜空はピカピカに光り輝いているのである。
この初期宇宙から来る宇宙背景輻射(ふくしゃ)と呼ばれる電波は、ペンジアスとウィルソンにより1964年に偶然発見された。また、後の詳細な解析により、この宇宙背景輻射は宇宙の温度が3000度程度、その年齢が現在の宇宙年齢の約35000分の1程の頃に発せられたことが分かる。この「若い時代の宇宙」を我々は直接見ることができるのである。
現在我々は、詳細な観測により、この時代の宇宙がたった10万分の1程度の密度揺らぎしかない完全に一様なスープにような状態であったことを知っている。この一様な宇宙は、膨張を続けながら現在の宇宙へと至る。その過程で、わずかに(ほんの10万分の1程の)密度の高い領域は重力により、より多くの物質を引きつけ、より高い密度になっていく。そしてそれに従って、密度に低い領域の密度はより低くなっていく。この重力による不安定性の結果が、我々の知る銀河団、銀河、恒星なのである。
実際現在の我々は、衛星の観測等によりこの時代の全天の詳細な地図をもっている。そしてこの10万分の1程度の密度揺らぎしかない初期条件からコンピューターでシミュレーションすることにより、ほぼ現在の宇宙を再現することができるのである。
より初期の宇宙(ビッグ・バン宇宙)
宇宙背景輻射が発せられた時代より前の宇宙は、電磁波である光、電波等を使って直接見ることはできない。40万歳より以前の宇宙の密度は高すぎて、電磁波が遮られてしまうのである。つまり、宇宙背景輻射が発せられたところは「光(電波)の壁」となってしまって、それより先を見ることができない。
我々は、一般相対性理論を持っているので、その方程式を時間を逆に解いていくことにより、より初期の宇宙はどうなっていたのかを知ることができる。またそのようなより高温高密の世界で何が起こったかは、素粒子の標準模型を使えば調べることができるのである。
さて、この(水素以外の)原子核が初めて作られた「ビッグ・バン原子核合成」は計算で簡単にシミュレートすることができる。特に、この時に作られた重水素、三重水素、及びヘリウム、リチウム、ベリリウムとその同位体の宇宙全体に存在する質量の比は精密に計算でき、それは観測とよく一致している。つまり、我々は宇宙が誕生して約1分以降の歴史は、かなり詳細に知っているのである。
それによれば、宇宙で(陽子そのものである水素以外の)原子核が合成されたのは、宇宙の年齢が約1分から10分くらいまでに間であることが分かる。それ以前の宇宙には原子核というものは存在ぜす(ということはもちろん原子も存在せず)、陽子、中性子、電子(及びニュートリノ、光子)が飛び回っているだけのプラズマ状態であった。
ビッグ・バン原子核合成以前の宇宙の歴史に関しては、主にまだ理論の領域である。ただし、この時期に何が起こったかの概要は分かっている。まず、温度が約1兆度以上、年齢にして1マイクロ秒(10ー6秒)以前の宇宙には、陽子、中性子、及び核力を媒介するパイ中間子などはまだ存在せず、その構成要素であるクォークが飛び交う世界であった。
そして、さらに年齢が10ー12秒程(温度にして数百兆度程度)より前には、電磁気力と弱い力は電弱相互作用として「統一」された状態にあり、またクォークとレプトンの質量はゼロであった。つまり、宇宙が膨張して冷えるにつれ、年齢が10ー12秒程に時期に電磁気力と弱い力は我々が知るように全く異なる力として分かれ、また電子を含む素粒子(クォーク、レプトン)は初めて質量を持ったのである。これはヒッグス場と呼ばれる空間に満ちている「もの」が凝縮することによって起こった。(我々が真空と呼んでいる状態でも様々な場と呼ばれるものが存在しているというのは、20世紀の素粒子物理学により得られた大きな知見の一つである。場の力学を記述する理論は「場の量子論」と呼ばれている。)
謎の物質ダークマター
このようにしてどこまで宇宙の「熱史」を遡れるかについては、まだ完全に分かってはいない。ただ多くの研究者は相当初期の状態、例えば温度にして1021度以上、年齢にして10ー25秒以前、くらいまでは遡れるのではないかと考えている。そしてこのような超初期の宇宙では、二つの大きな出来事が起こったと考えられている。
一つは現存するダークマターの量が、この時期の歴史で決まったであろうということである。ダークマターとは、その存在が宇宙論的観測から強く示唆されるものの、素粒子の標準模型には含まれていない未知の粒子である。このダークマターの証拠は多岐にわたっており、その存在はもはや疑いのないのものであるが、そのいくつかは以下のようなものである。
まず第一には、観測される星やガスの量を全て足しても、必要な重力作用から導かれる銀河系の質量に全く足りないことが挙げられる。これは、我々の知っているクォークやレプトンなどの素粒子以外の「見えない質量」が我々の銀河系に満ちていることを示している。同様の結果は、他の銀河についても当てはまり、これは銀河というものがほぼダークマターからできており、我々の知っている粒子はそのほんの一部でしかないということを意味している。
先に宇宙背景輻射の時代の10万分の1程度の密度揺らぎから、現在の宇宙がシミュレーションできると言った。これも、ダークマターの存在を考慮に入れて初めて現在の観測と合うのである。また、ビッグ・バン原子核合成のところで計算による様々な元素の宇宙における質量比が観測と合っていると言ったが、これもダークマターの存在を考慮に入れた場合にのみ他の観測との整合性がとれる。
ここで重要なのは、これらの異なる考察から示唆されるダークマターの量が、全て一致しているということである。それによると、宇宙に存在する全物質のおよそ5分の4がダークマターであり、我々の知っている粒子は5分の1程度に過ぎない。さらに近年、現在の宇宙に存在するエネルギーのほとんどは物質ですらないということも分かってきた。
(NASAのHPから)
物質が反物質より多い宇宙へ
初期の超高温高密の宇宙で起こったもう一つの重要な出来事は、現在我々が見ているような物質が反物質に比べて優勢の世界が作られたことである。反物質とは、全ての粒子に対して存在する、質量が同じでそれ以外の性質が正反対の粒子のことである。
これらの反物質は、ある意味「マイナス」の物質のようなものである。例えば、反物質が対応する物質と出会うと、対(つい)消滅という現象を起こして共に消えてしまう。
不思議なのは、このような物質と反物質は対象な性質を持っているように見えるのに、我々の宇宙には主に物質ばかりが存在し、反物質はほとんどないように見えることである。もし宇宙初期い物質と反物質が同じ量存在したならば、そこからいくら対消滅や対生成を繰り返したところで物質と反物質の量は同じままのはずである。実際、宇宙超初期の物質と反物質の量は同じであったと考えられる。どのようにして、現在我々が見る物質優勢の世界は宇宙の進化の過程で形作られたのだろうか?
この問いに対する一般的な答えは、ロシアの科学者アンドレイ・サハロフによって1967年に与えられた。サハロフは、粒子と反粒子の質量、寿命などは場の量子論の帰結として同じであるものの、その相互作用の詳細については完全に同じとは限らないということに注目した。そして、サハロフは、物質数と反物質数が同じ宇宙から出発して、物質数優勢な宇宙への導けることを示した。
この「物質数の生成」は、基本的には以下のようにして起こったと考えられる。まず宇宙の超初期の超高温高密の時代には、物質と反物質は同じ量だけ存在していた。しかし、CPの破れの効果(粒子と反粒子の相互作用が完全に対称ではない効果)により、宇宙進化の過程で二つの量の間にほんのわずかな差が生じた。(観測から逆算すると、この違いは約6×10ー10程度であったことが分かる。)そしてさらに宇宙が冷える過程で、これらの物質と反物質はそのわずかな違いの分を残して全て対消滅してしまい、物質のみの宇宙が残ったのである。
ビッグ・バン宇宙に残された謎
現在では、もはやビッグ・バン宇宙論の基本的描像はほぼ疑いのないものである。それによれば、我々の宇宙はその初期にはほぼ完全に一様な超高温高密の世界であった。そして我々やその周りの世界を構成する物質は、反物質と対消滅を逃れたわずかな「残りカス」であり、また銀河、星、生命等を含むその全ての構造はたった10万分の1の初期の密度揺らぎから生じた「さざ波」のようなものにすぎないのである。
密度が一様でなかったことは宇宙が現在の形をとるうえで極めて重要なことであったと言える。しかし、どうせ一様でないならなぜ全く一様でない宇宙にならず、「ほぼ一様な」宇宙になったのだろうか?
他にもビッグ・バン宇宙論で説明できない現象の一つとして、宇宙が極めて平坦であることが挙げられる。宇宙が平坦であるとは、宇宙の異なる3点を最短の線で結ぶ三角形を作ったとき、その内角の和がちょうど180度になる性質のことである。我々は小学校で三角形の内角の和は180度であることを学ぶ。しかし、実はこの性質は自明のことではないのである。
もし宇宙空間が球面のようなものであれば、3点を最短の線で結んで作った三角形の内角の和は180度より大きくなるはずである。そして、この180度からのずれは、三角形が大きい程大きくなるのである。(これと同様に、三角形の内角の和が180度より小さくなる空間、すなわち負の曲率を持った空間というのも考えられる。)
現在の観測によれば宇宙は非常に平坦、つまりその曲面は極めて小さいことも分かっている。なぜ宇宙は「(球面のような)正の曲面を持つもの」や「負の曲面を持つもの」ではなく、ちょうど中間の「曲率ゼロ(か極めてそれに近い値)を持つもの」なのだろうか?
ビッグ・バン宇宙論はこれに答えることができない。
ビッグ・バン以前の宇宙(インフレーション宇宙)
1980年、アラン・グースは、これらの謎を解く鍵としてインフレーション理論を提唱した。この理論によれば、宇宙は高温高密のビッグ・バンの時代に突入する前に、信じられない程急激な(「指数関数的な」)膨張を引き起こしたとされる。このように急激な膨張は、宇宙をほぼ完全に平坦かつ一様にしてしまう。(この時の温度はゼロ。)やがてこの急膨張の時代は、それを引き起こす原因となった場のエネルギーが熱エネルギーに変換されることによって終わりを迎える。そしてこの熱エネルギーは宇宙を高温高密に加熱することになり、ビッグ・バン宇宙へとつながっていくのである。
インフレーションによる急膨張が起こった時期は正確には分かっていないが、宇宙誕生より10ー38秒から10ー26秒くらいの間だったと考えられている。このインフレーションによる爆発的宇宙膨張は、通常のビッグ・バン宇宙の膨張とは質的に異なるものであり、「指数的」である。つまり、宇宙の2点間の距離は単位時間の間に倍増していくのである。
量子力学を特徴づける性質のなかで重要なものの一つに、粒子は一般に一つの場所に存在することはなく、同時に様々な場所に確率的に存在するということが挙げられる。
量子力学によると、ある時間に電子がこの領域中のどこどこに存在しているという記述は全く意味がない━━それは原理的に決定不可能である。
実はこの量子力学による非決定論的な効果は、粒子の位置に関してだけでなくより一般に当てはまる効果である。特に、インフレーションを引き起こしている場に対しても例外ではなく、その値はある程度の確率的な広がりを持つ。これはインフレーションを起こす場のエネルギーを各点で測った場合、その値は場所によって確率的に変動するということを意味する。(この確率分布は量子力学により正確に計算できる。)そして、この変動はインフレーションが終わった後には、場所による熱エネルギー(すなわち温度、密度)の変動に変換される。つまり、インフレーション後に始まるビッグ・バン宇宙はほぼ一様であるものの、量子力学の効果を考慮に入れるとその温度、密度は僅かに変動していなければならないのである。そしてこれこそが宇宙背景輻射で見つかった初期宇宙の密度揺らぎの起源なのである。
我々の住む宇宙の全貌
これが現在我々が宇宙に関してかなりの確信を持って言えることの概要である。宇宙は誕生後10ー38秒から10ー26秒くらいの間にインフレーションと呼ばれる急激な膨張を経験し、その後その膨張に関与したエネルギーが熱エネルギーに変換されることによって高温高密なビッグ・バン宇宙へと変換した。そのビッグ・バン宇宙は(インフレーション期の膨張に比べればはるかにまろやかであるものの)更なる膨張によって冷えてゆき、現在の摂氏マイナス270度程度の宇宙になったのである。
(NASAのHPから)
この描像によれば銀河団、恒星、惑星、さらにはその上の生命まで、現在我々が見る宇宙の全ての構造の起源はインフレーション期の量子力学的揺らぎであった。この僅かな揺らぎが後の宇宙で重力により増幅され、現在見る世界が形作られたのである。さらに、我々が知る物質は宇宙に存在する(ダークマターを含めた)全物質の一部でしななく、さらにそれは反物質との大量の対消滅を逃れたほんの僅かな残りカスでしかない。
この宇宙の歴史を少し科学者っぽい絵で描くことを考えてみよう。物理学者はよく時間と空間を一緒にした「時空図」を描くことがある。その場合、時間方向を縦に空間方向を横にとり、光の進む経路が45度になるように描くことが一般的である。(このような図はペンローズ図と呼ばれており、物事の因果関係を明確にするので便利である。例えば、ある一点で起こった出来事が影響を及ぼし得る領域は、あらゆるシグナルの速さが光速を超えられないことからその点の上方、左上45度と右上45度の間の領域に限られる。同様に、その一点に影響を与える領域は下方、左下45度と右下45度の間の領域のみである。)これに従って今まで見てきた宇宙の歴史を単純に時空図にしようとすると、次のようになる。
しかしこの一見問題なさそうな図は、最新の理論によれば決定的に間違っているかもしれないのである。実際、これから見ていくマルチバース理論は上図に示されるのとは全く違う描像を我々に提示することになる。
第2章 よくできすぎた宇宙
素粒子の不思議な構造
我々が直接(重力以外の力を通して)観測できる現象は素粒子の標準模型で極めてよく記述される。この模型は20世紀の半ば、主に1950年代から70年代にかけて多くの物理学者の手によって完成したもので、ゲージ理論という極めて美しい数学的構造に基づいて作られている。
標準模型には理論で決めることのできない幾つかのパラメータが存在する。その多くは、模型に存在する粒子の質量に関するものであり、実験的に(誤差の範囲で)値が分かっている。例えば6つのクォークの質量(軽い順にアップ(u)、ダウン(d)、ストレンジ(s)、チャーム(c)、ボトム(b)、トップ(t))はある単位で、およそ0.002、0.005、0.094、1.67、4.78、173。同様に、3つの電荷ー1を持つレプトンの質量(軽い順に電子(e)、ミュー粒子(μ)、タウ粒子(τ))は、0.00054858、0.10566、1.7769である。(ニュートリノの質量は3つとも無視できるほど小さい。)これらの値には何か「根源的な」意味があるのだろうか? しかし懸命の努力にもかかわらず、全てのパラメータの詳細な値を説明できる理論はまだ見つかってはいない。
(KEKのHPから)
基本的構造にしてはあまりにも恣意的だ
このような試みを続ける中で一部の科学者が感じたことは、標準模型のパラメータの値があまりにも恣意的過ぎるということである。先に与えたクォーク、レプトンの質量はあまりにもランダムに見える。しかも、標準模型には他にもこれらの粒子の「混合」と呼ばれる現象を司るパラメータが存在し、その値も極めてランダムに見える。
もしかしたら我々が自然界の「基本的性質」だと思っているもの━━例えばクォーク、レプトンの質量・混合角や標準模型の構造自体━━も太陽と惑星間の距離がそうであったように本当は根源的なものではないのではないか? つまり、太陽系が唯一無二の惑星系ではなかったように、我々が唯一無二と思っている標準模型で記述される宇宙も実は数ある「宇宙たち」の一つに過ぎないのではないか? そしてもしそうだとしたら、標準模型のパラメータを根源的理論から詳細に計算しようという試みは、太陽と惑星間の距離を物理学や数学の基本原理から直接導出しようとする試みと同じ程度に意味のない(もしくは成功の可能性のない)ことなのではないか?
このような「心配」は、1998年にソール・パールマヌー、ブライアン・シュミット、アダム・リース等に率いられた二つのチームが宇宙の加速的膨張を発見したことによって一気に避け難いものとなる。
真空のエネルギーと宇宙の加速的膨張
一般に物質間に働く重力は互いに引き付けあう力、引力であるから、宇宙の膨張は常に減速するはずである。(実際、パールマター、シュミット、リースらの実験は宇宙の膨張がどのくらいの割合で減速しているかを示す「減速パラメータ」という量を測ろうとして始まった。そして彼らは負の値を観測したのである。)逆に言うと宇宙の膨張が加速しているというのは、物質以外の何かが宇宙に存在していることを意味する。それは何なのだろうか?
粒子が全く存在しない状態、通常我々が真空と呼ぶ状態でも空間には常に「場」というものが存在している。一般にこれらの場は様々な値を取ることができ、その値に応じて空間はエネルギーを持つことになる。しかし一般に十分時間が経つと、場はそれのもたらすエネルギーが最小になるように値を調節し、宇宙は最低エネルギーの状態に落ち着くことになる。これが物理学者が真空と呼ぶ状態である。
いま真空のエネルギーがゼロではなく、正の値と取ったとしよう。この場合、一般相対性理論の方程式を解くと空間は加速的に膨張するということが分かる。(反対に真空のエネルギーが負であったとすると、空間の膨張はどんどん遅くなって、さらには膨張は収縮に変わり、最終的には空間はあらゆる2点間の距離がゼロになるよう縮んでいってしまう。)つまり、パールマター、シュミット、リースらの観測は現在の宇宙の真空のエネルギーが正であることを測ったことになるのである。
1998年の発見以前にも物理学者たちは、真空のエネルギーが一時的に正になったように見えることがあるのは知っていた。例えば、場がゆっくり動いているような状態では、場の値が変化している効果は事実上無視でき、あたかも真空が正のエネルギーを持っているかの如く空間が(一時的に)加速膨張をすることが起こり得る。しかし、多くの物理学者たちは「真の真空」のエネルギーはゼロであるだろうと考えていた。そしてそれは根拠のない推測ではなく、以下のような議論に基づいていた。
先に、量子力学は一般にあらゆるものにある種の揺らぎをもたらすということを見た。これを真空に当てはめた場合、その効果は真空のエネルギーがシフトするということになって現れる。この真空エネルギーの量子力学による補正は(きわめて特別な理想化された場合を除いて)現在の理論的枠組みで正確に計算することはできない。しかし、その大体の大きさは見積もることができる。
その結果は、当時の実験で許される最大の値(パールマスターらが実際に見つけた値の数倍程)より約120桁大きかったのである。これは恐らく理論物理学史上、最も失敗した予言であろう。そこで理論物理学者たちは、自然界には何かまだ我々の知らないメカニズムがあって真空のエネルギー値をゼロにしているのだろうと考えた。
しかし、1998年に発表された観測結果は理論値より120桁小さい値を実際に測ってしまったのである。第一報を得た時には半信半疑の研究者も多かった。しかし時が経つにつれて新たなデータも加わり、宇宙が加速膨張していることは急速に疑いようがなくなってきた。宇宙には物質以外のエネルギーが存在しているのである。そして、それが実際に加速膨張を引き起こすには宇宙の全エネルギーの主要な要素でなくてはならない。(現在のより詳細な観測では全エネルギーの約69%)この新たなエネルギーは、真空のエネルギー以外の可能性も残すために、ダークエネルギーと名付けられた。(しかし現在多くの科学者はその正体は真空のエネルギーだと考えている。)
大いなる謎
最近の詳細な観測によれば、現在の我々の宇宙の全エネルギー密度の約7割が真空のエネルギーによるもの、そして残り約3割が物質によるものである。つまり真空と物質のエネルギー密度の大きさはたった数倍程度しか違わない。実はこれはかなり不思議なことなのである。というのも両者の時間依存性は全く異なるからである。
一般に時間が経って宇宙が膨張していくにつれ、物質のエネルギー密度は薄まって小さくなっていく。これは初期の宇宙では物質のエネルギー密度は今よりももっと大きかったということを意味する。例えば、ビッグ・バン原子核合成の頃の物質のエネルギー密度は現在のそれより約30桁ほど大きかった。一方で、真空のエネルギー密度の方は宇宙膨張の影響を受けず、したがって時間によって変化しない。
これは初期の宇宙では、物質のエネルギー密度の方が真空のエネルギー密度よりもはるかに(何十桁も)大きかったということを意味する。また、将来の宇宙では逆に真空のエネルギー密度の方が物質のエネルギー密度よりもはるかに大きくなるはずである。実際、いったん真空のエネルギーの方が支配的になると宇宙は加速度的に膨張するので、物質のエネルギー密度は急速に薄まり事実上ゼロになってしまう。我々はこの二つのエネルギー密度がほぼ同じ大きさで存在する特別な時代に生きているのである。(このことの概念的なスケッチは下図のとおり。横軸と縦軸は対数、つまり10xと書いた時のx’のようなものだと思ってもらいたい。)
この事実は物理学者たちを完全に混乱させた。仮に宇宙初期に真空のエネルギーを決定する何らかのメカニズムが存在したとしよう。そのメカニズムが働いた頃には真空のエネルギーは宇宙の支配的なエネルギー(物質のエネルギー)に比べて完全に無視できる程小さかったはずである。そんな完全に無視できる程のものを微妙に調節するメカニズムが存在するだけでも考えづらいのに、しかもそれがいつ高等生物である人間が生まれて宇宙を観測することになるかあらかじめ「知って」おり、ちょうどその(百数十億年もの後の)時代に二つのエネルギー密度が同程度の大きさになるように働いた、などというのは到底まともに考えられることではなかった。
第3章 「マルチバース」━━無数の異なる宇宙たち
ワインバーグの洞察
1987年、スティーブン・ワインバーグは、真空のエネルギーに関する一つの論文をフィジカル・レビュー・レターズ誌に発表した。この論文は発表された当初はあまり注目されなかったが、後に大きなインパクトを与えることになる。
ワインバーグは、いくつかの先立つ研究者の示唆に従って「人間原理」と呼ばれる考えに注目した。いま、異なる真空のエネルギー値をもった沢山の「宇宙たち」があったとしよう。ここでの議論では、これらの宇宙たちがどのように存在しているのかは関係ない。想像を絶するほど巨大な空間の中のいくつもの領域が異なる真空エネルギー値をもった異なる宇宙に見えるのかもしれないし、このように異なった宇宙が時間が経つにつれ繰り返し実現されるのかもしれない。またいくつもの宇宙が「パラレルワールド」のように並行して存在するのかもしれない。いずれにしても、ワインバーグはこれらの真空のエネルギー値が違った宇宙では何が起こるのかを考えてみたのである。
彼が得た結論は、もし真空のエネルギー密度が現在の物質のエネルギー密度より数桁以上大きかったならば、そのような宇宙には銀河、星をはじめとするあらゆる構造━━それは生命も含むだろう━━が存在し得ないということであった。もちろん、これらの異なる宇宙たちの真空エネルギー密度の「自然な大きさ」は物質のエネルギー密度より120桁大きい。しかし、もし異なる宇宙の種類が10120以上あったならば、その中のいくつかの宇宙はたまたま小さい真空のエネルギー、すなわちその内部の構造が生まれ得る範囲の真空のエネルギーを持つだろう。(例えば宇宙の種類が10140あったとすれば、そのうち10140×10ー120=1020種類の宇宙は構造が許される程度に小さい真空のエネルギーを持つだろう。)そして、銀河や星、生命といった構造はこのような宇宙にのみ生じ得るのである。これは逆に言えば、もし宇宙に知的生命体が現れて真空のエネルギー密度を測定したならば、彼らは必ず理論の自然な値より120桁程小さい値を観測するということになる。なぜなら、そうでなければ彼ら自身が存在しないからである。
この「人間原理」の考え方は、なぜ我々が観測する真空のエネルギーが理論の自然な見積もり値に比べて120桁程度も小さいのかを説明する。ここで重要な点は、この考え方は「真空のエネルギー密度が現在の物質のエネルギー密度より遥かに小さいことはない」という予言をする点である。なぜならワインバーグ自身も議論したように、宇宙が高等生命体を生じるためには真空のエネルギー密度は物質のエネルギー密度程度に小さくなくてはならないが、それ以上小さい必要はないからである。
いま、無数にある宇宙の中で真空のエネルギー値が複雑な構造を許す範囲(物質エネルギー密度と同程度)に入った宇宙があり、そこに高等生命体が生じたとしよう。その場合、その宇宙の真空のエネルギー値がたまたまゼロに近い、すなわち生命体が生じるのに必要な以上に小さい値を持つ可能性は低いであろう。つまり、この考え方が正しければ、真空のエネルギー密度は物質のエネルギー密度とほぼ同じ大きさで観測されるはずだと言えるのである。
そして、これはまさに1998年にパールマター、シュミット、リース等の観測で示されたことであった。自然界には無数の異なる宇宙が存在するという一見突拍子もない考えは、他のどの理論も説明し得なかった真空のエネルギー密度の小ささを説明しただけでなく、それが人間が宇宙を観測した時(すなわち高等生命体が生じた時期)の物質のエネルギー密度とほぼ同程度の大きさであることまで予言し、それが実際に観測で確かめられたのである。
しかし、無数の異なる宇宙が存在するという仮定は当然ながら大きな仮定である。確かにこれが真空のエネルギー値を説明するために現在物理学者が持つ唯一の理論であるというのは重要な示唆ではあるが、「大きな仮定を受け入れるのには根拠は強いほどよい」というのは理性的な態度である。では、このこと以外に宇宙が沢山あるという示唆はあるのだろうか? 実はあるのである。しかも以下に述べるように、理論物理学の基本的方程式は既に1980年代からこのような描像を示唆し続けていたのである。
超弦理論と量子力学の問題
先に素粒子の標準模型には重力が含まれていないと述べた。実は、標準模型に含まれないのみならず、完全に量子力学的な重力理論は長い間その手掛かりさえもつかめなかったのである。その理由の一つは「発散」の問題である。アインシュタインの一般相対性理論を単純に量子力学的にして物理量(我々が観測できる量のこと)を計算すると、結果が全て無限大になって(発散して)しまうのである。
この問題は常に理論物理学の主要な問題であった。多くの一線級の物理学者たちがこの問題に挑戦してきた。しかし問題はあまりに大きく見えた。しかも、重力が他の力に比べてあまりにも弱いため、実験で重力の量子的性質に迫ることはできそうになかった。
しかし、発展は1970~80年代に思わぬところから現れた。1970年代、強い力がゲージ原理に基づく力として理解できることが明らかになる前、ある理論形式がこの力を記述する理論の候補として調べられていた。それは弦理論と呼ばれ、自然界の基本的構成要素は点状である粒子ではなく、ひも状の弦(ストリング)であるというものであった。
1980年代に入ると、ジョン・シュワルツとマイケル・グリーンは弦理論の持つ数々の好ましい性質を明らかにしていった。特に超対称性と呼ばれる構造を加えるた超弦理論と呼ばれる形式はきわめて美しく、有望に見えた。そして遂に1984年、二人はこの理論が無矛盾な、重力を含む完全な量子力学的理論であることを証明したのである。そこでは重力の大きさから、弦のサイズは10ー34m程度ととんでもなく小さいことが推定された。(もちろんこれは、超弦理論が実際に自然界において重力を記述する理論であると証明したことにはならない。無矛盾で重力を含む完全な量子理論は他にもあるかもしれない。しかし理論物理学者たちの懸命の探索にもかかわらず、現在でも超弦理論が我々の持つほぼ唯一の完全な量子重力理論であることは変わっていない。)
これが我々の問題にしてきた真空のエネルギー値の話とどのように関係しているのだろうか?
まず第一に、超弦理論は、我々が量子力学と一般相対性理論を継ぎはぎにして理解しようとしてきた真空のエネルギー値の見積もりが基本的に正しかったことを教えてくれる。つまり、真空のエネルギーの理論的に自然な値は、超弦理論においてもやはり観測値より120桁程度大きい。これは、我々の理論的な考え方が決定的に間違っていたわけではないという意味では朗報だが、しかしこのこと自体は問題の解決に役に立つわけではない。(むしろ、真空のエネルギー値の問題がリアルであると決定づけえることになっている。)しかし、これとは別のもう一つの超弦理論の性質━━「余剰次元」の存在━━は、思わぬ形で問題の解決への助けとなってくるのである。
余剰次元が沢山の種類の宇宙を予言する!
超弦理論の予言の一つに、時空の次元が4より大きいというものがある。我々は通常、三つの空間次元と一つの時間次元を持つ、4次元時空に住んでいると考えている。
しかし、超弦理論によると、理論が数字的に無矛盾であるためには時空の次元の数は10でなくてはならないのである。
これを理解するために、円筒状の細長いチューブを考えてみよう。この表面は2次元の空間である。しかし、もしこのチューブを大きなスケールから眺めたら、それはただの線、すなわち1次元空間に見えるであろう。
つまり、もし空間の中のいくつかの方向が(この場合、円状に)「丸まって」おり、その大きさが知覚できるサイズよりはるかに小さかったならば、その方向に対応する次元は「小さすぎて見えない」ということになる。超弦理論によれば、我々の時空にはこのような小さな6(10-4)次元の丸まった「余計な」次元が存在しているということになるのである。このような次元をコンパクト化された次元、もしくは余剰次元という。
先のチューブの例は、「我々」(大きなサイズの存在)が知覚できる1次元の空間の各点に、円状の余剰次元が付随していると記述することができる。同じように、現実の世界では、4次元時空の各点に6次元の余剰次元が付随していると考えることができるのである。重要なのは、1空間次元に1余剰次元が付いた単純な場合と異なり、この6次元空間は様々な複雑な形を取ることができるということである。
これらの余剰次元の大きさは、弦のサイズ(大体10ー34m)かそれよりも少し大木程度だと考えられるので、我々はそれを直接感知することはできない。(余剰次元を丸めるメカニズムを考えると、通常弦の大きさ程度になる。)しかし理論を詳細に解析すると、6次元空間をコンパクト化して得られた4次元時空の性質━━例えばそこに現れる素粒子の種類、質量や真空のエネルギーの値等━━は6次元空間の構造で決定されることが分かる。これは、我々は6次元空間を「平均化」した世界を認知しているからであり、その世界は当然6次元空間の構造に影響を受けるからである。では、この6次元空間の構造はどのようにして決まっているのだろうか?
アインシュタインの一般相対性理論でも既に明らかなように、時空は歪んだり曲がったりできる動的なものである。そして余剰次元においては、この曲がりが空間を丸めてしまっているのである。この丸まった空間の形は、当然時空の力学(ダイナミックス)で決まってくる。そして一般に複雑な系(システム)では、基本方程式は単純でもそれによって実現する世界は極めて大きな多様性を示す。6次元空間も基本方程式は単純でも、驚くほど多くのバラエティーを持つことができるのである。
ある計算では、十分に安定な6次元コンパクト空間の数は10500かそれ以上と見積もられている。その形に対応するポテンシャルエネルギーを縦軸に取ることにより、下図のように模式的に表すことができる。
余剰次元の形を決める力学は、この図で小さなパチンコ玉を転がしていくようなものとして理解できる。玉の最初の位置や速度に応じて球は様々な谷間(ポテンシャルエネルギーの極小点)に行き着くであろう。そしてこの異なる谷間は、様々な余剰次元の形に対応しているのである。
この余剰空間が極めて沢山の種類(10500かそれ以上)の構造を持つことができるという事実は、それだけ多くの種類の異なる宇宙が超弦理論の枠内で実現し得るということを意味する。そしてこれらの異なる宇宙では、素粒子の種類から真空のエネルギー値に至るまで、様々なものが異なっている。しかも、コンパクト化される次元の数はいつも6とは限らないので、時空の次元も常に4とは限らない。
つまりこれら多くの宇宙では、我々が基本的だと思っていた多くのこと(空間の次元、力の種類、素粒子の質量等)が我々の住む宇宙とは根本的に異なっているのである。(ただし、これらの宇宙も自然界のより深い原理、例えば量子力学にはその全てが従うと考えられる。)そしてこの性質の異なる様々な宇宙が存在するということは、先に述べた真空のエネルギー値の問題を人間原理的に解決するために正に必要な条件なのである。
この超弦理論が原理的に極めて多くの宇宙を生じ得るという事実は1980年代からも知られてはいたが、2000年にラファエル・ブッソとジョセフ・ポルチンスキーが真空のエネルギー値と絡めた簡単な模型を提示したことによって一気に注目を集めるようになった。この弦理論による多数の宇宙を生む構造は、現在ではストリング・ランドスケープ、もしくは単にランドスケープと呼ばれている。
永久インフレーションと無数に生成される宇宙
しかし、理論が沢山の種類の宇宙を方程式の解、つまり可能性として持つというだけでは、真空のエネルギー値の問題を解くには十分ではない。ワインバーグの考えをあてはめるためには、これらの宇宙が実際に現実のものとして生じている必要がある。これについてはどうなのだろうか?
いま、異なる宇宙が二つ存在する場合を考えよう。
ここで図の横軸は余剰次元の形式(それはコンパクト化されていない次元から見た場合、場の値として記述することができる)を表す。いま時空が最初に左側の極小点で表される宇宙Aから始まったとしよう。(図a)
この宇宙はポテンシャルエネルギーの極小点にあるので、安定である。つまり、先のパチンコ玉のたとえで言えば、玉はこの点からどこへも転がることができないので、ずっとそこに留まり続ける。
しかし、この結論は量子力学を考えると変わるのである。量子力学では、非常に小さな確率ではあるが、物が古典力学的には乗り越えられないはずの障壁を通り抜けたように動くことが起こり得る。(これはトンネル効果と呼ばれる。)この場合には、Aにあった玉がある確率でBの側に通り抜け(「トンネリング」し)、そのままBまで転がって行くということが起こり得るのである。(図b)これは、はじめAであった宇宙がBの宇宙に転換し得るということを意味する。
実は、図bのような現象は宇宙のような大きな話を持ち出さなくてもそこら中で見ることができる。一つの例は、水を摂氏100度まで加熱した時に起こることである。この場合には、Aが液体の水の状態、Bが水蒸気の状態を表し、AからBへの転換は、まずAの中にいくつもの小さなBの泡ができ、それが広がっていくという形で起こる。
そして十分に時間が経つと、Bの泡はお互いに衝突して一つになり、全体がBへと転換されることになる。
宇宙の場合にも、同じようなことが起こる。まず、時空がAの状態から始まったとすると、その中にいくつものBの「泡宇宙」ができ、それが広がっていく。しかし、一つ重要な違いが存在する。いま、Aの点でのポテンシャルエネルギーが正であったとしよう。その場合宇宙Aは、先にも述べたように、真空が正のエネルギーを持っているかの如く振舞う。つまり、Aで占められた空間は加速膨張を続けていく。そして、この加速的膨張は一般にBの泡が広がるスピードよりも速いのである。
つまり、Bの泡たちは広がっていくのだが、その間の空間が広がるスピードの方が速いためお互いに衝突できず、それぞれが孤立した宇宙のように振舞うことになる。
また、Aの空間はBで埋め尽くされることなく存在し続けるため、その中に無数のBの泡宇宙が永遠に生まれ続けることとなるのである。この永久インフレーションとも呼ばれる描像は、1983年の論文で既にアラン・グースとエリック・ワインバーグによって調べられていたのものである。
では、このことをより現実的なランドスケープに当てはめたらどうなるだろうか? この場合でも、時空が正のポテンシャルエネルギーを持つどの宇宙から始まったとしても、似たように永遠の加速膨張が起こる。そして、その永久に加速的膨張をしている空間の中に次々と泡宇宙たちが生まれていくのである。
ここで重要なのは、作られる泡宇宙は一種類ではないということである。実際、量子力学的トンネリングは場の空間のどの方向に対しても起こるので、ありとあらゆる種類の異なる泡宇宙が確率的に作られていくことになるのである。
しかも、このようにして作られた泡宇宙の中にもさらに別の泡宇宙が作られていくことになる。特に、作られた泡宇宙が正のポテンシャルエネルギーを持つ場合、その泡宇宙自体も永遠に加速膨張を続け、永久に泡宇宙を生み出し続ける。
ユニバースからマルチバースへ
この永久インフレーションと超弦理論の余剰次元の構造を組み合わせた結果得られる描像としては以下のようなものになる。
それによると、時空では永久に加速膨張を続ける「背景」の中に無限の泡宇宙が生み出し続けられている。さらに超弦理論によれば、これらの泡宇宙は10500かそれ以上もの種類を持っている。これらの異なる宇宙においては、素粒子の種類や性質から真空のエネルギーの値、空間の次元までもが異なっており、我々が住んでいる宇宙、すなわち第1章で見た宇宙はこの無限の泡宇宙の一つにすぎない。これこそまさに真空のエネルギー値の問題を解くのに必要とされていた状況である。
この描像では、ほとんどの泡宇宙は真空のエネルギー値(の絶対値)が大きすぎるため、何の構造も生まれない。しかし、ごくまれに(10ー120かそれ以下の確率で)十分小さな真空のエネルギーの値、及び「適切な」素粒子の種類、性質を持った宇宙が生まれ、そこに生命を育むのである。
これが、(宇宙、ユニバースに対して)「マルチバース」と呼ばれる描像の概要である。ここで強調したいのは、マルチバースは、ただ単に宇宙が沢山あるというぼんやりとした概念ではないということである。それは、超弦理論や永久インフレーションなどの物理学の方程式によって自然に示唆される描像であり、観測された真空のエネルギー(ダークエネルギー)の値を説明する現在我々が持っている唯一の理論として考えられているものである。
泡宇宙なのに無限に大きい?
マルチバース理論によれば、我々の宇宙は無数にある泡宇宙の一つにすぎない。一方で、第1章では我々の宇宙は観測的に極めて一様、すなわちどこまでも同じように続いているように見えることを学んだ。この二つの描像は両立するのだろうか?
実は、我々の宇宙が泡宇宙の一つであるということと、それが一様であるということは完璧に両立するのである。具体的には、泡宇宙が小さく生まれて大きくなっていくという描像と、宇宙が常に一様、つまり生まれた瞬間からどこまでも同じように続く無限の大きさを持っているという描像はお互いに矛盾しないのである。
歴史的に、我々の自然界に対する描像が革命的に変わる時には、常に革命的な概念の変更を伴ってきた。では、我々の宇宙が泡宇宙であるとする際にも何か同様の概念的変更が伴うのであろうか? もし伴うのであるとすれば、それは何なのであろうか?
実はこの場合の重要な概念的飛躍は「時間」というのが誰にとっても同じではない、ということなのである。このことを理解するために、まずアインシュタインの特殊相対性理論で扱われる、お互いに等速度で移動している二つの系について考えてみよう。ここで大事なことは光の速さは誰から見ても一定なのであるということである。
いま、高さ3mの電車が(地表に対して)光速に近いスピードで走っていたとしよう。そしてこの電車内で、光を床から発しそれを天井で反射させてまた床で検出するという実験をしたとしよう。これを電車の中にいる人から眺めたとすると、光は総計6mの距離を進んだことになる。
いま議論を簡単にするため光速が6m/秒だとすると(本当はもっと速いが)、光を発せられてから検出されるまでにかかった時間は1秒だということになる。しかし、この同じ実験を地表の人から見たとするとどうだろう? この場合、光が発せられてから検出されるまでに進んだ距離は、電車が動いている分6mより長い。例えばその距離が12mだったとしよう。すると、この地表の観測者にとっては光が発せられてから検出されるまでにかかった時間は(光の速さは誰にとっても同じ6m/秒なので)2秒ということになるのである。
つまり二つのイベント━━光が発せられたことと検出されたこと━━の間にかかった時間は電車内の人にとっては1秒、地表の人にとっては2秒なのである。(もちろ電車の速さが光速よりはるかに小さかった場合、地表の人からみても光が進んだ距離はほぼ6mであるので、二つのイベントの間にかかった時間もほぼ1秒となる。これが我々の日常生活のような、光速より十分遅い相対速度の状況下での「時間のずれ」が感知できない理由である。)
ここで見たのは、お互いに等速度で動いている系を記述する特殊相対性理論の例であり、より一般の相対運動をも記述する一般相対性理論での時間の性質はもう少し複雑である。しかし、時間というものが誰にとっても同じでないという点に関しては同様である。そして、このことの直接的な帰結として絶対的な「同時」という概念は存在しないということが言え、それは泡宇宙の理解にとって極めて重要になってくるのである。
マルチバースと新たな時空の描像
泡宇宙が時空でどのように生じるのかは、1970年代後半から80年にかけてシドニー・コールマン等によって解析された。それによると、泡宇宙の生成は次のようにして起こることが分かる。
まず、泡宇宙の生成を外から眺めていたとしよう。その場合、初めに小さな泡が生まれ、それが光速に近いスピードで広がっていくという描像が得られる。これをペンローズ図で説明すると、以下のようになる。
ここで、逆三角形の内側の領域が泡宇宙の内部を表し、外側がその中に泡宇宙を生じる「元の」(背景の)宇宙を表す。(ペンローズ図では、光の進む経路を45度で表す決まりになっている。泡宇宙が逆三角形状になっている理由は、「泡の壁」が光速で広がっているからである。)ここで重要なのは、外の宇宙から見た時に自然に定義される「同時刻」は、図上で t=0,1,2,3,4 と示した水平の線で表せるということである。これは時間が経つにつれて、泡宇宙の大きさ(水平の線のうち逆三角形の内部に入る部分の長さ)が大きくなっていくということを示している。
ところが、この同じ泡宇宙生成の過程を、泡宇宙の内部にいる観測者から見たらどうであろう? この場合でも、生成過程のペンローズ図、特に泡宇宙の「壁」が45度に広がっていくということは同じである。(光の速さは誰から見ても一定であるから、ある観測者から見て泡の壁が光の速さで広がって行くということは、他の観測者から見ても光の速さで広がって行くということである。)しかし、同時刻を表す線は、世の中に絶対的な同時刻という概念が存在しないことを反映して、観測者ごとに違って描かなければならないのである。
コールマン等の解析によれば、泡の内部の観測者は「同時刻」を下の図上の t'=0,1,2,3,4 のように感知することになる。これは内部の人にとっての時間ゼロの宇宙(t'=0の線上)は既に無限に大きかったことを意味する。(線は途切れることなくどこまでも続いていく。)これは、この「時間ゼロ」の空間の(無限の)遠くが、外の観測者から見た時の(無限の)未来に対応しているために可能になったことである。
また、泡の内部の観測者から見た時に泡宇宙はつねに一様であることも分かる。これは図上では、どの t' の値を取ったとしても、その線上のどの点も他の点と同じ双曲線の一点に過ぎないことで表されている。
以上が、泡宇宙が小さく生まれて大きくなっていくという描像と、宇宙が生まれた瞬間から無限に大きく一様であるという描像が矛盾しない理由である。前者は泡宇宙の外の観測者から見た描像であり、後者は泡宇宙の中の観測者から見た描像なのである。そして両者がこれほどにも違うのは、それぞれの観測者にとっての同時刻という概念が異なるからである。
そしてこの新たな描像が、以前第1章で描いた図を置き換えるものなのである。つまり、光の軌跡を45度で描く、すなわち物質の因果関係を明らかにするペンローズ図では、宇宙の始まり(t'=0)は水平の線ではなく、逆三角形の形で描かれなくてはならないのである。そして、第1章でみた我々の宇宙の歴史(インフレーション、ビッグ・バン、物質数生成など)は全てこの逆三角形の内側で起こったことなのである。
このペンローズ図によれば、我々の宇宙の「外側」とも言うべき領域、すなわち下の図のAの領域は、泡宇宙の内側に住んでいる我々からすると宇宙が「始まる前」(t'<0)の領域だということになる。そしてこの領域こそ、別の宇宙(この場合、泡宇宙が生まれる前の宇宙)が存在している領域なのである。これは、泡宇宙の外の観測者から見れば我々の宇宙の「外」であり、我々から見れば宇宙の始まる「前」である。そして、この宇宙の始まる前という記述から示唆されるように、我々はその領域に行くことはできない。これは、ペンローズ図で見れば明らかである。我々が光より速く動くことができないという事実は、図中の網掛けの領域にしか行けないということを意味する。
しかし、これは泡宇宙の外側が実験的に観測不可能であるということを意味しない。我々はその領域に行くことはできないが、(図中に矢印で示した通り)シグナルがその領域から来ることは可能だからである。そして泡宇宙の内部の人間にとっては、これは宇宙が始まる前の時代からのシグナルとして感知されるのである。
以上で、泡宇宙の基本的構造が理解できたことになる。ここで、マルチバース理論に戻る。この理論によれば、永久インフレーションを続ける時空の中に無限の泡宇宙が生まれ続けている。そして、その泡宇宙の中にはまた別の泡宇宙たちが生まれる。しかも、こうして生まれた泡宇宙たちの多くは正の真空エネルギーを持つため、それ自体がまた永久インフレーションを起こしている。そうして時空は無限の「入れ子」のような構造を持つことになるのである。
これをペンローズ図に表すと、下の図のようになる。上の方に行くほど無限個の泡宇宙が作られ「フラクタル」状の構造になることが見て取れる。(ここで上の方に行くほど泡宇宙の大きさが小さくなるように見えるかもしれないが、これは光の経路を45度に取るように描くことによる人為的結果である。実際には時空は膨張を続けており、図上の小さな泡宇宙は全て大きな宇宙である。しかも先に見たように、泡宇宙内部の観測者から見た宇宙は全て無限の大きさを持っている。)そして、このようにして作られた宇宙たちは、素粒子の種類から空間の次元にいたるまで様々な異なる性質をもっているのである。
我々が宇宙と思っていたものは、この無数の泡宇宙の中のたった一つにすぎない。
我々の宇宙の将来
第1章で見たように、我々の宇宙は現在138億歳程度である。(ここで、時間「ゼロ」は泡宇宙の「壁」、つまり2つ上の図における逆三角形の辺の部分。)そして、我々の太陽は約46億年前に我々の天の川銀河の中に生まれた恒星である。
我々の銀河および太陽系の運命は、以下のようなものになると考えられている。約40億年後には、我々の銀河系はアンドロメダ銀河と衝突、合体をして一つの大きな銀河になる。しかし、銀河の中の恒星同士の距離は非常に離れているので、この際に恒星同士が衝突することはまずない。そのため我々の太陽はこの銀河間の衝突を乗り切ると思われるが、それでも今から50億年程度もすれば燃え尽きて白色矮星(わいせい)と呼ばれる小さな天体になってしまう。
我々の銀河系から十分離れたところにある銀河は巨大銀河に吸収されることなく、宇宙が加速膨張を続けることによりどんどん遠ざかって行くと考えられる。そしてある時点(今から数百億年程)で、それらの全ての遠ざかる速さが光速を超えることになり、永遠に視界から消えてしまう。(膨張宇宙では、遠くにある天体ほど速く遠ざかる。)
そして、この遥か後、およそ1022億年後、この巨大銀河も重力により太陽質量の1015倍程度の巨大なブラックホールへ崩壊してしまう。そしてこれより先、宇宙にはこのブラックホールが飲み込めるものは何もなくなるため、ブラックホールはホーキング輻射を通してゆっくりと蒸発していくことになる。ここで、ホーキング輻射とはスティーヴン・ホーキングにより発見された効果で、量子力学を考えるとブラックホールも極めてゆっくりではあるが熱的放射をしており、これが続くと最後にはブラックホールは蒸発してなくなってしまう。
このブラックホールの蒸発には、およそ10100億年程度もかかる。そしてその後には、宇宙にはただ加速膨張を続けるだけの「空っぽ」の空間になってしまう。
そして最後に、以上の過程のどこかの時点で、我々の宇宙は別の宇宙に崩壊してしまうのである。つまり、他の泡宇宙が生まれ、我々の宇宙はそれに飲み込めれてしまう。これがどこの時点で起こるのかは、現在の理論では計算できない。そして、それがどんな宇宙なのかも現在の理論では分からないのである。
第4章 これは科学?━━観測との関係
よくある誤解
マルチバースというのは「宇宙が沢山ある」という単なるぼんやりとしたアイディアであって、具体的な科学的動機は描像を伴わないものであるという思い込みが、よく見受けられる。しかし、これは全くの誤解である。現在理論物理学で考えられているマルチバース理論は、真空のエネルギーの小ささを説明できる理論として我々が持つ唯一の候補であり、超弦理論や永久インフレーションなど(マルチバースの描像と関係なく発展した)物理学の基本的方程式の自然な帰結として得られるものである。そして、それにより示唆される時空の構造はコールマン等の解析によって得られた非常に具体的なものである。
また、マルチバース理論はもはや「神懸かっている」というような意見や感想も、よく聞かれる。しかし、これはよく考えてみると完全に逆である。もし宇宙が一つしかなかったとする。その場合、真空のエネルギーや素粒子の構造が高等生命体を生じ得るよう極めて注意深く選ばれているという事実は、それこそ神のような存在を考えでもしなければ説明がつかないだろう。しかし、マルチバースでは、異なる性質を持った宇宙が無数に(10500種類かそれ以上)あるために、その中のいくつかでは高等生命体を生じる条件が神の力を借りずとも満たされる。そしてそこに生まれた高等生命体は必ずこの「奇跡的な」構造を見ることになるのである。
「人間原理」について
先にも述べたように、マルチバースによる真空のエネルギー値の説明に使われた考え方は「人間原理」と呼ばれる。この「人間原理」は、物理学者にとっても受けの悪い考え方である。その理由の一つにはネーミングの悪さがあるのではないかと思う。人間原理と聞くと、何か人間を中心とした新しい原理を導入しているように思えてしまう。しかし、それは全くの間違いである、
第3章でも見たように、一旦宇宙が沢山あることを認めてしまえば、人間原理の考え方は「論理を正しく使え」と言っているにすぎない。我々が説明したいのは、「我々が宇宙を観測したら極めて小さい真空のエネルギー値を得た」という事実である。この事実が理論と矛盾しないかを議論するのに、人間なり高等生命体の存在を考慮しない議論をしても全く意味がない。すなわち、高等生物体が存在し得ない宇宙が大きな真空エネルギー値を持っていたところで、それは我々の観測と何も矛盾することはない。(数学の言葉で言えば、大事なのは高等生命体が存在するという条件の下での真空のエネルギー値の条件付き確率分布である。)
マルチバースと科学の方法論
ときにマルチバース理論は科学の方法論自体を変えてしまうもののように言われることがある。しかしこれにも全く根拠がない。実際、マルチバース描像が生まれるに至った過程も、それをさらに推し進めようとする方法も、伝統的な科学の手法そのものである。
科学、特に物理学の発展は、しばしば次のような段階を踏んで起こる。まず、知られている事実を説明するため、理論的洞察に基づいて新たな方程式が書かれる。次に、そうして得られた方程式を調べることにより新たな(実験的に知られていない)描像が得られる。そしてこれらの描像が観測によって確かめられることにより方程式の確からしさが増していき、それが新たに確立した理論として定着していく。
マルチバースと観測
科学理論の発展の最終段階はそれを観測的に確かめることである。これについてはマルチバースはどうであろうか?
まず強調したいのは、真空のエネルギー値が小さいけれどもゼロでないというのはマルチバースの特徴的な予言だということである。多くの物理学者たちは真空のエネルギー密度が自然な値より120桁以上も小さいのはそれがゼロであるからだと思っていた。実際、マルチバース以外の考え方で真空のエネルギー密度を人間が観測した時に物質のエネルギー密度と同程度にするメカニズムは知られていないし、そのようなものを想像するのも困難である。この意味で、マルチバースの予言の一つは(1998年の宇宙の加速的膨張の発見により)既に観測的に確かめられたと言うことができる。
では、これ以外に何かマルチバースによる将来の観測に対する予言はあるのだろうか? よくある誤解は、人間はマルチバース理論の予言する別の宇宙に行くことができないのだから、この理論は検証しようがないというものである。これは、いくつかの点で間違っている。
まず第一に、すでに述べた通り、ある領域に行くことができないということはその領域からからの情報を得ることができないということを意味しない。実際、遠くの銀河であれ、恐竜が生きていた時代であれ、人間が直接そこに行って確認してきたわけではない。しかし、これらを調べることは明らかに科学の範疇(はんちゅう)に属する。またもう一つ重要なのは、ある科学理論を検証するときに、我々はその理論の全ての予言を直接確認する必要はない、ということである。実際、科学的に確立したと言ってよい量子力学や(その一つの具体例である)素粒子の標準模型でさえ、その予言の全てが実験的に検証され尽くしたわけではないし、そのようなことは不可能であろう。
マルチバース理論の場合で言えば、観測的に重要なのはこの理論が我々の宇宙の中で観測できることに対して何を予言するのか、ということである。(その中の一つは、真空のエネルギー値は小さいけれどもゼロでないということである。)これに関しては、一つの極めて重要な予言がある。それは、我々の宇宙が「負の曲率」を持っているということである。
第3章で見たように、マルチバース理論によれば我々の宇宙は数ある泡宇宙の一つにすぎず、その中に住む我々にとっての同時刻というのは次の図のように与えられる。そして、このようにして得られる宇宙空間━━より具体的には内部の観測者にとってのある決められた時間(例えば、t'=3, 8等)に対応する空間━━は必ず負の曲線を持つということを数学的に示すことができる。つまり、マルチバース理論によれば宇宙に描いた「大三角形」の内角の和は必ず180度より少し小さくなるのである。
しかし、マルチバース理論だけでは、内角の和がどれだけ180度より小さくなるのかを予言することはできない。第1章では、我々の宇宙の曲率は観測的に非常に小さく、それは我々の宇宙の初期にインフレーションが起こったからであることを見た。もしこのインフレーションが十分に長い間続いたのであれば、我々の宇宙はほぼ完全に平らになってしまい、負の曲率を観測することはできないであろう。しかし、もしインフレーションがそんなに長く続かなかったのであれば、大三角形の内角の和は観測可能な程度に180度からずれるかもしれない。
今後数十年の間に、宇宙の曲率の測定精度は最大で2桁程度も良くなると見積もられている。もし、この過程で負の曲率が見つかったならば、それはマルチバース理論を支持する新たな証拠の一つになるであろう。
現代物理学の挑戦
以上、マルチバース理論の観測による検証について見てきたが、その基本的な考え方はマルチバース以外で説明することが困難な事実を見つけることで理論の確からしさを増していこうというものである。これは、これらの観測が直接宇宙の外に行ってその領域を見てくるものではない以上、必然的に間接的な証拠を積み重ねるという形になる。しかし、これはビッグ・バン理論やインフレーション理論等でも同じことである。
第5章 さらなる発展━━時空の概念を超えて
永久インフレーションと無限大
第3章で見たように、無数の泡宇宙を生み出す永久インフレーションは、その名の通り永久に続いていくように見える。そして、これは背景空間の指数関数的膨張を止める手立てがないことから生じている。もしこの描像を文字通り取ったなら、どうなるだろうか?
まず第一に、背景空間の指数関数的膨張が永遠に続いていくということは、その中には無限個の泡宇宙が生まれていくということである。第3章でも見たように、この過程は(100500種類かそれ以上もの)様々な異なる宇宙を作り出す。その中には我々の宇宙と似ているがほんの少しだけ違うものも含まれているだろう。マルチバースはこれらの宇宙がそれぞれ文字通り無限個存在すると予言するのである。そしてこの無限というのは、理論的な問題を生じることになる。
いま、ある条件下で異なることが起こる確率を計算することを考えよう。例えば、ある実験をした時にAという結果とBという結果が得られる相対的な確率を求めたいといしよう。AとBが起こる相対確率はAが起こる回数(NA)とBが起こる回数(NB)の比NA/NBで与えられる。
しかし、マルチバースではこの考え方は通用しない。マルチバース全体を見渡してみれば、どのような実験や過程であれ、それが原理的に可能である限り無限回起こっている。先の例であればAもBも無限回起こっており、NAもNBも無限大(∞)なのである。これは、相対確率が∞/∞となって定義できないことを意味している。
量子力学の不思議な世界
第1章でも少し見たように、量子力学によると、素粒子の世界では粒子は一つの場所に存在せず、同時に様々な場所にしかも確率的に存在する。
いま、粒子が放出された後、AまたはBの位置に行くことができるとしよう。シュレディンガー方程式と呼ばれる量子力学の基本方程式は、粒子がAに行くのかBに行くのかを決定することはできないが、それがAもしくはBに行く確率は(完全に)予言できる。量子力学ではこの粒子の終状態を、粒子がAという位置にいる状態とBという位置にいる状態の(確率的)重ね合わせの状態にあると記述する。これは粒子が根本的に重ね合わせの状態にあることを意味する。つまり、粒子はAにもBにも(確率的に)同時に存在しているのである。
では、この粒子を我々が実際に観測したらどうなるのだろうか? その場合、我々は確率的に粒子がAまたはBにいる(例えば80%の確率でA、20%の確率でB)のを見出すことになる。そして、もし最初の観測で粒子がAに見つかった場合、その後の観測は全て粒子をAに見出すことになるのである。(これは最初の観測でBに見つかった場合も同様で、その場合その後の観測は全て粒子をBに見出す。)つまり、観測の後には粒子は自分が重ね合わせの状態にいたことを完全に忘れてしまうのである。
量子力学の標準的解釈(コペンハーゲン解釈と呼ばれる)では、これを観測が粒子の状態(波動関数とも呼ばれる)をAとBの重ね合わせの状態からAもしくはBの状態に「収縮させた」と記述する。先の例で言えば、粒子の波動関数は観測された瞬間にAとBの重ね合わせの状態から80%の確率でAの状態に収縮し、20%の確率でBの状態に収縮するのである。
しかし、この解釈は概念的なレベルで本質的な問題を抱えている。特に、何をもって粒子(やより一般のシステム)が「観測された」ということができるのだろうか? 何か人間(もしくは高等生命体)が観測をするということには物理学上の特別な意味でもあるのだろうか?
エヴェレットの多世界
1957年、ヒュー・エヴェレットはこの問題に答える画期的な考えを提唱した。エヴェレットの洞察の重要な点は、古典力学と違い量子力学では本質的に「粒子」と「観測者」のようにシステムを二つ(かそれ以上)に分離して考えることができないということである。つまり、「観測者」もシステム(宇宙)の一部である以上、波動関数の一部として扱われなければならず、さらに言えば(システムを原理的に分けることができない以上)波動関数というのは根源的には「宇宙全体(もしくはマルチバース)の波動関数」だということである。
この考えに従えば、宇宙の波動関数はつねにシュレディンガー方程式に従って連続的に時間発展しており、収縮などは起こらない。
このエヴェレットの描像によれば、観測後の世界も重ね合わせなのである。ただしそれは単なる粒子の状態の重ね合わせではなく、それぞれにおいて観測者が異なる結果を得たと思っている二つの「異なる世界」の重ね合わせなのである。これは、(我々自身を含む)観測者も宇宙の一部である以上、自然なことである。
このように波動関数が巨視的レベルで異なる世界の重ね合わせになった後は、これらの異なる世界が量子的に干渉する効果は無視できる程に小さくなる。(これは計算で示すことができる。)つまりこの場合の観測後の世界は、事実上二つのお互いに並行して存在する世界に分かれたとみなすことができる。一つ目の世界(ブランチとも言う)では観測者は粒子がAにあったことを見出し、この観測者もしくは他の観測者が粒子をその後再び測定すれば常にAを見つけることになる。同様に、二つ目の世界では粒子の位置は何度測定してもBにあるということになる。
この描像では、宇宙の波動関数はその構成要素が相互作用するたび、どんどん(連続的に)異なる世界に分岐していくことになる。そして今見たように、我々などの観測者も宇宙の一部である以上、この運命から逃れることはできない。つまり、我々も少しずつ違った(例えば異なる実験結果を得た)「我々たち」に分岐し続けて行くのである。そしてこれらのどの我々たちも全ては同関数の一部として存在している、つまり同じように実在しているのである。
このエヴェレットによる量子力学の記述は「多世界解釈」と呼ばれる。しかし、これが我々が今まで見てきたマルチバースと何の関係があるというのだろうか? マルチバースは非常に大きな実際の空間に存在しているものであり、量子力学の多世界とは関係ないのではないか?
ブラックホールの量子力学
ブラックホールとは、物質が極めて高密度に凝縮された時に生じる、脱出速度が光速を超える領域のことである。そして、全てのシグナルは光速を超えることができないのだから、これはこの領域内から外へは何のシグナルも送れないことを意味する。つまり、ブラックホールの内側は外からは一切見えないのである。
このような領域の境界を「事象の地平面」と呼ぶ。このような地平面は極めて強い重力の結果生じるものである。そのため、ブラックホールを(理論的に)調べることによって、重力の効果が重要になる局面で物理法則がどうなっているのかを知ることができるのである。
ここでブラックホールの物理をより詳細に調べるために、以下のような「思考実験」をしてみることにしよう。いま、ブラックホールにある本(本Aとする)を落としたとする。それを外から眺めていたとすると、どうなるだろうか?
まず、本は事象の地平面に向かって落ちていく。しかし地平面に近づくにつれ、強い重力による時間の遅れの効果で落ちるスピードは遅くなっていく。そして、最後には本は地平面に張り付くようにしてブラックホールの一部となってしまう。こうしてできた新たなブラックホールの質量は、元のブラックホールの質量と本Aの質量とを足したものになる。そしてそこからさらに時間が経つと、ブラックホールはホーキング輻射で蒸発し、それにより生じた輻射だけが残ることになる。
同様なことは、違う本(本B)を落としても起こる。本Bはブラックホールに吸収され、そしてその結果生じたブラックホールは、最終的には蒸発して輻射のみを残す。
ここで一見不思議なのは、ホーキング輻射の詳細はブラックホールの質量のみに依存するように見えることである。これは、同じ質量の二つのブラックホールに、同じ質量ではあるが異なる二つの本(AとB)をそれぞれ落とす実験をしたとすると、その結果生じる輻射は完全に同じだということを意味する。(なぜなら本を落とした後にできるブラックホールの質量は全く同じだから。)これは、システムの最終状態から本の情報が完全に失われてしまったことを意味する。
現在では、様々な理論的発展によりこのような情報の喪失は起こらないと考えられている。具体的には、本Aを落としたブラックホールから得られる輻射と本Bを落としたブラックホールから得られる輻射は微妙に異なっており、その違いを考慮に入れれば落とした本の情報は最終的な輻射の中に完全に含まれている。
ブラックホールの特別な点は、この本を落とす実験を「本とともに落ちて行く人」から眺めることを考えた時に明らかになる。アインシュタインの有名な思考実験でも分かるように、本とともに自由落下していく人は重力の効果を感知することはできない。
これは、本とともに落ちていく人から見た場合、本は事象の地平面に近づくにつれ落下が遅くなったりすることもなく、そのままブラックホールの内側に落ちていくことを意味する。つまり、この人から見れば本の情報(というか本そのもの)は十分時間が経った後は完全にブラックホールの内側に存在するという結論になるのである。
しかし我々はたった今、本の完全な情報は十分時間が経った後にはブラックホールの外側に放射されたホーキング輻射に含まれると結論づけたばかりである。実際そこでの議論では、本の情報は事象の地平面に張り付いた後ホーキング輻射として外に向けて放射されてくるとしたわけで、それによれば本の情報がブラックホールの内側に入り込む瞬間はない。では、時間が経った後の本の情報は本当はどこにあるのだろうか?
まず考えられるのは、本の情報は時間が経った後は外側にも内側にも存在するのではないかという可能性である。しかし、実はこれは不可能なのである。量子力学によれば、ある物理的なシステムをその量子的な情報も含めて完全にコピーすることはできない。
では、ブラックホールに落ちた後の本の情報が存在する場所についてはどちらが正しいのだろうか?
この厄介な状況を脱するヒントは、ヘーラルト・トホーフト、サスキンド、およびその共同研究者等によって与えられた。鍵となるのは、何人たちとも同時にブラックホールを外から眺める人でもあり、なおかつ落ちていく人でもあることなどできないという事実である。
もし、あなたがブラックホールに落ちていく本を外から眺めていたとすると、その情報は事象の地平面に凍り付き、そしてその後はホーキング輻射として外に放出されてくる。以上である。ここには何の矛盾もない。なぜならブラックホールの内側は地平面のせいで原理的に見ることができないからである。
一方で、もしあなたが本とともに落ちていっているのならば、本はブラックホールの中に落ちていくことになる。しかしこの場合、あなたは既にブラックホールの内側にいるので、地平面から外に向けて放射されるホーキング輻射を見ることは原理的にできない。すなわち本の情報はブラックホールの内側だけに存在するという描像が得られる。ここにも何の矛盾もない。
つまり、本の情報がコピーされて外側と内側の両方に存在するという量子力学の原理と矛盾する結果は、ブラックホールの外にいる観測者から見た描像と、落ちていく観測者から見た描像を人工的に組み合わせた時にのみ生じるのである。しかし、この二人は事象の地平面の存在のため原理的に連絡を取ることができない。つまり何人たりとも情報がコピーされたと観測的に結論することはできないのである。これは情報のコピーが起こらなかったと言っているのと等しい。
量子的マルチバース
実は事象の地平面という概念は、宇宙論にも登場する。具体的には、加速的に膨張している時空では、ある距離より遠くの物体はあまりにも速く遠ざかっておりしかもその速度が増していくため、そこから発せられる光(シグナル)は決して観測者に届くことはない。つまりこのような時空では、ある距離より遠くの物体は原理的に見ることができないのである。これは観測者が事象の地平面に囲まれていることを意味する。
これを永久インフレーションの文脈で考えてみると、下の図のようなペンローズ図になる。例えば、観測者が中央の曲線で示されるような時空上の経路を取ったとしよう。この場合、この観測者は点線で囲まれた三角形の領域の外からのシグナルを原理的に受け取ることができない。このような原理的に見ることができない領域は本当に「存在する」と言えるのだろうか?
実は、宇宙論に現れる事象の地平面とブラックホールの事象の地平面にはいくつもの重要な共通点が存在する。もちろん両方とも観測者が見ることができる領域の境界であり、またホーキングによって発見された輻射も存在する。さらには、ホーキングの輻射と地平面の反対側の物体との間で起こり得る量子情報のコピーも、事象の地平面の両側を考えない限り起こらないことも(最新の量子情報理論で得られた結果を用いて)示すことができる。これにより示唆される描像は次のようなものである。(観測者から見て)事象の地平面の外側にある領域(図の点線で囲まれた三角形の外側の領域)は存在しない。
これは、この章の最初に見た無限大の問題がなくなることを意味する。なぜなら、これはAやBといった出来事が無限回起こる無限の空間が実は存在しないと言っているからである。
では、マルチバースはどうなってしまったのだろうか? その答えは、マルチバースを作り出す泡宇宙の生成過程が量子力学的なプロセスであると気付くことで見出せる。第3章でも見たように、異なる種類の泡宇宙が生まれる理由は、この過程が量子力学的な確率過程だからである。そしてエヴェレットによれば、これは宇宙全体(この場合マルチバース)の波動関数が、異なる泡宇宙が生じた状態の重ね合わせに時間発展していくことに他ならないのである。
つまり、マルチバースは時間が経つにつれ、異なる泡宇宙が異なる場所と時間に生まれた状態の量子力学的重ね合わせ(量子力学的多世界)になっていくのである。そして、この確率的に生まれる様々な世界(ブランチ)のそれぞれにおいては、事象の地平面の外側の(無限に広がっていると思われた)空間は存在せず、よって無限大の問題は生じない。これは、無限に広がるマルチバースというものは、実は確率の世界に(のみ)存在していることを意味する。より具体的には、以前示した、ペンローズ図に描かれた描像は確率的に得られる様々な世界を(何度もダブルカウンティグすることを許して)人工的に組み合わせた絵にすぎない。
この描像によれば、マルチバース全体の波動関数は以下のように時間発展していく。永久インフレーションを起こしている状態(事象の地平面の内側のみを含む)は、次々と起こる泡宇宙の生成過程を通して10500かそれ以上の種類の異なる宇宙の重ね合わせの状態に時間発展していく。そして、それぞれの宇宙を表すブランチは、まさその中で起こる様々な過程(これらは我々の宇宙においては、揺らぎの生成、銀河の形成、生命の誕生、および人間の行う実験等もすべて含む)の全ての可能な結果を含むように細かく分かれていくのである。
これらの異なる世界は全て波動関数の中の重ね合わせとして「確率空間」に存在している。そして、それらはどれも同じように実在しているのである。この意味で「無限に続くマルチバース」と「量子力学的多世界(パラレルワールド)」は実は同じ現象━━確率的重ね合わせ━━なのである。ただ、我々に比べてはるかに大きいスケールで起こった時にマルチバースと呼び、小さいスケールで起こった時に量子力学的多世界と呼んでいたにすぎない。
この新たな「量子的マルチバース」の描像は、この章の最初で紹介した無限大の議論のどこが間違っていたのかについて、示唆に富んだ解答を与えてくれる。そこでは確率を出来事が起こった回数という古典力学的な概念を使って定義しようと試みた。これは、完全に逆だったのである。我々の世界は、我々が好むと好まざるとにかかわらず量子力学的、確率的なのである。したがって、我々が理解すべきは、どのようにして確率的な世界から古典力学的なマルチバース時空の描像が生じるかだったのである。その答えは、「可能なあらゆる世界を図的に組み合させて表示することにより生じる」である。そしてその過程で許した「同じ情報のダブルカウンティング」が無限大の原因だったのである、。
観測的な探索
この量子的マルチバースの描像を観測的に確かめる方法はあるのだろうか? ここでは、その一つの可能性を示そう。
第4章でも見たように、マルチバース理論では我々の宇宙の空間曲率は負になる。この負の曲率がどれくらいになるか(宇宙に描いた大三角形の和がどれだけ180度より小さくなるか)は、我々の宇宙の中で起こったインフレーションがどれだけ続いたかによる。(我々の宇宙の中で起こったインフレーションは、その外で起こっている永久インフレーションとは別のものである。)もしインフレーションが長く続いたならば、曲率の効果は均(なら)されて小さくなってしまう。つまり負の曲率が観測されるには、インフレーションの期間が長すぎてはいけないのである。
我々の宇宙の過去に起こったインフレーションは、ポテンシャルエネルギーが場の値の関数として平らな部分が存在したことによって起こったと考えられている。(場がそのような領域を通過するときにはポテンシャルエネルギーの変化がゆっくりになるため、それが真空のエネルギーのように振る舞うことになり加速的膨張を起こす。)しかし、一般にこのように関数が平らな部分を持つことはよく起こることではない。つまりランダムな関数を考えたとしたら、平らな部分が存在する確率はその部分が長くなる程小さくなる。
これは、(量子的マルチバースにおいては)インフレーションが起こる確率はその期間が長くなる程小さくなることを意味する。
では、なぜ我々の宇宙の過去にはインフレーションが起こったのだろうか? インフレーションの期間が長くなる程確率が低くなるのだったら、インフレーションが全く起こらなかった可能性が一番高いのではないか?
実は、インフレーションが全く起こらなかったり、その期間が短すぎるような宇宙(正確には曲率が大きすぎるような宇宙)では銀河や星、ひいては生命などの構造が生まれないことを示すことができる。つまり、もし宇宙に生じた知的生命体がその宇宙を観測したとすると、常にインフレーションが起こったような宇宙を見ることになる。しかし、そのインフレーションの期間は生命が生じるのに必要な以上には長くなかったと考えるのが自然である。なぜなら、そのような長いインフレーションが起こる確率は小さいと考えるからである。そしてこれは、将来宇宙の曲率を観測する可能性があることを意味する。
さらに先へ
我々がマルチバースを完全に理解する日は来るのだろうか? 例えば、マルチバースの波動関数はどのようにして決まっているのだろうか? 時間とは何か、そしてそれはどのようにして生じるのだろうか? 量子的マルチバースの描像は、これらの問いの全てに答えを出すわけではない。しかし、それを探究する枠組みは与えてくれる。