
文部科学省で働いていると、連日深夜まで仕事が続きます。関係省庁や各種団体との折衝、国会対応など、ひとつの仕事が終わっても次の対応に追われ、毎日が時間との戦いです。そうした環境で働いていると、自然と仕事は速くなり、判断も的確になります。
しかし、そうした働き方を、大学職員にそのまま求めることは現実的ではありません。
ところが、文科省から国立大学に出向した管理職の中には、省内と同じ基準で部下に仕事を求める人がいます。細部まで徹底的に調べさせ、自分が納得するまで何度も突き返す。決裁はなかなか進まず、当人は自分で調べることもせず、情報が整理された状態で上がってくるのを待つだけ━━。そんな姿勢が現場に混乱をもたらします。
ある上司は、部下を立たせたまま何時間も叱責し続けていました。
- 「まだできていないのか。遅すぎる」
- 「どうして調べなかったんだ。常識だろう」
- 「その意味は何だ? ちゃんと説明しろ」
- 「なぜ報告しない。勝手な行動は許されない」
- 「そんな話は聞いていない。認められない」
- 「これは君の将来のために言っている。むしろ感謝すべきだ」
結果としてこの上司は、パワハラと認定され、処分を受けるに至りました。
昭和の時代には、こうした「怖い上司」は珍しくありませんでした。大声で怒鳴り、書類を投げつけるような光景も見られたものです。部下は人事上の不利益を恐れ、上司に何も言えず、ただ耐えるしかありませんでした。当時は「パワハラ」という言葉もなく、その言動が問題視されることも少なかったのです。
けれども、時代は変わりました。今の職場では、「厳しさ」や「スピード感」といった言葉の裏に、過剰なプレッシャーや恐怖を与える行為は容認されません。
実際、こうした厳しい上司が赴任してきて職場の雰囲気が悪化した大学は、少なくありません。人事課長が対応に動き、それでも改善が見られなければ、学長や人事担当役員が直接指導します。それでも解決しない場合は、文部科学省の人事課に「早めに異動させてほしい」と相談が入り、本来2年の任期を1年で切り上げて異動となるケースもあります。もちろん、すべての1年異動がこの理由によるものではありませんが、現場からの悲鳴が原因となることもあるのです。
この問題は、文科省からの出向者に限りません。大企業の管理職が私立大学に転職・出向した場合にも、似たようなことが起こります。
「部下を甘やかすな」という声もありますが、大切なのは “その場にいる人たち” を理解したうえで、どのように力を引き出すかという視点です。
現実の職場環境を見ずに、自分の基準だけで部下を叱責しても、職員のモチベーションは下がり、生産性はむしろ低下します。厳しさとは、恐怖ではなく信頼と期待に裏打ちされたものであるべきです。
出向者や転職者がまずやるべきことは、組織の空気を読み、現場の声を聴くこと。それが、結果的に大学にとって最も有益な貢献につながるのではないでしょうか。