国立青少年教育振興機構が深く関与している事業に「日独勤労青年交流事業」があります。その派遣事業に団長として参加したことがあります。これは、文部科学省とドイツ連邦共和国家庭・高齢者・女性・青少年省が主催し、国立青少年教育振興機構と、ベルリン日独センターが実施機関となって行っているものです。

日独それぞれの青年約20名を2週間派遣し、「社会の一員として働くことの意義」をテーマとして、民間企業・団体等の視察や青年相互の交流を目的としたものです。現在もこのプログラムは継続しているようですが、テーマ等は変わってきていると思います。

私が参加したのはいまから10年以上前の2010年8月でした。日本の青年18名を率いて首都ベルリンや東ドイツ側にあるエアフルトを訪問しました。派遣団の日本人は海外旅行も初めてという人も多く、ドイツという異文化の中でどんな交流が始まるのか期待も大きかったです。

プログラムの中で、日本の青年とドイツの青年が一緒に、ラーヴェンスブリュック・ユースホステルに2泊3日するという機会がありました。その場所は、以前、強制収容所があったところで、当時の様子を聞くと気が重くなるような、そのような場所ではありました。

日本人とドイツ人がそれぞれ5~6人、あわせて10人ぐらいの小グループに分かれて、仕事の内容ややり方について、仕事観について、さらにはライフスタイルについてディスカッションするという時間がありました。

ドイツの青年たちは、各自それぞれが自分の考えやアイディアを持っていて、はっきりと意見を言います。一方で、日本の青年はというと、メモを一生懸命にとって、みんなの発言の様子をみながら、空気を読みながら、自分の意見を遠慮がちに言うという人が多かったです。ドイツの青年は、あまりメモはとらず、頭の中でよく考え、その場で発言し、わからないところがあれば即座に尋ねるといったスタイルだったので、最初は、それぞれの文化の違いにとまどっているようでした。

次第に、日本側も、ドイツのスタイルに慣れてきたようで、質問したり意見をいう回数も増えてきました。グローバル社会で生きていくためには、そのようなスタイルのほうがいいのかもしれません。しかし、このようなやりかたを日本に戻って、日本人の中でやると「空気が読めない人」と思われ、浮いた存在になるような気がします。

このような、自分以外の人のことを配慮したり、気にしたりして、あまり自分を出さないといった、日本的な文化をどう考えればよいのか? グローバル化が進展する日本社会において、日本的なものを抱えて、どのように日本人としてふるまえばよいのか? いろいろと考えされられました。

ドイツの青年から話を聞くと、仕事とボランティア活動をやっていて、いくつも自分のいる場所があるようでした。また、日本でよくみられる、職場の人と、夜一緒に飲みに行くということはあまりない、とのことでした。食事に行くのなら、プライベートの友達とか家族と、という感じです。

「日本人は、仕事が終わったあと、職場の同僚とよく一緒に飲みに行く」と言ったら、不思議な顔をしていました。仕事は仕事、プライベートはプライベートと、きちんと分けているようでした。ドイツではお互いに率直に意見は言うし、仕事は仕事と割り切っているし、職場環境はよく、問題はないように見えるのですが、必ずしもそうではなく、意見がぶつかってうまく行かないこともある、とのことです。

そうすると、日本でよく行われている、職場の人たちで飲みに行くという行為は、時にうっとうしいこともありますが、人間関係を円滑にする上では、良いシステムかも知れない、とあらためて思ったものです。

一方でこんなこともありました。これは日本人どおしで起こったことです。ホテルには基本的に2人1部屋で泊まることになっていました。日本人は我慢強く、また社会人なので、黙ってスタッフが決めたとおりになると思ったのですが、不満の声が出てきました。

同じ日本人どおしでも、気が合う人、そうでない人がでてきます。研修旅行に慣れてくると、次第に自分を出してきます。すでに全員に知らせた部屋割りについて、それを一部の人の意見を取り入れて変更するときりがなくなります。そこで、いったん決めた部屋割りは変更できないという原則を最後まで貫きました。

果たしてそれでよかったのか、口に出して言うくらいだから、よほどのことがあったのかもしれません。2週間も相部屋で宿泊していると、仲の良い友達でもけんかはするでしょうから、最近知り合った人ならば、きっとストレスもたまってきていることでしょう。そう考えると、予算的制約があるとはいえ、相部屋で2週間というのは、厳しいかなと思ったりしました。