
2023年(令和5年)8月29日の朝日新聞に、国連大学学長チリツィ・マルワラ氏のインタビュー記事が掲載されていました。そこで語られていたエピソードが非常に印象的だったので、ご紹介したいと思います。
マルワラ氏は、南アフリカの近代化が進む前の村で祖父母とともに育ったそうです。彼は次のように語っています。
「私は、まだ近代化が進む前のふるさとの村で、祖父母の家で育ちました。私の祖母は読み書きはできず、英語も話せませんでしたが、自然に関しても人間に関しても深い知恵に満ちた人間で、ケンブリッジ大学でも受けられないような教育を受けたと思っています。毎朝5時か6時には、きまって近所の人が私と同じ部屋で寝ていた祖母のところにやってきて、さまざまな話をしていきました。村の共同体の中での不満や、近隣の民族の問題など、あらゆる情報が毎朝祖母の所に集まっていました。」
マルワラ氏にとって、祖母は文字や英語といった形式的な知識は持たなかったかもしれませんが、暮らしの中で人々と関わり、自然と向き合いながら蓄えてきた深い知恵の持ち主でした。祖母の周囲に人が自然と集まり、語り合い、情報や感情が交差する━━それはまさに「学びの場」そのものであり、マルワラ氏にとって人格と価値観を育てる原点だったのでしょう。
続けて彼は、現代社会における情報環境と、自らの原体験を次のように結びつけます。
「いま、フェイクの情報がコンピューターのネットワークにあふれるようになっています。何が本当かを見極める大切さを、あのとき浴びた光が身につけさせてくれていたように当時から思っています。東京でも、祖母の肖像を学長室の壁に飾って、背後からいつも見つめてもらっています。将来の世界を決めるのは、現在を生きている人間です。何とか、よい方向に進むように努力をしたいと思っています。」
この言葉から感じられるのは、AIやデジタル技術が進化するいまの時代だからこそ、「何が本当かを見極める力」がかつてないほど大切になっているという問題意識です。
AIの開発には、ニューラルネットワークに膨大なデータを与えて学習させる必要があります。しかし、そのデータの内容が偏っていれば、AIの出す結論もまた偏ったものになります。つまり、AIは情報を処理する能力には長けていても、「真偽を見極める力」や「文脈を読む力」までは保証されていません。
だからこそ、私たち人間が主体的に体験し、感じ、考え、判断する力を身につけていくことが不可欠です。マルワラ氏の祖母のように、日々の暮らしの中で人と向き合い、自然や社会の現実と接して培われた「経験知」は、AIでは決して代替できない人間の力です。
フェイク情報が飛び交い、AIの判断に頼る場面が増える現代において、私たち一人ひとりが「見極める目」を養うこと。そのためにも、リアルな体験や人との関わりを大切にしながら、自分自身の感覚と考える力を育てていきたいものです。