いまはインターネットの発達によって、様々な意見を見たり聞いたりできるようになりました。そして自分自身でも情報発信することができます。

しかし、最近思うことは、考え続けること、深く考えていくことをやめている人が多いのではないか、ということです。どのような考えにとらわれているかというと
①学校で身につけたこと(「勉強ができるほうが偉い。」「友達は多いほうがいい。」「明るい性格のほうがいい。」「結果はどうあれ、努力することが大事だ。」「努力すれば必ず報われる。」「教師や先輩に対して敬意を表すべきであり、反対意見を言ってはならない。」「校則や規則は守るのが当然だ。社会に出たら社会のルールを守らないといけない。」など)
②親から教わったこと(「他人に迷惑をかけてはいけない。」「恥をかくようなことはしてはいけない。」「うそをついてはいけない。」「いい大学に入らないといけない。」など)
③自分の仲間内での共通意識(「周りの空気を読みながら意見を言ったり行動したりしなければならない。」「どんなことがあっても仲間を裏切ってはいけない。」など)
④自分が気に入った著名人の意見(その著名人の全てを肯定して、疑問を持つことはない。)
⑤テレビ、新聞、インターネット上での解説やコメンテーターの意見(いつも接していると、その意見があたりまえに感じてしまう。)
こうしたことを受け入れて行動することは、うまくいく場面もありますが、そうでない場面に出くわすこともあります。

いずれにせよ、いままで身につけてきた自分の考えを絶対的なものであると正当化し、自分の考えと違う人たちのことを排除しようとすることが目立っています。たとえば、ネット上でコメントを投稿することができますが、そこで、自分の考えとは違う人たちのことを徹底的に批判するコメントも多くあらわれます。自分こそが正しいと信じているため、自分の意見に反対する人は、徹底的に叩きます。

さらに、自分はどれだけ賢いか、優秀かを競うような風潮もあります。いわゆる「マウントをとる」ということです。

どれも、思考停止になっている気がします。

日本で常識と考えられていることも、他の国ではそれは常識ではない、ということもよくあります。私がフランスの語学学校に通っていたころの話ですが、わからないことがあると、他の国(韓国、メキシコなど)からきた人は、簡単なことでも先生に質問をしていました。日本人はわからないことがあると、あとで自分で調べる傾向がありました。これは、日本で自然に身につけてしまったものです。また、先生は、机に腰を掛け、リラックスする感じで生徒と話をすることもありましたが、日本では机に座るなど許されないことでしょう。また、本当は金曜日の午後にも授業があったのですが、生徒から「金曜日午後の授業はやめて、そのかわり他の曜日の授業時間を延長する。1週間のトータルの授業時間は同じ。これでどうか。」といった提案をしたら、教師は受け入れてくれた、といったこともありました。

自分が正しいと思っていることが、本当に正しいのか、常に考え続けることが、実は極めて重要なのだと思います。確かに、どこかで判断、決断しなければならないのですが、その時点まで前例にとらわれることなく、人に流されることなく、多くの思想に触れて、考えぬいていくべきだと思います。