デイヴィッド・イーグルマンの「脳の地図を書き換える」(早川書房)について、紹介します。彼はアメリカの神経科学者で、スタンフォード大学で「脳の可塑性」について教えています。また、作家であり、科学コミュニケーターでもあり、さらに、非侵襲的なブレイン・マシン・インターフェースの開発を行なっているネオセンソリー社のCEOでもあります。こうした各方面で活躍するデイビッド・イーグルマンは、多くの脳に関する著書がありますが、その中で最新のものがこの本です。教育についてあらためて考えるうえで大変参考になることが書かれていると思います。

教育にとっては、知識や技能の獲得などにおいて脳は大変に大きな役割を果たしていることから、教育についても、当然のことながらこうした脳に関する研究成果については、知っておいて損はないでしょう。いや、むしろそれを知らないで、何十年前に習った教育学、心理学などのままで現在も子どもたちに対応していたとしたら、少し危ないのかもしれません。

そのようなことからも、ぜひ一読してほしい本と言えましょう。これは、現場の教師だけでなく、学校の経営者、教育委員会関係者、さらには文科省職員においても、同じように言えると思います。

デイビッド・イーグルマンは、この本の中で、「ライブワイヤード(livewired)」という言葉を使っています。「脳は外部の出来事によって変化させられ、その新しい形を維持できるシステムである」ことから、「可塑性(plasticity)」に近い概念として、ライブワイヤードを使っています。可塑性は、プラスティックとの連想から、一度なにかを形作ったらその形が固定されてしまうといういうイメージになりますが、脳は生涯を通じて自らを改造し続けることから、ライブワイヤードという言葉にしたとのことです。

本書で私たちが目指すのは、生きているシステムがどのようにして働いているかを解き明かすことである。その点をより的確に表現するために、私は「ライブワイヤード(livewired)」という言葉を新たにつくろうと思う。これから見ていくように、脳がハードウェアとソフトウェアに分けられると考えることはもうできなくなっている。そうではなく、脳を1個の「ライブウェア」としてとらえなければ、脳の本質を正しく理解することはできない。(本来の「ライブウエア」はコンピューター関連の人員を指す言葉だが、著者は「生きている装置」というような意味で用いている)

このライブワイヤード、あるいはライブワイヤリングが、この本の主題となっています。脳が生涯を通じて変化し続けるその根拠として、右半球を持たずに生まれきた子ども、あるいは6歳のときに脳の半分を手術で除去した子どもが、残りの半球が本来あるはずだった脳半球の機能の多くを補うことで日常生活にはほぼ支障がなかったというエピソードをあげています。また、盲目の人は視覚を司る脳領域が小さくなる代わりに、聞くという課題に割り当てられた脳領域が広がり、音を聞き分ける能力が高まった、ということも紹介しています。

この本においては、様々なエピソードをふまえて、ライブワイヤリングを説明していますし、いままでなんとなくそうではないかと思っていたことを、ていねいに解説しています。そういった中で、特に気になったところを紹介したいと思います。

第2章のところで、経験の大切さを述べています。よく体験は大事だ、経験が大事だということは、なんの疑いもなく多くの人たちが言っていますが、それはどうしてなのでしょうか。そこまでは考えたことがなかったという人も多いのではないでしょうか。デイビッド・イーグルマンは、遺伝子がすべての情報をもっているわけではなく、実際に生まれてから脳が学習することによって、世界を認識していくことを、次のように述べています。いわば、経験を通じて脳が学習していくわけですね。

このように、大脳皮質内の接続が具体的にどうなるかを決めるうえで遺伝子の指示は単なる脇役にすぎない。そういうやりかたをするしかないのである。2万個の遺伝子に対して200兆個のニューロン接続だとしたら、細部まであらかじめ定めておくことなどできるはずがないし、そんなモデルは絶対にうまくいかない。だからニューロンのネットワークはそういう方法をとらず、世界と相互作用することで適切な発達を遂げる。

遺伝子が前もってある程度の仕様を決めているにしても、結局は膨大な量の経験を受け取ることで脳を成長させる方法を自然は採用している。それはつまり、人と交流し、会話し、遊び、世界に身をさらし、人間の正常な営みの中にある様々な場面に触れることだ。

第6章では、なぜ、いやいやながら時間をかけて学習するのではなく、興味をもって学習するほうがいいかということを、取り上げています。

何を目標とするかによって、脳がいつ、どのように変化するかは大きく左右される。・・・たとえば、セリーナとヴィーナスのウィリアムズ姉妹にフレッドという不出来な弟がいたとしよう。親はフレッドにテニスラケットを握らせ、姉たちと同じように何年も練習させた。だが、フレッドはテニスがいやでいやでたまらない。クラスメートからうまいと言われたこともなければ、大会で優勝できたためしもなく、姉たちから褒めてもらったこともない。あれだけ練習したのに結局はぜんぶ無駄骨だ。フレッドの脳には再編成がほとんど起こらないだろう。体がうわべだけ動きをなぞっても、内なる動機と一致していなければ物にはならない。

報酬は脳の配線を書き換えるほどの強い力をもつが、脳は幸いそのつどクッキーや現ナマを必要とするわけではない。もっと大ぐくりな言い方をするなら、目標を達成するうえで大事なことは何であれ変化に結びつく。たとえば極北の地に住んでいて、氷上の穴釣りや雪の種類を覚える必要があるとしたら、脳はその情報を符号化して自らに焼きつける。反対に赤道地方に暮らしていて、どのヘビを避けてどのキノコを食べればいいかを学ばなくてはいけないなら、脳はそれに応じた資源の割り振り方をする。自分にとって切実かどうかを目印にしながら、脳は重要な情報を臨機応変に拾い上げる。

自分にとって大事であるというこの現象を脳内で表現するのが、神経修飾物質による広域のシステムだ。この化学物質をきわめて限定的に分泌すると、全体に持続的な変化をもたらす代わりに限られた特定領域で限られたときにのみ変化を生じさせる。とりわけ重要な物質がアセチルコリンである。アセチルコリンを放出するニューロンは報酬と罰の両方を原動力とする。動物がひとつの課題を学習していて、脳の回路を変化させる必要があるときにはこれが活性化する。

勉強は確かにつらい時もありますし、なぜ、こんなことを覚えなくてはならないのだろうと思うこともあるでしょう。「試験があるから、大学入試があるから仕方ない。面倒だし、面白くないし、あまり気乗りしなけど、ともかくやるしかないんだ」といった、いやな気持で学習してもあまり身にならないことを述べています。確かに、興味をもって勉強するとはかどる気がしますし、上達も早い気がします。いつも興味を持つことは理想ですが、現実的には難しいかもしれません。しかし、何か工夫はできるかもしれません。

学習指導要領でも、「興味・関心」といったワードが出来てきますが、これは経験則からきたものでしょう。いずれにせよ、興味をもって学習することの大切さについては、あたためて押さえておきたいものです。

第9章では、若い時期の学習の重要性を述べています。脳は変化をすると言っても、タイミングがあるということです。

歳をとった脳の柔軟性が失われることには、通り道の選択肢が減る以外にも理由がある。変化が起きるにしても規模が小さいのだ。それにひきかえ乳児の脳は広範囲にわたって再編成ができる。コリン作動性ニューロンのような広域に投射するシステムを通して乳児は脳全体に声明を伝え、複数の経路や接続を変更する。彼らの脳はどこもかしこも修正可能であり、それがポラロイド写真のように徐々に焦点が定まっていく。大人の脳は一度に少しずつしか変化しない。接続のほとんどを固定したままにし、すでに学習されていることにしがみつく。神経伝達物質が正しく組み合わされたとしても、変えられる領域は狭い。大人の脳は点描画家のようなもの。絵画はほぼ完成していて、数個の点の色合いを変えるくらいが関の山である。

赤ん坊と大人の違いはわかりやすいが、前者から後者への神経の移行はなだらかな直線状に進むわけではない。むしろドアがバタンと閉じるのに似ている。一度閉まったら、大規模な変化はもう起こらない。

こうしたことから、若いうちに学習することは極めて大切なことだと分かります。ですから、学校時代の生活は大事にしないともったいない、ということでしょう。残念ながら、年をとったら物覚えが悪くなるのは、そういうことから仕方ないことかもしれません。そして高齢者(の一部)がやけに頑固だということも理由がつくかもしれません。脳自体がそのようにだんだん変化する余地が少なくなってきているからでしょう。とはいえ、高齢になっても脳がまったく変化しないわけではないようなので、努力することは意義あることと思えます。

デイビッド・イーグルマンは、第10章において、作家のスチュアート・ブランドの「ペースレイヤリング」(「ペースに応じて階層化する」という意味)という考えを紹介しています。自然、文化、統治、インフラ、商業、インフラの階層が下から上に順に重なっていて、それぞれの階層などが互いに影響を受けながら時間とともに変化しますが、そのスピードが異なっていて、自然は数百年から数千年かけて変化し、逆に流行についてはその変化のスピードが速いというものです。これを脳にもあてはめていて、次のように説明しています。

ペースレイヤリングの原理は脳について考える際にも使える。脳の場合は流行/統治/自然というふうに分かれているのではない。最も速く動く階層は生化学的な連鎖反応で、最も遅いのは遺伝子発現の変化である。シナプスだけではなく、ほかの様々なパラメーターも変化している。

確かに、遺伝子の変化は遅そうですが、社会とか文化とかはそれよりも速く動いているようですし、人が学習していって知識や技術などを見につけていくことは結構速い変化のように思えます。すべてが同じように変化するわけではなく、変化の速いもの、遅いものがあることを理解しておくと世界を理解しやすくなると思いました。

ここでは一部しか紹介できていませんので、興味を持った方は、実際にこの本を購入するなどして、じっくり全体を読んでみてください。