デイヴィッド・イーグルマンの「脳の地図を書き換える」早川書房について、その重要なポイントをまとめてみました。教育を考えるうえでも参考になり得る重要なことが書かれていると思います。
このように最先端の科学技術の発展によって、脳のしくみが次々と明らかになっているので、教師は、むかし教育学や心理学を学んだでしょうが、そのままにしておくのではなく、このような日々新たになる研究成果に触れることも重要ではないかと思います。それは、教育行政に携わる人も同じで、文部科学省や教育委員会の職員においても、最新の科学的エビデンスを認識し、意識することが望ましいでしょう。
第1章 生きている電気的な生地
生命のもうひとつの秘密
私たちを動かす装置はあらかじめすべてがプログラムされているのではなく、世界と相互作用することで自らを変える仕組みになっている。私たちは成長とともに絶えず脳の回路を書き換えながら、難題に取り組み、機会を利用し、自分を取り巻く社会構造を理解している。
これまで人類が地球上で発見したあらゆる物体の中で、私たち自身の脳ほど複雑なものはない。ヒトの脳は約860億個の細胞でできている。この細胞はニューロンと呼ばれ、スパイク(活動電位ともいう電気パルス)を伝えるかたちで情報を迅速にやり取りしている。ニューロンどうしは蜜に接続され、森のような入り組んだネットワークを形成している。頭の中にあるニューロン間の接続の数は合計200兆個ほど。だが、脳を興味深い存在にしているのは部分の数がどれだけあるかではない。その部分どうしがどう相互作用するかだ。
教科書でもメディアの広告でも、あるいは大衆文化でも、脳は領域ごとに異なる仕事をしているものとして描かれることが多い。ここの区画は物を見るため、そこの帯状部分は道具の使用法を知るのに必要。あちらの場所はキャンディの誘惑に負けなかったときに活動し、そちらの箇所は善悪の問題に頭を痛めているときに活発になる。すべての領域はきれいに分類され、名前がつけられている。
だが、この教科書的なモデルは不十分であり、話の一番面白いところを見落としている。何かというと、脳は能動的なシステムであって、体に何ができるかや環境がどうなっているかに応じて自らの回路を絶えず変化させている。
私たちのDNAは1個の生物をつくり上げるための固定された回路図などではない。DNAから構築されるのは、つねに自らを能動的に変化させるシステムである。そのシステムは絶えず回路を書き換えながら周囲の世界を自らに映し出し、狙いどおりに物事を実行する能力を最大限に高めている。
従来の教科書に載ったイラストからは、ニューロンが瓶入りのジェリービーンズよろしく脳内で楽しげにひしめき合っているかに思える。だが、実際のニューロンは生存競争に明け暮れている。隣り合った国どうしのようにニューロンも自らの領土を主張し、それを執拗に守ろうとしている。領土と生存を賭けたこの争いは脳というシステムのあらゆるレベルで起きていて、ニューロンやニューロン間の接続ひとつひとつが資源を求めて競い合っている。境界をめぐる戦いが脳の生涯を通して熾烈(しれつ)に繰り広げられるあいだ、脳内の地図は何度も書き換えられて、その人の経験や目標がつねに脳構造に反映されるようになる。
絶えず変化するシステム
このように脳は外部の出来事によって変化させられ、その新しい形を維持できるシステムである。このことから、アメリカの心理学者ウィリアム・ジェームズは「可塑性(plasticity)」という新しい用語を生み出した。可塑性のある物質は形づくることができるだけでなく、その形を保つ。経験が脳を変え、脳はその変化を保持する。神経科学ではこの性質を「脳の可塑性」(神経可塑性とも)呼ぶ。
本書で私たちが目指すのは、生きているシステムがどのようにして働いているかを解き明かすことである。その点をより的確に表現するために、私は「ライブワイヤード(livewired)」という言葉を新たにつくろうと思う。これから見ていくように、脳がハードウェアとソフトウェアに分けられると考えることはもうできなくなっている。そうではなく、脳を1個の「ライブウェア」としてとらえなければ、脳の本質を正しく理解することはできない。
マシューという少年が、片方の大脳半球を丸ごと切除する手術を受けた。その後、少年は排便や排尿を抑制することができず、歩くことも話すこともできなくなった。ところが理学療法と言語療法を毎日続けた結果、少しずつ言葉を学び直せるようになっていった。その過程は乳児期と同じ段階をたどった。初めは単語がひとつ、それからふたつ、続いて短いフレーズ。
3か月後、マシューは年齢相応の発達段階に達した。それから何年もたった現在、マシューは右手を使うのに苦労し、やや足を引きずって歩いている。しかしそれ以外は普通の生活を送っていて、そんな尋常ならざる冒険をしたことなど傍目(はため)からはほぼわからない。長期記憶も申し分ない。大学にも3学期通ったが、右手でノートを取るのが難しかったために退学してレストランで働き始めた。店では電話の応対をし、客へのサービスに目を配り、料理を出し、必要な仕事をほとんど何でもこなしている。マシューに会った人は脳が半分ないなどとはみじんも疑うことがない。
神経細胞があれほど大幅に取り去られているのにそれを誰も気づかないだなんて、どうすれば可能なのだろう。答えはこれだ━━残された脳が自らの配線を変え、失われた機能を別の領域が肩代わりしたからである。
第2章 ただ世界をつけ足せ
よい脳の育て方
人間の場合、遺伝子に規定されていることだけではすべてを語れない。脳の構造はあまりに複雑なのに遺伝子の数は少なすぎる。確かに遺伝情報の切り出し方を変えれば、同一の遺伝子から複数種類のタンパク質をつくれはする。しかしそれを考慮しても、ニューロンとその接続の数は遺伝子の組み合わせの数より桁違いに多い。そういうわけで、具体的な脳の配線については遺伝子だけがかかわっているのではないことがわかっている。
1960年代には、経験がじかに影響して脳に測定可能は変化が起きるかとうかが盛んに研究された。これを調べるには、ラットを異なる環境で育てるのが一番手っ取り早い。たとえば、おもちゃや回し車などを多数揃えた刺激の多い環境と、何もないケージに1匹だけを入れるような刺激に乏しい環境とに分ける。結果は目を見張るものだった。環境がラットの脳構造を変え、その構造は学習能力と記憶力とに相関関係を示した。刺激の多い環境で成長したラットは課題をこなす能力が高いうえに、ニューロンの樹状突起(細胞体から樹木の枝のように分岐した突起)が長くて枝分かれも多いことが判明した。それに対し、刺激の少ない環境に置かれたラットは学習能力に劣り、ニューロンが異常に委縮していた。同じ環境効果は鳥類のほか、サルなどの哺乳類でも確認されている。
人間でも同じだろうか。カルフォルニア州の研究チームは1990年代の初め、検死解剖を利用すれば高卒者と大卒者の脳を比較できることに気づいた。すると動物実験の結果から類推されるように、言語理解にかかわる脳領域では枝分かれの多い樹状突起の数が大卒者ほど多かった。
経験が不可欠
このように、大脳皮質内の接続が具体的にどうなるかを決めるうえで遺伝子の指示は単なる脇役にすぎない。そういうやりかたをするしかないのである。2万個の遺伝子に対して200兆個のニューロン接続だとしたら、細部まであらかじめ定めておくことなどできるはずがないし、そんなモデルは絶対にうまくいかない。だからニューロンのネットワークはそういう方法をとらず、世界と相互作用することで適切な発達を遂げる。
自然の大いなるギャンブル
遺伝子が前もってある程度の仕様を決めているにしても、結局は膨大な量の経験を受け取ることで脳を成長させる方法を自然は採用している。それはつまり、人と交流し、会話し、遊び、世界に身をさらし、人間の正常な営みの中にある様々な場面に触れることだ。世界と相互作用する戦略を用いるからこそ、脳は比較的少数の指示一式から巨大な装置へと自らをつくり上げることができる。この気の利いた斬新な方法のおかげで、たった1個の微小な受精卵の包みを解いて脳(と体)を発達させていくことができる。
だがこの戦略は一種のギャンブルでもあり、いささかリスクが大きい。固定された生得の配線に頼るのでなく、脳を形づくる作業の一端を経験に委ねるやりかただからである。たとえば幼児期に親から完全に育児放棄されたらどうなるだろうか。
悲しいから私たちはその答えを知っている。ひとつの事例が明るみに出たのは2005年7月のこと、フロリダ州ブラントシティで、1軒の荒れ果てた家の前に警察の車が止まった。近隣住民の通報を受けて捜査に訪れたのである。住民の話ではその家の窓越しに2~3度少女の姿を見かけたことがあるのに、その少女が家をでるところも、窓の向こうで大人と一緒にいるところも目にしたことがないという。
警官たちがしばらくドアをノックしていると、女性がひとり現れた。女性の娘を探す家宅捜査令状を所持していると警官は告げたうえで、廊下を歩いていき、いくつかの部屋を調べ、最後に小さな寝室に入った。そこに少女はいた。
ダニエル・クロケットはほぼ7歳だったが普通より体が小さく、それまでずっと暗い小部屋に閉じ込められていた。発見されたとき体は糞便で汚れ、ゴキブリが点々とたかっていた。生きるのに必要な栄養を与えられる以外は、スキンシップを受けることも、人と普通の会話をすることも一度としてなく、屋外に出してもらったこともおそらくはない。言葉はまったく話せなかった。警官に(のちにはソーシャルワーカーや心理学者に)会ったときには、まるで相手を素通りしてその向こうを眺めているかのようだった。正常な人間どうしのやりとりを認識している気配も、それができる様子も、みじんも感じさせなかった。固形の食物を噛むこともできなければ、トイレの使い方もわからない。首を動かして「はい」と「いいえ」の意思表示をすることもできず、1年たってもストローマグの使い方を覚えられなかった。脳性麻痺や自閉症やダウン症候群のような遺伝子の問題はないことは様々な検査から確かめられた。ただ、他者と触れ合う機会を徹底的に奪われたために、脳が正常な軌道で発達できていなかった。医師やソーシャルワーカーは最善を尽くしているものの、ダニエルの今後の見通しは明るくない。
ダニエルの今後がなぜ厳しいかといえば、人間の脳が未完の状態でこの世にやってくるからだ。適切な発達を遂げるには適切な入力が必要である。脳は経験を吸収しなければ自らのプログラムを解き放つことができず、しかも時間の窓が開いているあいだにその作業を行わなくてはならない。しかし窓はみるみる閉じていき、その時期を逃したら再び窓をあけるのは困難ないし不可能になる。
第3章 内は外を映す
シルバースプリングのサルたちの事件簿
1951年、カナダの神経外科医ワイルダー・ペンフィールドは、開頭手術を受けている男性の脳に電極の微細な先端を沈めた。すると、ちょうどヘッドフォンを装置する場所にあたる耳から耳への帯状の脳組織に沿って、驚くべきことを発見した。ある一か所に弱い電気刺激を与えると患者は自分の手が触れられたような感覚を覚え、近くの別の一か所を刺激すると胴体がさわられたように感じたのである。また別の場所に電極を刺すと今度は膝。体のあらゆる箇所に対応する領域が脳に存在した。
次にペンフィールドは一段深い事実にも気づいた。体の隣り合った箇所は脳領域でも隣り合っていたのである。手に対応する箇所は脳でも前腕部の知覚にあり、前腕部は肘の近く、肘は上腕の近く、と続いていく。細長い脳領域に体の詳細な地図が現れた。この領域は体性感覚野と呼ばれる。ペンフィールドはそこに沿って一か所一か所ゆっくり移動していくことで、人間の姿全体が再現されているのを見出した。
しかもペンフィールドが見つけた地図はこれだけではなかった。運動野(体性感覚野のすぐ前側)に沿って刺激を加えた場合も、同じような結果が得られることを発見した。弱い電気刺激を移動させていくと、体の特定の隣り合った箇所で筋肉が収縮するのが確認できる。こちらの場合も対応する脳領域はやはり整然としていた。こうして現れた脳内の人体地図をペンフィールドは「ホムンクルス(小人の意)」と名づけた。
地図の謎を解く手がかりが得られたのはその数十年後。ひとつの事件が予想外の展開を遂げたためだった。メリーランド州シルバースプリングにある行動研究所の科学者エドワード・トーブは、脳を損傷した患者がどうすれば体を動かせるようになるかを突き止めたいと考えた。そのために17匹のサルを調達し、切断された神経が再生するかどうかを研究することにした。まずはサル1匹1匹について、手足のどれか1本と脳をつなぐ神経の束を慎重に切った。不運なサルは予想どおり、その手足からの感覚をすべて失った。そこで、サルが再びその手足を使えるような手立てがあるかを調べる作業にトーブは取りかかった。
1981年9月、モンゴメリー郡の警察が捜査のために踏み込んで研究所を閉鎖した。トーブ博士は適切な獣医療を受けさせなかったとして、6つの罪状で有罪となった。上告してその判決はすべてくつがえったものの、この事件が1985年の動物福祉法改正へとつながった。改正により、研究施設における動物の世話に関して新たな規則が議会で定められた。
これが動物の権利を擁護するうえで重大な分岐点になったのは間違いないが、この話の注目すべきポイントは議会で決まった内容だけではない。17匹のサルに何が起きたか、である。その後サルは国立衛生研究所に保護されることになった。障害を負ったサルたちは早期退職を謳歌し、飲み食いして共に遊びながら10年を過ごした。
この10年が終わりに近づいた頃、そのうち1匹が病気になって手の施しようのない状況に陥った。神経科学者のチームは、このサルを安楽死させる直前に麻酔下で脳内の地図を調べることが許された。1990年1月14日、研究チームはサルの体性感覚野に記録用の電極をいくつも取りつけた。ペンフィールドが人間の患者で実施したのと同じように。研究チームはサルの手、腕、顔、等々と順に触れていってニューロンの活動を記録した。このようにして、脳内に存在する体の地図を明らかにしていった。
その結果は神経科学の世界に波紋を呼んだ。いつのまにかサルの体の地図が変化していたからである。まず、神経を切断された手に軽く触れたくらいでは大脳皮質に何の反応も現れず、それは予想どおりだった。ところが意外にも、以前は手を表していたその小さな脳領域が新たに顔をさわられることで活性化するようになっていた。脳のホムンクルスは依然としてサルの姿をしていながらも、右腕のないサルへと体の地図が再編成されていた。
この発見により、脳内の体の地図があらかじめ遺伝子によってプログラミングされている可能性は排除された。実際に起きていたのはそれよりはるかに興味深いことである。脳の地図は体からの能動的な入力情報に応じて臨機応変に定められるものだった。体が変化すれば、ホムンクルスもそれにならう。
その年の後半にも、シルバースプリングの残りのサルを対象に同じ研究が実施された。すると、すべてのサルについて体性感覚野の大幅な再編成が認められ、神経を切断された手足に対応していた脳領域は隣の領域に乗っ取られていた。サルの新しいボディプラン(動物の体の基本形式)に合うようにホムンクルスが変貌を遂げていたのである。
ネルソン提督の右腕の死後生
大英帝国の指揮官ホレーショ・ネルソン提督は、弾丸が右腕に命中し、壊疽(えそ)のおそれがあることから腕を切断された。ところが、手術から数か月が過ぎたころから奇妙な影響が現れた。自分の右腕がまだついていると感じる━━文字どおり感じる━━ようになったのである。存在しないはずの指から、存在しないはずの爪が生えていて、存在しないはずの右の手のひらに食い込んでいるような、そういう痛みが間違いなく伝わってきた。(「幻肢(げんし)」という現象)
この原因は脳の地図の再編成にあり、シルバースプリングのサルに起きたこととまったく同じである。腕が切断された状態を最新の画像技術で調べると、その腕に対応していた脳領域は隣りの領域に浸食されているのがわかる。この場合、手と前腕部に隣接するのは上腕と顔の領域だ(なぜ顔か? 体を線状の地図で表そうとするとたまたまそうなるというだけである)。結果的にそれらの領域が当初の位置を変え、手がかつて占めていた領土を乗っ取る。サルの場合がそうだったように、脳の地図はそのときの体の形状を反映するようになる。
しかし、なぜネルソンには手の感覚が残っていたのか。また、ネルソンが顔を触れられると手をさわられたように感じたのはどうしてなのか。手に対応する脳領域はすでに隣接領域に取って代わられたのではないのか。理由は、手への感覚を表現するのは体性感覚野内の細胞だけでなく、その細胞から情報が伝わる下流の細胞も、さらにその先の細胞もかかわっているからである。つまり、一次体性感覚野では脳地図が急速に書き換えられていく一方で、下流に行けば行くほど変化は小さくなっていく。生まれつき片腕のない子供なら脳地図は完全に違うものになるのだろうが、ネルソンのような大人の場合はシステムをそこまで柔軟に修正できない。ネルソンの腕の奥深くでは体性感覚野より下流のニューロンがそれほど大きく接続を変化させなかったために、何らかの活動を受け取るとそれが手への触覚によって引き起こされたものと信じた。失われた腕が幽霊となって存在しているのをネルソンが知覚したのはそういくわけである。
脳は高いところで闇に閉じ込められているのに、体の外観の変化をいったいとうやって逐次把握しているのだろうか。
タイミングがすべて
ニューロンはごく短い時間で唐突に電気パルスを送り出す(これは「発火」ともよばれる)のだが、きわめて重要なのはそのタイミングだ。標準的な一個のニューロンをクローズアップして眺めてみよう。そのニューロンは周囲の1万個のニューロンと接続しているとはいえ、1万個すべてと同じ強さで関係を結んでいるわけではない。接続の強さはタイミングで決まる。私たちの注目するニューロンが発火し、それと接続する別のニューロンが直後に発火してとすると、両者の絆は強まる。この法則をひと言でいえばこうなる━━「共に発火すれば、共につながる」
とはいえ、入力の変化につれて地図も変化するのはどうしてだろうか。
植民地化は片手間にはできない
競争がなければ植民地化は楽にできるものの、競争下で領土を固守するにはたゆまぬ努力が必要だ。脳内でも同じ筋書きが休むことなく繰り広げられている。体のひとつの部位が情報を送ってこなくなると、その部位は脳の領土を失う。植民地化の教訓が当てはまるのは腕にとどまらない。脳に情報を送るシステムでありさえすればすべてについていえる。誰かの両眼が損傷したとすると、そこから後頭葉(脳の後ろ側にあって一般に「視覚」野と考えられている場所)への通路に沿って信号が押し寄せることはなくなる。そうなれば、その皮質領域はもう「視覚」のための場所ではない。垂涎(すいぜん)の的(まと)であるその領土は、対立するほかの感覚情報の王国に乗っ取られていく。
視覚だけでなくほかのどの感覚が失われたときにも同様のことが起きる。たとえば耳の聞こえない人の場合は、視覚などのほかの課題をこなすために聴覚野が利用される。ネルソン提督の片腕が切断されたあとで腕に対応する皮質が隣接する領域に乗っ取られたように、聴覚や嗅覚や味覚や、ほかの何を喪失した場合にも同じ結果がもたらされる。脳の地図はつねに変動しながら、体から来るデータの現状を最も忠実に再現した姿をとる。
多いほどいい
脳領域は初めから決まっているというのが古いパラダイムだったが、実際にはもっと柔軟であることがこうした事例からは見えてくる。つまり脳領域には異なる仕事を割り当て直すことができる。たとえば「視覚」野にあるニューロンだからといって何か特別な存在であるわけではない。それらは単なるニューロンにすぎず、機能する眼球をもった人間の内部でたまたま色や境界線の処理に携わっているだけだ。目の不自由な人の脳内であれば、そのまったく同じニューロンが別の種類の情報を処理できる。
大脳皮質の体積には限りがあり、その中で必要な仕事をすべて分配しなければならない。だとしたら、その分配の仕方が最適でないせいで脳機能障害が生じてもおかしくないことになる。その一例と考えられるのが自閉症サヴァン症候群だ。この症候群をもつ子供は認知機能や社会性に重度の障害を抱えながらも、たとえば電話帳を暗記したり、目で見た光景を紙に正確に写し取ったり、ルービックキューブを驚異的なスピードで揃えたりといったことに卓抜した技能を示す。認知機能の障害と並外れた天分の組み合わせがこれまでに数々の仮説を引きつけてきた。本章との関連でいうと、大脳皮質の土地の分配に異常をきたしているというのが仮説のひとつである。脳が何らかの課題(暗記、視覚分析、パズルなど)に通常より広い土地を割いているために、尋常ならざる離れ業が成し遂げられているというのがこの仮説の主旨だ。だがその超人的な能力の陰で、正常な分配を得られなかった機能、たとえば安定した社会的技能へとつながる個々の細かい作業が犠牲になっている。
内は外のごとし
ここまで見てきたように、感覚情報の入力のされ方が(手足の切断や視覚障害や聴覚障害などで)変化すると、大脳皮質の大規模な再編成につながる。脳地図は遺伝子によってあらかじめ規定されているのではなく、入力情報によって形づくられる。つまり経験に依存している。事前に定められた包括的な計画のたまものではなく、局所的な縄張り争いから自然と立ち現れる特徴だ。共に発火するニューロンは共につながるために、隣接する体の部位は脳内の地図でも隣り合うように表現される。体がどんな形状になろうとも、最終的にそれはひとりでに脳表面の地図に反映される。
進化という切り口から考えてみよう。このように経験に依存したメカニズムになっていれば、自然選択はおびただしい種類の体の形状(鉤爪からヒレまで、物をつかめる尾から翼まで)を短期間で実地に試せる。自然が新しいボディプランを試みたくなったときに、そのつど遺伝子を変更して脳を書き換える必要はない。ただ脳が自らを調整するに任せればいい。このことからは本書に繰り返し登場する重要なポイントが浮かび上がる。それは、脳はデジタルコンピューターとは大きく異なるという点だ。
脳が自らを改造するのはボディプランが変更されたときだけでなく、あらゆる感覚系で起きている。生まれつき目の不自由な人の「視覚」野は聴覚や触覚などのほかの感覚に対応できるようになる。このようにして皮質領域が乗っ取られると、知覚の感度は向上する。脳がひとつの仕事に振り向ける土地が広くなればなるほど、その仕事の分解能が高まるからだ。
また、視覚が正常でも小1時間ほど目隠しをしただけで、指を使う課題や、音や単語を聞く課題を行う際に一次視覚野が活動するようになる。目隠しを外せば視覚野はすぐ元に戻り、視覚情報の入力のみに反応する。のちの章で説明するように、脳がにわかに指や耳を使って「見る」ようになれるかどうかは、ほかの感覚との接続がすでに存在していることが前提となる。眼球からデータが送られているあいだはそれらが使用されていないだけである。
以上をすべて踏まえて導き出されたのが私たちの仮説であり、神経間の競争と地球の自転の副産物として視覚的な夢が生じるというのがその主旨だ。視覚野がほかの感覚に乗っ取られるのを避けたければ、闇の帳(とばり)が下りても視覚野を働かせておける仕組みを生物は編み出さなければならない。
ここまで描いてきた構図は「途方もなく柔軟な大脳皮質」というものである。では、その柔軟性に限界はあるのだろうか。脳はどんな種類のデータでも受け取ることができ、あとはその情報をどうするかを脳が見つけ出しさえすればいいのだろうか。
第4章 感覚入力を受け入れる
地球を席捲(せっけん)するポテトヘッドのテクノロジー
脳はどんな情報を与えられてもそれに適合するすべを学び、そこから可能な限りのものを引き出す。そのデータが外界の重要な何かを反映した構造をもっていさえいれば(加えて次章以降で見ていく条件を備えていれば)、脳はその暗号を読み解く方法を探し出す。このことから興味深い結果がもたらされる。あなたの脳はデータがどこから来るかを知らないし、気にかけもしない。どんな情報が入ってこようと、脳はただその活用法を見つけ出すだけである。
おかげで脳という装置はじつに無駄がない。いわば汎用の計算装置だ。利用できる信号を単に吸い上げて、それで何ができるかを(ほぼ最適なかたちで)判断する。母なる自然はこうした戦略を用いることで、色々な種類の入力チャンネルに工夫を凝らせるようになった。それが私の考えである。
私はこれを「ポテトヘッドの進化モデル」と呼んでいる(「ポテトヘッド」とはジャガイモ形の人形のことで、体のパーツを好きなように差し込める。)こういう名前にしたのは、私たちの愛するなじみ深い感覚器官が目も耳も指先もすべて、プラグ・アンド・プレイの周辺機器にすぎないという点を強調したかったからだ。機器を差し込みさえすれば準備は万端整う。入ってくるデータをどうするかは脳が考えてくれる。
このように、脳がどんな感覚入力でも受けつけられる驚異の能力をもつおかげで、新しい感覚を研究開発する大変な作業は外側の感覚器官にだけ向ければいい。ポテトヘッド人形に鼻なり眼まり口なりを好きなように差し込めるのと同じで、自然も様々な機器を脳にプラグインすることで外界の多様なエネルギー源を検出している。
感覚器官を個別のスタンドアローン周辺機器と見るなんて、常識を逸した考えに思えるかもしれない。なんといっても、それらの機器を生み出すには何千もの遺伝子がかかわっているし、その遺伝子は体のほかの部分をつくる際にも重複して働いているのではないか。なのに鼻や眼や耳や舌を独立した機器ととらえて本当にいいのだろうか。ポテトヘッド・モデルが正しいとしたら遺伝子の中に単純なスイッチが見つかり、それをオン・オフすることで周辺機器が現れたり消えたりするはずである。
結論からいうと、すべての遺伝子が同等なわけではない。遺伝子のプログラムが展開していく際には、精緻に定められた順番に厳密に従う。ひとつの遺伝子の発現が次の遺伝子の発現の引き金を引くといった具合に、フィードバックとフィードフォワードの織りなす高度なアルゴリズムをベースにしている。このため、たとえば鼻をつくり上げるための遺伝子プログラムはいくつか決定的な分岐点があり、そこでプログラムのスイッチを入れたり切ったりできる。
なぜそう断言できるかといえば、遺伝子にたまたま不具合が生じたケースを見てみるといい。たとえば「無鼻症(むびしょう)」という先天性疾患の場合、子供は鼻のない状態で生まれてくる。このような遺伝子変異は理解も想像も及ばないかに思えるものの、私たちのプラグ・アンド・プレイの枠組みで考えるならば当然予想がつく。遺伝子が少し変わってしまうだけで周辺機器はまったくつくられなくなる。「無眼球症」「無耳症(むじしょう)」などの疾患もある。
こうした数々の障害に目を向けると、私たちの周辺探知器がそれぞれ特有の遺伝子プログラムで組み立てられているのがわかる。関連する遺伝子に些細な異常がひとつ起きただけでもプログラムは停止しかねず、そうなれば脳は特定のデータの流れを受け取れなくなる。
大脳皮質を汎用計算装置としてとらえると、進化の過程で新しい感覚技能がどのようにつけ足されてきたがが垣間見られる。遺伝子変異によって1個の周辺機器が誕生すると新しいデータの流れがどこかの脳領域に向かい、神経情報処理機構が仕事に取りかかる。つまり、新しい感覚技能を生み出すには新しい感覚デバイスを開発しさえすればいい。動物界全体を見渡したときに、ありとあらゆる奇妙な周辺機器が見つかるのはそのためだ。そのひとつひとつは進化を通じて数百万年かけて形づくられている。あなたがヘビなら、DNA配列がピット器官をこしらえて赤外線情報をとらえる。あなたがブラックゴーストナイトフィッシュなら、遺伝子の文字が電気センサーを生み出して電場の乱れを感知する。ブラッドハウンド犬なら、遺伝暗号が読み解かれた末に嗅覚受容体の詰まった大きな鼻ができる。シャコであれば、遺伝子の指示で眼に16種類の光受容体がつくられる。
こうした多種多様な周辺機器に対応させるために、そのつど脳を設計し直さなくてはいけないのだろうか。その必要はないと私は考えている。進化の過程でランダムな遺伝子変異が起きて未知の感覚器官が生まれても、情報を受け取る側の脳はただそれをどう活用するかを探り出すだけだ。脳の作動原理がひとたび定まってしまえば、自然は新しい感覚器官を設計することだけに腐心すればよい。
こういう角度から眺めると、ヒトに備わったデバイス━━眼、鼻、耳、舌、指先━━以外にも色々な機器があり得ることがわかる。現在の私たちがもっている周辺機器は、進化の長い紆余曲折からたまたま受け継いできたものにすぎない。
感覚代行
1960年代が終わる頃、ポール・バキリタという医師が、ひとつの計画を追いかけていた。それは歯科用の椅子を改造して、そこに目の見えないボランティアの被検者を座らせるというものである。椅子の背もたれ部分にはテフロン製の突起が20×20で合計400個、格子状にはめ込まれている。個々の突起は機械的ソレノイド(筒形コイルに電流を流すことで金属棒を動かす仕組み)で出したり引っ込めたりすることができた。被験者の頭の上には三脚にカメラが1台取りつけられていた。カメラがとらえた映像データの流れはひとつのパターンに変換され、そのパターンのとおりに突起が被験者の背中を刺激する。
何かの物体がカメラの前を通り過ぎるあいだ、盲目の被験者は背中の感覚に神経を集中する。訓練開始から数日のうちには、背中の刺激だけで物体が何かをかなり正確に推測できるようになっていた。誰かの背中に指で絵や文字を描いて、それが何かを当てさせるゲームに似ている。それを視覚と呼ぶのは憚れるものの、少なくとも一歩を踏み出した。
バキリタの発見はこの研究分野に衝撃を与えた。なにしろ、盲目の被験者が学習を通して横線・縦線・斜め線を区別できるようになったのである。被検者はさらに訓練を重ね、単純な形の物体や人の顔まで識別できるようになった。それも突起による背中への刺激だけで。
バキリタとチームがこのやり方に単純な変更をひとつ加えたところ、結果は大幅に改善された。三脚にカメラを取りつける代わりに、カメラの向きを被験者に自由に調節させることにしたのである。つまり「眼」がどこを見るかを被験者自身の意志に任せた。なぜこう変えたのかというと、感覚入力の学習効果が一番大きくなるのはその人が世界と影響を及ぼし合えるときだからである。被験者にカメラをコントロールさせることで、筋肉への出力と脳への入力が結びついてフィードバックループが完結した。知覚は受け身の作業ではない。能動的に環境を探ることにより、何かの動作で変化を生じさせたらそれが脳にとってどう跳ね返ってくるかを照合する行為といえる。そのループがどんなかたちで成立するかは脳にとってどうでもいい。外眼筋(がいがんきん)を動かすのでも、腕の筋肉を使ってカメラを傾けるのでも同じことだ。どのようにして起きるのであれ、脳はその出力が入力とどう対応するかを見つけ出そうとする。
これが被験者の意識のうえでどんな経験だったかというと、物体は背中の皮膚の上ではなく「そこにある」ように感じた。要は視覚に似ていたわけである。あなたがコーヒーショップで友人の顔を見つけたとき、その視覚信号は網膜の光受容体に打ち当たる。だからといって相手が目の中にいるようには思わない。友人は「そこにいて」、少し離れたところからこちらに手を振っている。改造された歯科椅子の被験者についてもそれと同じことがいえた。
芸はひとつでいい
1990年代、バキリタと同僚は歯科椅子より小さな仕掛けをつくりたいと考えた。そこで開発したのが「ブレインポート」という小型装置である。目の不自由な人の額にカメラを取りつけ、小さな器具を舌に載せる。この「舌で感じ取る表示器具(タング・ディスプレイ・ユニット)」には3平方センチメートルの範囲に電極が格子状に配されている。カメラが画像をとらえると、その画素に対応する位置で電極がわずかな電気ショックを与える仕組みだ。すると、弾けるキャンディを口に入れたような感覚が生じる。明るい画素は強い刺激で表され、グレーは中ぐらいの刺激、暗い画素の場合は刺激が起きない。ブレインポートが視覚的な物体を識別する能力は視力にしておよそ0.025相当である。ブレインポートを使用すると、初めのうちは舌の刺激が輪郭線や形としてもに知覚され、その正体を特定するには至らない。しかし、やがて一段深いレベルで刺激を認識することを学習し、距離、形状、動きの方向、サイズといった性質を判断できるようになる。
普通、私たちは舌を味覚器官と考えている。だが、舌には触覚受容器がひしめているので(だから食物の舌触りがわかる)、脳と機械のインターフェースとしてはうってつけだ。この機器もほかの視覚・触覚デバイスと同じように、視覚が眼でなく脳で生じることを改めて気づかせてくれる。これを使用する訓練を受けた人(視覚のあるなしにかかわらず)の脳を画像化すると、通常なら視標の動きを扱う脳領域が舌への刺激の動きによって活性化するのがわかる。
背中への刺激のときもそうだったが、ブレインポートの場合も使用者はしだいに景色の「開け具合」や「奥行き」がわかるようになり、物体が「そこにある」ように感じ始める。言葉を換えれば、舌の上で起きていることを頭で考えて翻訳する段階を超えて、一足飛びに知覚できるようになるということである。
以上の例から共通して読み取れるのは、通常は触覚とみなされる経路から視覚情報が入ってきても脳はそれを利用できるようになるということである。だが何を隠そう、うまくいく戦略は触覚に限らないことが明らかになっている。
アイチューンズ
1966年、レスリー・ケイという名のイギリスの教授がコウモリの見事なエコロケーション(反響定位)に並々ならぬ興味を抱いた。エコロケーションができるようになる人間もいるにはいるのをケイも承知していたが、実行するのは容易でなない。そこで、視覚障害者のコミュニティがエコロケーションの恩恵を受けやすくなるようにと、ケイはごついメガネを設計した。
このメガネは環境中に超音波を発する。超音波は波長が短く、小さい物体に当たって跳ね返ったときにその物体に関する情報を教えてくれる。ケイの装置はこの性質を利用したものであり、メガネに搭載された電子機器が超音波の反射をとらえて人間の可聴音に変換する仕組みだ。音程は物体までの距離を表し、音が高ければ遠く、低ければ近い。音量からは物体のサイズがわかる。音が大きいときは物体も大きく、小さければ物体も小さい。音の清澄度(せいちょうど)は物体の質感を示し、表面がなめらかなら澄んだ音、ざらざらしているなら雑音混じりの音として響いた。このメガネをかけて練習すると、目が見えなくても障害物をかなりうまくよけられるようになった。そうはいっても音の分解能が低かったために、盲導犬や杖の補助にはなってもその代わりにはなりそうもないというのがケイと同僚の結論だった。
1980年代の初め、ペーター・マイヤーというオランダの物理学者がこのバトンを拾い上げ、耳から視覚情報を送る方法について思いをめぐらせた。そして、エコロケーションを利用するのではなく、映像データを音に変えられないかと考えた。
1991年、マイヤーはケイのメガネの改造版をデスクトップコンピューターにつなぐシステムを発表し、1999年の時点ではそのコンピューターをポータブル型に改良していた。カメラを搭載したメガネと、ベルトに挟むコンピューターを組み合わせたものである。マイヤーはこのシステムを「vOICe(ヴォイス)」と名づけた。使用されるアルゴリズムは音を3つの次元に分けて操作する。まず、物体の高さは音の「周波数」で表す。水平方向の位置については、立体音響(ステレオ)の入力データを左右に動かす時間で表現する(光景に目を走らせるときのように音が左耳から右耳に移動するのを思い浮かべてほしい)。物体の明るさを示すのは音量の大きさだ。視覚情報はおよそ60×60画素のグレースケール画像としてとらえることができた。
このメガネをかけるとどんな経験が得られるのか、想像してみてほしい。初めのうちは何もかもが不協和音のような音を立てる。周囲を歩き回ると、音はブーンと唸ったり甲高く響いたりと耳慣れないパターンを繰り広げ、とてもそれが何かの役に立つようには思えない。ところがしばらくすると、音を手がかりにして動き回る感覚がつかめてくる。この段階はもっぱら頭で考える練習だ。音の意味を苦心しながら翻訳して、何らかの作用を及ぼせる対象に変える。
重要な局面は少ししてからやって来る。数週間から数か月が過ぎると、システム使用者の行動レベルが向上しはじめるのである。翻訳の仕方を暗記したからではなく、ある意味本当に見ているからだ。なんとも奇妙で解像度の低い見え方ではあるものの、確かに視覚を経験している。使用者のひとりは20歳のときに視力を失ったのだが、vOICeの使用体験を次のように語った。
2~3週間もすると、音の風景(サウンドスケープ)の感覚がつかめてきます。3か月ほどすれば、自分を取り巻く環境の部分部分がパッと視界に飛び込んでくるようになって、そこに目を向けさえすれば対象の正体を識別できます。・・・それは視覚です。視覚がどういうものか、私は知っています。覚えていますから。
つまり、信号がどんな経路(視覚であれ触覚であれ聴覚であれ)を通って頭蓋内の聖域に入ってこようとも、脳はそこから形の情報を引き出すすべを見つける。信号の検出器がどんな種類かは関係ない。大切なのはそこから選ばれる情報だけである。
いい振動(バイブス)でいい感じ
世界人口の約5%が聴覚障害をもつことから、関与する遺伝子を探す取り組みが何年か前から始まった。あいにく現時点では220を超える関連遺伝子が見つかっている。単純な解決策を望む向きは溜息をつきたくなるところだが、これはけっして予想外の結果ではない。なんといっても、いくつもの繊細な部品が協調して働くことで聴覚系は成り立っている。どこか一か所がうまくいかなくなればたちまち全体が支障をきたし、結果的に「聴覚障害」と総称される状態に陥る。
そうした個々の部品や部分に注目し、その修復方法を見出そうとしている研究者は大勢いる。しかし、ここはひとつライブワイヤリングの視点から問いを投げかけてみたい。この問題を解決するうえで感覚代行の原理が役立つ面はないだろうか。
この疑問を胸に、教え子で大学院生だったスコット・ノヴィックと私は聴覚障害者のための感覚代行システムをつくりたいと考え、音を触覚に変換する感覚代行装置を開発した。装置といってもシャツの下に着るタイプであり、「ネオセンソリー・ベスト」という名である。このベストが周囲の音を捕捉し、皮膚と接する複数の振動モーターにその信号を割り振る。これを身につけていると、周囲の音の世界を感じることができる。
そんなことでうまくいくはずがないと思うかもしれないが、あなたの内耳が行っているのもこれと何ら変わらない。内耳は音を異なる周波数に分解し(低周波から高周波まで)、そのデータを脳に送って解釈させている。スコットと私はいってみれば内耳を皮膚に移動させたわけだ。
ネオセンソリー・ベストを初めて試したのは37歳のジョナサンで、生まれつきまったく音が聞こえなかった。私たちはジョナサンに対して1日2時間の訓練を4日間続け、30個ひと組の単語リストを学習させた。5日目、スコットが口を隠して(唇が読まれないようにして)「touch(「触れる」の意)」という単語を発音し、ジョナサンは胴体に複雑な振動パターンを感じる。するとジョナサンはホワイトボードに「touch」と書いた。次にスコットが別の言葉(「where(「どこ」の意)」)を読み上げると、やはりジョナサンはそれを正しくボードに記す。複雑な振動パターンを読み解いて、話された言葉の理解へと変換できたわけである。このパターンはあまりに複雑なので、意識して翻訳しているのではない。脳がパターンを解読している。私たちが新しい単語リストへと移ったときも、ジョナサンの正答率は安定して高いままだった。つまり単にパターンを暗記しているのではなく、皮膚で聞く方法をマスターしつつあったということである。
私たちはリストバンド・タイプ(「バズ」という製品名)も製作していて、こちらにはモーターが4つしかついていない。ほかと比べて分解能は低いものの、日常生活ではこちらのほうが都合のいいケースが多い。使用者のひとりであるフィリップは、飼っているイヌが吠えたり、蛇口から水が出ていたり、玄関の呼び鈴が鳴ったり、妻に自分の名前を呼ばれたりするのもわかると語る。
フィリップがバズを6か月装着した時点で私は話を聞き、注意深く言葉を選びながらそれが内面でどのように感じられるかを尋ねた。それは手首にブーンという振動があって、その意味を読み解かなければいけない感覚なのか、それともじかに物事が認識できる感じなのか。具体的な場面に置き換えるなら、サイレンが道路を通り過ぎていったとき、皮膚に振動が響いてそれはサイレンという意味だと思うかのか・・・それとも救急車が「そこにある」のを感じるのか。それは後者だとフィリップは迷わず答えた。「頭の中で音を感じるんです」。曲芸を見るように(眼に打ち当たる光子を数えるのではなく)、もしくはシナモンの匂いを嗅ぐように(鼻の粘膜に触れた分子の組み合わせを頭で翻訳するのではなく)、フィリップは世界を聞いている。
失われた感覚を補ううえで、感覚代行は新たなチャンスを切り拓いてくれる。だが、打つ手はそれだけではない。感覚代行はあくまで初めの一歩にすぎず、その先には次なる世界が待ち受けている。それが感覚強化だ。いまある感覚をよりよく、より速く、より守備範囲を広げられるとしたらどうだろう。破壊された感覚を修復するだけでなく、すでにある感覚を向上させられるとしたら?
周辺機器を強化する
2004年、視覚から聴覚への変換方式が期待を集めていることにヒントを得て、ニール・ハービソンは自分の頭に「アイボーグ」というアンテナを埋め込んだ。ニールは色覚異常をもつ芸術家である。アイボーグは単純な装置で、映像データの流れを分析して色を音に変換し、その音を骨伝導で耳の後ろに伝える。要するにニールは色を聞いている。どんな色見本であれ、その正面に顔を向ければ何色かを識別できる。「それは緑」「これは赤紫」といった具合に。
それ以上にすごいのは、アイボーグのカメラが可視光以外の光の波長も検出できることである。つまり、色を音に翻訳する作業の一環として赤外線や紫外線も符号化できる(そして環境中でそれらを知覚することもできる)。
感覚は偶然に強化される場合もある。たとえば白内障の手術で水晶体を取り除き、人工の眼内レンズを移植される人は大勢いる。本来の水晶体には紫外線をブロックする働きがあるのだが、眼内レンズにはそれがない。そのためレンズを入れた患者は、以前は感知不能だった電磁スペクトルの領域にいつのまにか入り込んでいる。そうした患者のひとり、エンジニアのアレク・コマルニッキーは、白内障の手術で水晶体を眼内レンズに取り換えた。すると、色々な物体がほのかに青紫色の光を放っているのを自分だけがわかるようになった。
拡張できるのは視覚に限らない。聴覚もそうだ。私たちのバズ・リストバンドや補聴器などの機器はすでに聴覚の通常の尺度を超えている。では、それをさらに超音波の領域にまで広げて、ネコやコウモリにしか利用できない音を聞こえるようにするのはどうか。もしくは、ゾウがコミュニケーションに用いる超低周波音の世界に分け入るのは? 聴覚テクノロジーが向上していけば、たまたま人類の標準とされる感覚がどうあれ、それだけに入力情報を限定しなくてはいけないいわれなどなくなる。
嗅覚にも同じことがいえる。たとえばブラッドハウンド犬は、人間に可能な範囲をはるいかに超えて匂いを嗅ぎ分ける。だが、人間にも多数の嗅覚センサーをつくり、それを使って色々な物質の匂いを感じ取れるとしたらどうだろう。鼻の大きい薬物探知犬を1頭出動させる代わりに、匂い探知の奥深さを身をもって経験できる。
ここまで紹介したような数々のプロジェクトは世界に向けて様々な窓を開き、これまで見えなかったものの一部を見えるようにしてくれる。しかし、すでにある感覚を拡張して通常範囲以上のものを受け取るだけでなく、さらに一歩進んでまったく新しい感覚を生み出すことができないだろうか。ツイッターからのリアルタイムのデータや、磁場を直接感じ取れるとしたら? 脳の驚異的な柔軟性をもってすれば、その種のデータの流れをじかに取り込んで知覚するのは不可能ではない。いままで学んできた原理を踏まえれば、私たちは感覚代行を超え、感覚強化をも超越して、「感覚追加」の世界への思考を広げることができる。
新しい感覚中枢を出現させる
物体の周りの磁場だけでなく、地球を取り巻く磁場も感知できるとしたらどうだろうか。現に動物はそうしている。ウミガメは自分が孵化した浜に戻って卵を産むし、渡り鳥は毎年グリーンランドから南極に渡ってまた同じ場所に帰ってくる。伝書鳩は国家や軍隊の信書を携えて、人間の伝令より正確に2点間を移動する。
ロシアの科学者アレクサンダー・フォン・ミッデンドルフは、こうした動物がどうやって魔法のような離れ業を成し遂げているのかに興味を抱いた。そして1885年には、それが体内コンパスを利用しているのではないかと正しく推測した。「船の方位磁針のように、空を旅する鳥たちは体内に磁力を感じる仕組みをもち、それが電磁気の流れと結びついているのかもしれない」。つまり、地磁気を利用して進路を決めているということである。
ドイツのオスナブリュック大学の研究チームは、ウェラブル機器を介して人間もその信号を利用できないかと考えた。そこで2005年から研究を始め、「feelSPace(フィールスペース)」という名のベルトを開発した。ベルトには複数の振動モーターが並んでおり、北を指すモーターが振動する。体を変えても、つねに磁北の方向がわかる仕組みだ。
初めのうちは振動が煩わしく感じられるものの、しだいにそれは空間情報になる。北は「そっちだ」という感覚が生まれる。数週間が過ぎるうちに、ベルトは人のナビゲーションの仕方を変える。方向感覚が向上するだけでなく、新しいナビゲーション戦略を編み出したり、様々な場所どうしの位置関係をより的確に把握したりするのもできるようになる。環境が以前より整然と感じられ、敷地内の配置も楽に覚えられる。
実験の被験者のひとりは初めての街にベルトをつけて出かけ、その時の経験をこう語った。「街なかでも方角がわかって面白かったです。戻ってきてからも、訪ねた色々な場所や、部屋や建物の位置関係をぜんぶ思い出すことができました。実際にその場にいたときは意識して注意を払っていたわけではないのに」。しかも、手がかりを準繰りに追うようにして移動するのではなく、全体を俯瞰する視点からルートを考えることができた。別の被験者は次のように表現している。「単に触覚が刺激されるのとは違いました。ベルトによって空間感覚が生まれたからです。・・・自宅の方向でも、職場の方角でも、直感的に認識できました」。言い換えるなら、この人物の経験したことは感覚代行(別の経路を介して視覚や聴覚の情報を与えること)でもなければ、感覚強化(いまある視覚や聴覚の能力を高めること)でもない。これは感覚の追加であり、人間がこれまで味わったことのない新しい経験である。
注目したいのは、ベルトを外したあともしばらくは方向感覚がよくなると多くの使用者が語っていることだ。効果が装着時間より長続きしている。体内にはかすかな信号のささやきが残っているので、それを外づけの装置で後押ししてやれば強めることができる。
新しい色を想像する
頭蓋内の暗い小部屋で脳が利用できるのは、特殊な細胞のあいだを駆け回る電気信号のみである。脳が直接何かを見たり聞いたり、触れたりすることはない。その感覚入力の表すものが交響曲から圧縮された空気の波であれ、雪をかぶった彫像が反射する光のパターンであれ、焼き立てのアップルパイから漂い出た分子であれ、ハチに刺された痛みであれ、結局はすべてがニューロンの活動電位として表現される。
脳組織の一区画で電気信号がニューロンをすばやく出入りするのを観察できるとして、そこが視覚野か聴覚野か、はたまた体性感覚野かと問われたら、私にはこたえられないし、あなたにもわからない。どこもぜんぶ同じように見える。
このことが神経科学における未解決の謎へとつながる。なぜ視覚と嗅覚はこれほど違って感じられるのか。味覚にしてもそうだ。風にそよぐマツの美しさとフェッタチーズの味を混同することがないのはどういうわけだろう。それをいうなら、サンドペーパーの手ざわりと淹(い)れ立てのエスプレッソの香りを間違えることもない。
それぞれの感覚(聴覚や触覚など)をつかさどる脳領域が遺伝的に違うつくりだからだと思うかもしれない。だが詳しく調べてみると、その考え方は成り立たないとわかる。これまで見たとおり、人が失明すれば視覚野とよばれていた脳領域は触覚や聴覚に取って代わられる。脳の配線は変えられるのだから、いくら「視覚」野だからといって本質的に視覚的なものがあると言い張るのには無理がある。
だとすれば行き着くのはもうひとつの仮説だ。ひとつの感覚に関する主観的な経験(「クオリア」とも呼ばれる)はデータの構造で決まるというものである。別の言い方をするなら、網膜という2次元のシートから来る情報は、鼓膜に当たる1次元の信号とは構造が同じではなく、指先からの多次元データともやはり異なっている。だから結果として、それぞれのデータの流れがすべて違って感じられるというのがこの仮説の主旨だ。これと近い仮説もひとつあり、運動出力が感覚入力にどう影響するかがクオリアを大きく左右するとしている。たとえば視覚データであれば、眼球の周りの筋肉に指令が送られるにつれて変化していく。視覚からの入力データの変化は学習可能なかたちで起きる。左に目を向けたとき、視覚の端でぼやけていた物体が鮮明な像を結ぶのはその例のひとつだ。眼球を動かすと視覚的な世界は姿を変えていく。ただしこれは音の世界には当てはまらない。音の場合に違いを得ようと思ったら、音そのものを回す必要がある。触覚はまた別であり、物体に向かって指先を動かしていって触れたり探ったりする。嗅覚は受け身のプロセスだが、息を吸い込むことで匂いは強くなる。味覚は口に何かを入れたときに花開く。
だとすればふたつのことが考えられる。ひとつは、モバイルロボットからであれ、皮膚電気反応からであれ、あるいは長波赤外線の温度データからであれ、私たちは新しいデータの流れを取り込んで脳にじかに送り込めるということ。もうひとつは、データに明確な構造があって、自分自身の動作に伴うフィードバックループが存在しさえすれば、最終的にそのデータから新しいクオリアが誕生するはずだということである。それは視覚とも聴覚とも触覚とも嗅覚とも味覚とも違った、未知の斬新な感覚だ。
それがいったいどんな感覚なのか。想像するのは至難の業に思える。というより完全にお手上げだ。なぜ無理なのかを実感したければ、いままでにない新しい色をひとつ思い浮かべてみるといい。さあどうぞ。目を細めて、考えに考えて。苦もなくできそうでありながら、実際には白旗を掲げるしかなくなるはずだ。新しい色を心に描けないのと同じように、新しい感覚をイメージすることはできない。
新しい色を想像できないのだとすると、そこからはじつに様々なことが見えてくる。ひとつには私たちのクオリアには柵で仕切られた境界があって、そこを越えて歩くことはできない。だとすると、ひとつの衝撃的な結末がもたらされる。たとえ新しい感覚を生み出すのが可能だとわかっても、その感覚をほかの人に伝えるのは不可能だということだ。たとえば、紫色を経験するには紫色がどういうものかを知っている必要がある。色覚異常の人にどれだけ学術的な説明をしたところで、その人が紫色を実感したことにはならない。それと同じで、生まれながらに目の不自由な友人に視覚というものをわかってもらおうとしたらどうすればいいか。考えられる限りの言葉を尽くしてみて、その友人もあなたの話が吞み込めたふりさえしてくれるかもしれないが、結局は空しい試みでしかない。視覚という経験をもたなければ、視覚を理解することはできない。
それと同じで、まったく新しい感覚を脳にプラグインし、かつてないクオリアがそこから育っていったとしても、それをほかの人に伝えるのは無理だ。feelSPaceベルト(磁北を知らせてくれる装置)の実験に関する報告書の中で研究チームはふたりの被験者を取り上げ、彼らが知覚の変化を訴えたと記しながらも次のように指摘している。
ベルトから得られた知覚の質や、従来とは異なる空間認識から生じた質的経験については、明確に表現するのが難しかった。観察者の印象では、彼らは起きたことに対する概念をもたないために、説明らしきものをしたくても比喩や比較を用いることしかできないようだった。
報告書の著者らはのちの箇所でこう記している。「知覚の変化に関しては、同じ経験をしていない対象群に伝えるよりも、経験者どうしで語り合うほうが格段に容易だった」
新しい感覚が開発されたあかつきにはまさにこれと同じことが起きる。その感覚を理解するには自分も同じデータを取り込んでその経験を学ぶしかない。だからいまから数十年後に新しい感覚を身につけたとき、それを誰にもわかってもらえず孤独に苛まれることがあれば、一番いいのは同じ感覚入力を受け取っている人のコミュニティをつくることだ。
第5章 よりよい体を手に入れるには
標準的な設計図はない
動物界を眺め渡してみれば、アリクイにホシバナモグラ、ナマケモノにワニトカゲギス、タコにカモノハシと、一風変わった形のオンパレードである。だが不思議なことがひとつある。どの動物も(ヒトも含め)拍子抜けするほどにゲノムが似ている点だ。
だとしたら、見事に多種多様な装備(物をつかめる尾、鉤爪、喉頭、触手、ヒゲ、胴体、翼など)を生物がもつまでになったのは、いったいどんな仕組みによるものだろう。シロイワヤギは岩場を駆け上がり、フクロウは急降下してネズミを襲い、カエルは舌を伸ばしてハエをとらえる。それらが巧みに行えるようになったのはどういうわけなのか。
それを理解するため、脳の「ポテトヘッド・モデル」に立ち戻ってみたい。脳には色々な種類の入力デバイスを接続できるというあの考え方だ。それとまったく同じ原理が出力に関しても当てはまる。つまり、プラグ・アンド・プレイ式に奇妙奇天烈な運動デバイスを自然はいくらでも好きなように実験できる。指であれヒレ足であれヒレであれ、2本足だろうが4本足だろうが、手でも鉤爪でも翼でも、脳が働くうえでの基本原理をそのつど変更する必要はない。利用できる装置をどうすれば動かせるかを脳の運動系が探り出すだけである。
チンパンジーは私たちの一番近いいとこであり、遺伝子の面ではヒトとほぼ変わらない。なのに、ボディプランに関しては異なっている部分が多い。たとえば、チンパンジーのほうが二頭筋と関節の付着する位置が高く、骨盤が外に開いている。足の指も私たちより長い。チンパンジーの脳は暗い高みで玉座に収まりながら、体を揺すって木から木への飛び移っていく方法も、地上を4足でナックル歩行するやり方も、楽々と見つけ出す。人間の脳も同じで、どうやって卓球の試合をしたりサルサを踊ったりすればいいかで悩むことはない。脳はたまたまどういう装置に埋め込まれていようと、その装置をできるだけ円滑に動かす方法を苦も無く割り出す。
この原理に基づけがどんなことができるかを実感するにはマット・スタッツマンの例を見てみるといい。マットは両腕のない状態で生まれたが、いつしかアーチェリーに興味を抱くようになり、弓を矢を両足で操作する方法を身につけた。流れるような動きで足の指が矢をつがえ、それから右足が弓をもち上げる。肩を前にしてストラップに弓を固定し、ちょうど目の高さに来るようにする。右足を前に押し出して弓を引き絞り、的にひたと狙いが定まったら矢を放つ。ただアーチェリーの才能に恵まれているだけでなく、マットは世界一でもある。
こういった脳の柔軟性は動物界全体で確認されている。たとえばイヌのフェイスは前足のない状態で生まれてきたが(実際には形成不全の前足が1本だけあったが、委縮し始めたために生後数か月で切断された。12年近く生きて2014年死亡)、子イヌの頃から後ろ足で歩けるようになった。人間のような二足歩行である。イヌの脳は配線が固定されていて、標準的なイヌの体を動かすように決められていると思われがちだ。だが、脳は自らがたまたま閉じ込められた装置がどんなものであれ、すぐさまそれを使って世界を渡っていく。そのことをフェイスの例は見事に示している。
脳は初めから特定の体を扱うように定められているわけではない。自らを適合させることで体を動かし、外界と相互作用しながら見事に機能している。両腕のないアーチェリー選手と二足歩行のイヌの例からはこの事実が浮き彫りになる。しかもそれは生まれもった体だけに当てはまるのではなく、途中で新しい機会が開けた場合も同じだ。たとえば、サー・ブレイクという名のカリフォルニア州のブルドックはスケートボードに飛び乗ると、片側の足で地面を蹴って勢いをつけ、ここぞというタイミングで足を戻してボードに乗っていく。体重を移動させながら障害物をよけるさまは人間顔負けだ。気が済んだらボードが減速するに任せ、停止する寸前で飛び降りる。イヌの進化の歴史のどこを見ても車輪が存在しなかったことを思うと、新しい可能性を操るうえで脳がどれだけ適応能力を発揮するかがよくわかるだろう。
もうひとつの例をあげるとシュガーという名のサーフィン犬がいて、いまでは「国際サーフィン犬ウォーク・オブ・フェイム」入りを果たしている。ロングボードでどうやってハングテン(ボードの先端に両足の指をかける難易度の高い技)をするかを科学的に調べる際に、イヌの脳が使われることはまずない。だがそうなったって少しもおかしくはないのだ。機会さえ与えられれば彼らの脳の運動系は対処法を見つけ出す。
運動の片言
赤ん坊が言葉をしゃべれるようになるには、口の形や息の出し方を身につけなければならない。その際には遺伝子に導かれるのでも、ウィキペディアのページを見て回るのでもなく、片言をしゃべることを通して学ぶ。口から音が現れ、耳がその音を拾う。そして、赤ん坊の生み出した音が親から聞く音とどれくらい近いかを脳が比較する。うまく音をつくれたときには好意的な反応をもらえるので、それが助けになっていく。こうして絶えずフィードバックを受け取ることで発話に磨きをかけていき、ついてには英語でも、中国語でも、ベンガル語でも、ジャワ語でも、アムハラ語でも、ペモン語でも、チュクチ語でも、地球上にあるほかの約7000の言語のどれであっても流暢に話せるようになる。脳が体の操り方を身につける過程もこれと同じで、運動版の片言を用いる。
赤ん坊がベビーベッドにいるところを観察してみよう、足の指を噛んだり、額をはたいたり、髪の毛を引っ張ったり、指を曲げたりしながら、自分の出力した運動がどういう感覚のフィードバックとして返ってくるかを学んでいる。ひとつの出力が次の入力とどう対応するかを体得し、体の言語を理解していく。こういうやり方を続けた結果として私たちは歩き、イチゴを口に運び、プールに浮かび、雲梯(うんてい)にぶら下がり、ジャンピングジャック(開脚すると同時に頭上で両手を合わせ、再び元に戻るのをジャンプしながら行う体操)をマスターできるようになる。
動作を生み出してそれへのフィードバックを評価するというのは、運動の片言だけでなく社会性の片言を理解する鍵にもなる。他者とのコミュニケーションをとることをどうやって学んだか(そしていまも学びつつあるか)を考えてみるといい。人前で何かの行動を起こし、そのフィードバックに応じてふるまい方を調節することの繰り返しだ。様々な可能性を探り、若いときはいくつもの仮面(ペルソナ)を試してもみる。そういう場面では冗談を飛ばしたほうがいいのか、不服そうに腕を組むべきなのか、それとも泣いて同情を買うのがいいのか。
さて、ここで話をサー・ブレイクやシュガーなどのスポーツ犬に戻そう。彼らのパフォーマンスは見ていて楽しいだけでなく、ひとつの重要な基本原理を指し示してもいる。それは、イヌの遺伝子が4本足の代わりに2本足を生やしても、足の代わりに車輪をつけても、サーフボードのような骨格をつくったとしても、内側にある脳の設計を変更する必要はないということだ。脳は勝手に自分を調整し直す。
運動野、マシュマロ、月
2011年の時点ではピッツバーグ大学の神経科学者アンドリュー・シュウォーツとチームが、本物の腕に近い複雑でなめらかな動きをする義腕を開発していた。ジャン・シュールマンという女性は脊髄小脳変性症のせいで首から下が麻痺していたため、この義腕をコントロールするための脳外科手術を受けたいと名乗りを上げた。いまでは運動野の信号を記録することにより、ジャンが自分の腕の動きをイメージするだけで義腕が動く。義腕は体から少し離れたところにあるのだが何の支障もなる。脳と装置をつなぐワイヤーの束を介して流れるような動作で義腕の向きを変えたり、物をつかんだりすることができる。その昔に自身の腕で行っていた巧みな動きと比べてもほどんど遜色がない。腕をもち上げようと思ったとき、通常なら信号は運動野から脊髄を下っていき、末梢神経に入って筋線維へと至る。ジャンの場合はその信号が別のルートを通っていくにすぎない。神経を経由して筋肉に到達する代わりに、ワイヤーに中を猛スピードで進んでモーターに行き着く。時とともにジャンの義腕操作は上達している。それはひとつには技術が改良されているからであり、もうひとつは脳が自らの配線を書き換えて、新しい付属肢を自在に操るための最適な方法を理解しつつあるからだ。
現在、身体麻痺をもつ人の全身の動きを取り戻すべく、ブレイン・マシン・インターフェース(BMI)が盛んに開発されている。世界的な協働体制で進められている「ウォーク・アゲイン・プロジェクト」は、脳の指令で動く全身スーツによって運動能力の回復を目指すものだ。そのスーツを装着すれば、ジャンのように動作を考えるだけで体が運ばれる。目指すのは微小電極を高密度で配置したデバイスを脳の10か所に埋め込むことにより、患者が自らの脳活動を用いて複雑なロボットスーツをコントロールできるようになることである。
脳から出ていく信号の経路を変更してロボットアームを操作できるのはいいが、ひとつ難点がある。指先からの感覚フィードバックが返ってこないことだ。フィードバックループを閉じればこの問題は解決するので、患者の体性感覚野に電気刺激を送ってやればいい。ロボットアームが目標物にタッチしたら、本物の指先と同じパターンの電気活動を体性感覚野に与える。すると本人は実際に自分の手が特定の触感を得たように思う。患者が次の目標物をさわると、今度は別の手触りを「感じる」。こうして患者はロボットアームを伸ばして世界に触れ、世界と相互作用している感覚を余すところなく経験できる。脳の柔軟性のおかげで、最終的にはそのアームが完全に自分の腕であるように知覚する。体の操り方を脳が最も効率的に学べるのは、フィードバックループがきちんと完結している場合だ。
さて、損傷した手足の機能をBMIで回復させたり、置き換えたりできることはわかった。では、同じテクノロジーを使って手足を1本つけ足すことも可能だろうか。
2008年、2本の正常な腕をもつサルが自らの思考の力を使って、もう1本の金属製の腕をコントロールしてみせた。サルは微小な格子電極を脳に埋め込まれていて、それを用いてロボットアームを操作し、マシュマロをつかんで口に運んだのである。このサルはまず、コンピューター画面上のターゲットに向けてカーソルを進め、うまくできたら褒美をもらえるという訓練を受けた。初めのうちは自分の本物の腕でこの課題をこなしていたのだが、やがて注目すべきことが起きた。腕を動かすのをやめたのである。それでもカーソルは移動し続けた。つまり、脳が自らの回路を書き換えてこの課題を分離したために、一部のニューロンは本物の腕に、一部のニューロンは画面上のカーソルに対応するようになったということである。最終的にサルは運動野からの信号でロボットアームをコントロールし、マシュマロを手に入れられるようになった━━本物の腕は微動だにしていないのに。こうしてロボットアームが新たに体の一部になった。
ジャンの場合もサルの場合もロボットアームは胴体に直結しておらず、ワイヤーで脳とつながっていた。けれでもこれがワイヤレスにやれば、実際問題としてアームは部屋の中になくてもよくなる。では、地球の裏側にあるロボットを制御することもできるのだろうか。じつは、これはすでに行われている。
何年か前、デューク大学のミゲル・二コレリスとチームは1匹のサルに複数の電極を取りつけ、そのサルは地球を半周したところにあるロボットの歩き方をコントロールした。しかもリアルタイムで。サルがトレドミル上を歩くあいだ、その運動野からの信号が記録される。それが0と1に変換されてインターネット経由で送信され、日本の研究所(京都府にあるATR(国際電気通信基礎技術研究所)脳情報研究所)内の人型(ヒューマノイド)ロボットがそれを受信する仕組みである。身長約150センチで体重約90キロの金属製の分身は、まさしくサルと同じように歩いてみせた。
これをどうやって成し遂げたのかというと、足を使った地道な仕事をこの実証実験に先立って相当にこなしたおかげだった。まずはノースカロライナ州にあるニコレリスの研究室で、アカゲザルにトレッドミルを歩かせる訓練をする。次に、サルの足に取りつけた複数のセンサーから、足の動き方を表すデータを集める。加えて、数百か所の脳細胞からデータを記録することにより、神経活動がどのように読み替えられて筋収縮への至るのかを調べる。さらには、トレッドミルの速度を上げたり下げたりしたときに、歩く速さと歩幅が脳活動とどのような相関を示すかを確かめた。
たった1個のニューロンからではたいしたことがわからなかっただろうが、脳領域の様々な箇所に位置するニューロンを対象にした甲斐あって、それらが発火するタイミングに特定の関係が認められることがわかった。研究者たちはそれを足がかりにして、いくつもの筋肉がかかわる暗号を読み解いていった。見かけによらず複雑な歩行という行為の土台にその暗号が隠れていたのである。
この研究があったからこそ、今度はサルの脳からの信号を記録してリアルタイムで解読し、それを運動指令に変換して京都のロボットに送信することができた。情報処理と送信に若干の遅れが見られたものの、サルとロボットは同期した状態で歩いた。
原理の正しさが証明できたので、デューク大学の研究チームはトレッドミルを停止させた。ところがサルは画面の中で自分の分身が歩行する様子を見て、歩くことを考えた。だから結果的に日本のロボットは歩き続けた。ジャンが動作を想像することで義腕がその動きを実行したように、サルの運動野は歩行を夢想し続けたのである。
自分はソファでくつろぎながら、工場や海中や月面のロボットを思考でコントロールする。そんな日はそう遠くない将来にいやでもやって来るのではないだろうか。
自分でコントロールする
町の反対側にいる金属製の分身やロボットアームなどが自分の体の延長と化したら、それはどういう感覚として意識されるのだろうか。答えをいうと、ロボットは自分の一部として知覚されてもうひとつの手足となる。
プラスアルファの付属肢だの遠隔付属肢だの、異国の言葉のように感じられるかもしれない。しかし、私たちが似たような経験を毎日しているのを忘れていないだろうか。鏡に向かって片方の腕を動かしてみるといい。あなたの運動野から指令を受けて、離れた場所の物体が寸分たがわず同じ動きをする。初め乳児は鏡像にとまどうものの、やがてそれが自分自身だと認識する。鏡の像もいわば遠隔付属肢だ。そこからじかに何らかの感覚を得られるわけではないにせよ、その鏡像を自分でコントロールできることを目の当りにする。自己という領土にその付属肢を併合するにはそれで十分である。
おもちゃは私たち
義肢や脳の手術い頼らなくても新しい体を試す方法はある。いままさに発展しつつあるアバター(分身)ロボットを利用すればロボットを遠隔操作できるばかりか、ロボットが見えるものを見て、感じるものを感じることができる。たとえば「シャドウハンド」は現存しるロボットハンドの中でも有数な精巧さを誇る。シャドウハンドの5本の指先にはそれぞれ複数のセンサーがついていて、使用者がはめた触覚グローブにデータを伝える。インターネット経由でデータを送れば、シリコンバレーいいながらロンドンのロボットハンドをコントルールすることもできる。災害復旧のためのアバターロボットを開発しているグループもある。これは地震やテロ攻撃、あるいは火災などの現場に派遣されるロボットで、人間が安全な場所から遠隔操作するものだ。
アバターロボットなら少数の人が奇妙な体を楽しんだり、体が延長した感覚を味わったりできるが、それには恐ろしいほど費用がかかる。嬉しいことにもっといい方法がある。バーチャルリアリティ(VR)の中に入ればいい。仮想空間の内部であれば自分のボディプランをあっというまに、しかも安価に大改造できる。
VRの草分けであるジャロン・ラニアーとアン・ラスコは実験を行い、人間が8本足のロブスターになれるかどうかを確かめた。人間の2本の腕でロブスターの1番前にある2本の足を操り、残り6本の足についてはいくつかの(複雑な)アルゴリズムを用いたプログラムを試すというものである。8本の足を操作するのは相当に難しかったものの、うまくこなせる人もいたようだ。自らの体に対する脳の信じがたいほどの適応力を目の当りにして、ラニアーは「ホムンクルス的柔軟性」という言葉をつくった。
数年後、スタンフォード大学のジェレミー・ベイレンソンとチームが、このホムンクルス的柔軟性をもっと科学的に検証する研究に乗り出し、人間がVRで第3の腕を正確にコントロールできるようになるかどうかを調べた。被験者がVRゴーグルを装着して両手でそれぞれコントローラーを握ると、仮想空間に自分の2本の腕が見え、胸の真ん中から第3の腕が突き出しているのもわかる。課題は単純で、立方体の色が変化したらすぐさまそれにタッチするというものだ。しかし立方体はいくつもあるので、うまくやるには3本の腕をぜんぶ使わないといけない。最初の2本の腕は自分の腕で操作すればいいから何の造作もいらないが、第3の腕は手首を回すことで動かす。ものの3分で被験者はコツをつかんだ。新しいボディプランに見事に順応し、それは課題遂行能力の数値からも明らかだった。
発展著しいVRデザイン界の創造性を脳の柔軟性と組み合わせることで、私たちは新時代へ足を踏み入れようとしている。いまの私たちの体は進化を通じてたまたま手に入れたものにすぎない。だから新しい時代になれば、もはや自分たちの仮想アイデンティティをその体に縛りつけておかなくてもいい。これからは数十億年から数時間へと進化を加速できる。仮想のアバターを脳に実際に変化させることによって、母なる自然が夢想だにしなかった様々なボディプランを探究できる。
ひとつの脳、無限のボディプラン
アーチェリー選手のマットやイヌのフェイスのように、脳はたまたま自らが収まった体がどんなものであってもそれを動かすことに適応する。また、ジャンのロボットアームや、サルにマシュマロを与える機械のように、新しいハードウェアが加わったときにも脳はその操作方法を探り当てる。頭蓋の中のネットワークがどうやってそれを成し遂げるかといえば、運動指令(「左に体重をかけろ」)を送ってそのフィードバック(「スケートボードが傾いてぐらつく」)を評価し、パラメーターを調節することで技術と知識を積み重ねていく。
では脳はどんな世界にも、どんなボディプランにも適合できるのだろうか。いまから数百年もすれば、月や火星で赤ん坊が生まれるのを目にする日がたぶん来るだろう。彼らは地球とは違った重力の制約のもとに成長していく。そうなれば体は異なる発達を遂げるだろうし、移動を助けるのに利用する体の延長も地球とは別のものになるはずだ。遠い未来の神経科学者はそうした赤ん坊の体と脳の発達だけでなく、結果的に記憶、認知、意識される経験といった側面においても地球人と差が現れるかを調べることになる。
第6章 大事であることがなぜ大事なのか
ラズロ・ボルガーには3人の娘がいる。ラズロはチェスが大好きなうえに娘たちのことも愛しているので、ちょっとした実験を始めることにした。娘たちを学校に行かせずに家で妻と様々な科目を教えながら、厳しいチェスの訓練を行ったのである。3人の娘は来る日も来る日も、64マスのチェス盤の上で駒を動かし続けた。
長女のスーザンは15歳になる頃にはすでに世界トップクラスのチェスプレーヤーに成長していた。1988年には女性として初めてメンズ・ワールド・チャンピオンシップ大会への出場権を得た。その5年後にはメンズ・グランドマスターの称号を獲得していた。
1989年、スーザンが驚異の快進撃を続けるなか、当時14歳だった次女のソフィアはイタリアで開催されたトーナメントに出場した。結果は「ローマ略奪」とも称される大勝利でチェス界をあっといわせ、ソフィアはその名を轟かせた。このときの戦いぶりは14歳としては史上最強レベルに格づけされた。のちにはインターナショナル・マスターおよびウーマン・グランドマスターになっている。
末娘のユディットは記録に残る限り最高の女性チェスプレーヤーとして広く認められている。国際チェス連盟の定める上位100位以内に最年少でランクインしたほか、わずか15歳と4か月でグランドマスターの地位に上り詰め、一時期はトップ10入りも果たした。
彼女たちの成功の原因はなんだろうか。天才は生まれてくるものではなく、つくるものだというのが両親の信条だった。だから娘たちを日々訓練した。チェスに触れさせたなどと生易しいものではない。文字どおりチェスで育てた。少女たちはチェスの成績しだいで抱擁や称賛や注目をもらい、あるいは険しい眼差しを向けられた。その結果として、娘たちの脳では回路のかなりの部分がチェスのみに割り当てられた。
入力に応じて脳が自らを再編成するのは本書でみてきたとおりである。とはいえ、パイプラインに流れ込んでくる情報がすべて等しく重要なわけではない。脳にとっては、その持ち主がどれくらいの時間を費やしているかがすべてだ。
パールマンとアシュケナージの運動野比較
ヴァイオリニストのイツァーク・パールマンとピアニストのウラディーミル・アシュケナージはどちらも自分の仕事に全身全霊を捧げ、果てしない時間を練習につぎ込みながら過酷な移動スケジュールをこなしている。それでいてふたりの脳はまるで違っているので、どちらの脳がどちらのものかは誰にでも難なく見分けれれる。パールマンにような弦楽器奏者では、オメガの印がたいてい片方の大脳半球にしか現れていない。細かな動きをするのは左手の指であって右手は弦の上で弓を引くだけだからである。それに対し、アシュケナージのようなピアニストの脳では両半球にオメガの印が確認できる。左右どちらの手も鍵盤の上で精緻な動きをするからだ。スキャンした運動野を眺めるだけでどういう音楽家かが見抜けるというわけである。
このように、何かを繰り返して実行すればそれが脳の構造にも表れる。しかもこれは運動野に限った話ではない。たとえば何か月もかけて点字を読む練習をすると、人差し指の触覚を受け取る脳領域が広がる。
何かが上達していく過程ではまさしくこうしたことが起きている。セリーナとヴィーナスのウィリアムズ姉妹のようなプロテニスプレーヤーは、長年の訓練のおかげで白熱した試合のさなかにも正しい動きが自動的にできる。何千時間もの練習によって動きが無意識の脳回路に焼きつけられている。無意識ではなくつねに頭で考えながら試合をしようと思ったら、勝てる見込みはまずない。自分たちの脳を訓練過剰の装置い仕立てからこそ勝利をつかむことができる。
「1万時間の法則」というのを聞いたことがあるんじゃないかと思う。それくらい訓練しなければ、サーフィンであれ洞窟探検であれサックス演奏であれ一流にはなれないという理論である。実際に必要な時間を厳密に割り出すのは無理だとしても、大まかな考え方は正しい。膨大な数の反復がない限り、意識下に地図を刻みつけることはできない。
風景を形づくる
日本で生まれた赤ん坊(ハヤトと呼ぼう)と、アメリカで生まれた赤ん坊(こちらはウィリアム)例にとろう。それぞれの脳からすれば互いに違う点などなにもない。しかし、ハヤトは大阪で生まれたその日から周囲で日本語が話されているのを聞く。一方のウィリアムのカルフォルニア州パロアルトで英語の様々な音を耳にし、音が違えば意味が異なることを学んでいく。ふたりの赤ん坊の聞き方が一致しない音の例が R と L だ。英語では R と L が違えば単語の意味が変わってくるのに対し(rightとlight、rawとlaw)、日本語では R と L の区別がない。このため、ウィリアムの脳の風景では R と L の音を明確に聞き分けられるように、両者の解釈のあいだに山脈がそびえ立つ。ハヤトの脳では R と L も同じ谷に落ちて、同じ音として解釈されるような風景ができあがる。結果的にハヤトには R と L の音の区別ができない。
いうまでもないが、両者の脳が生まれつきそうなっていたわけではない。ウィリアムを身ごもっているときに母親が大阪に移住し、妊娠中のハヤトの母親がパロアルトに移り住んだとしたら、どちらの子供も何の問題もなく新しい言語を流暢に話して正しく聞けるようになる。遺伝子がかかわる事柄とは違い、身近な環境の中で何が重要になるかによってふたりの脳の風景は形づくられた。
この風景づくりの作業はかなり早い時期からスタートする。ハヤトやウィリアムが話すことを学ぶずっと前からだ。音が急に変化したときの乳児の哺乳行動を観察するとこのことがよくわかる。たとえば、R の音を続けて出してからいきなり L の音に切り替えたとしよう。RRRRLLLLといった具合である。すると乳児は音の変化を感じとったときに、それまでより速く乳首に吸いつく。ハヤトもウィリアムも生後6か月の時点では同じようにする。ところが生後12か月の時点では、ハヤトが音の変化に反応しなくなっている。ハヤトにとって R と L は同じ音に聞こえ、どちらも同じ谷へと滑り落ちていく。この2音を区別する能力をハヤトの脳が失ったのに対し、ウィリアムは親の話す何万という英単語を受動的に耳にしながら、R と L の違いに意味があることを学んだ。もちろんハヤトはハヤトで、ウィリアムには聞き分けられない音の違いに気づいている。このように聴覚系は人類共通のものとして出発しながらも、それぞれを取り巻く言語ならではの特徴を最大限聴き取れるように自らの配線を変えていく。
執念
前章で紹介した2本足のイヌ、フェイスを思い出してほしい。あのときはフェイスの尋常ならざるボディプランを脳が魔法のごとく創り出したかのように物語った。だが、もう少し深く掘り下げると、隠された骨が見つかる。フェイスに何か特別なところがあったのだろうか。ほかのどんなイヌでも同じようにうまくできた? もしそうなら、なぜイヌというイヌが2足で歩かないのだろう。
フェイスの脳内の地図が書き換えられたのは、生きていくうえでそれが切実な問題だったからである。目指すものがあるから、それに応じて脳がありようを変えた。フェイスは餌のある場所にたどり着かねばならず、それには解決策が必要だった。4本足のきょうだい犬と同じようにはできないし、ドローンや宅配サービスで食べ物を届けてもらえるわけでもない。まったく新しい解決策を自力で導き出さねばならなかった。フェイスの脳は色々な戦略を試し、ついにうまくいくひとつを見出した。それが2本の後ろ足でバランスをとり、前傾しながら一歩一歩前に体を進めることである。こうすれば必要なところに行くことができ、しばらくするとこのやり方で上手に移動できるようになった。困難を解決する手立てが見つからなければ飢えて死ぬよりほかなかっただろう。生きたいという衝動があったからこそ、臨機応変な脳回路がいくつもの仮説を試行して答えを探り当てた。おかげでフェイスは食べ物のある場所へも、雨風をしのげる場所へも向かうことができ、愛情いっぱいに世話してもらうこともできた。
何を目標とするかによって、脳がいつ、どのように変化するかは大きく左右される。ポルガー姉妹やイツァーク・パールマン、それからウラディーミル・アシュケナージは、うまくなりたいと願ったからこそ素晴らしい技能を身につけられた。たとえば、セリーナとヴィーナスのウィリアムズ姉妹にフレッドという不出来な弟がいたとしよう。親はフレッドにテニスラケットを握らせ、姉たちと同じように何年も練習させた。だが、フレッドはテニスがいやでいやでたまらない。クラスメートからうまいと言われたこともなければ、大会で優勝できたためしもなく、姉たちから褒めてもらったこともない。あれだけ練習したのに結局はぜんぶ無駄骨だ。フレッドの脳には再編成がほとんど起こらないだろう。体がうわべだけ動きをなぞっても、内なる動機と一致していなければ物にはならない。
報酬は脳の配線を書き換えるほどの強い力をもつが、脳は幸いそのつどクッキーや現ナマを必要とするわけではない。もっと大ぐくりな言い方をするなら、目標を達成するうえで大事なことは何であれ変化に結びつく。たとえば極北の地に住んでいて、氷上の穴釣りや雪の種類を覚える必要があるとしたら、脳はその情報を符号化して自らに焼きつける。反対に赤道地方に暮らしていて、どのヘビを避けてどのキノコを食べればいいかを学ばなくてはいけないなら、脳はそれに応じた資源の割り振り方をする。自分にとって切実かどうかを目印にしながら、脳は重要な情報を臨機応変に拾い上げる。
土地の変化を許す
では、重要なことが起きたらそれに応じて配線を変化させねばならないと、脳はどうやって知るのだろうか。ひとつの方法は、周囲に現れる複数の事象が関連し合っているときにのみ可塑性のスイッチを入れるというものだ。つまり、ウシを見るとともにモーの声を聞くというように、同時に起こる物事だけを符号化して回路に刻む。こうすれば、関連した事象どうしが脳内組織で結びつけられる。ただし、関連性が見せかけにすぎない場面もあるため、ゆっくりと変化することが肝心だ。
このように、ゆっくり着実に変化するのは確かに賢い戦略なのだが、平均値を抜き出すだけがすべてではない。現に「一試行学習」というものがあり、熱いストーブにたった1回触れただけでも二度とやってはいけないと学習する。だが、一試行学習はそういう危機のレベルだけで起きるものではない。幼い頃にあなたのおばから新しい言葉を教えてもらったときのこと(「これはザクロっていうんだよ」)を思い出してほしい。そのときは危機的状況にあったわけでもなければ、おばがそれを100回繰り返したわけでもない。落ち着いた調子で一度口にされただけなのにあなたは覚えた。なぜ? それが強い印象に残る出来事だったからだ。そのおばさんのことが大好きだったし、新しい言葉を覚えてその果物を欲しいと言えたら周囲から一目置かれるとも思った。危ない目に遭ったからではなく、自分にとって大事だからできた一試行学習といえる。
自分にとって大事であるというこの現象を脳内で表現するのが、神経修飾物質による広域のシステムだ。この化学物質をきわめて限定的に分泌すると、全体に持続的な変化をもたらす代わりに限られた特定領域で限られたときにのみ変化を生じさせる。とりわけ重要な物質がアセチルコリンである。アセチルコリンを放出するニューロンは報酬と罰の両方を原動力とする。動物がひとつの課題を学習していて、脳の回路を変化させる必要があるときにはこれが活性化する。ただし、いったんやり方が定まるともう活動しない。
脳の特定領域にアセチルコリンが存在すると、それは脳にとって変われと命令するが、どのように変わればいいかは伝えない。つまり、コリン作動性ニューロン(アセチルコリンを吐き出すニューロン)が活性化すると、標的となる領域でただひたすら可塑性を高める。そのニューロンが活動していなければ可塑性はほとんどないしまったく発揮されない。
ひとつ例をあげると、私があなたに向かってピアノでひとつの音━━たとえばFシャープ━━を奏でるとしよう。この音はあなたの聴覚野に活動を引き起こすものの、Fシャープのためにどれだけ領土を振り向ければいいかについては何の変化ももたらさない。なぜかといえば、その音はあなたにとってとくだん何の意味ももたないからだ。次にFシャープの音を出すたびにあなたに焼き立てのチョコチップクッキーを1枚あげるとする。今度は音に意味が生じ、Fシャープに割り当てられている領土が広がる。報酬が存在するということはその音が重要だというしるし。だから脳はその周波数に対応する土地の面積を広げる。
さて、今度は手元にクッキーがないとしよう。そこで、おいしいおやつをあげるのではなく、Fシャープ音と同時にコリン作動性ニューロンを刺激することにする。すると、クッキーの場合とまったく同じようにその音に対応する脳領域は拡大する。アセチルコリンが存在するからには、それが重要に違いないと判断するためだ。
アセチルコリンを放出するニューロンは脳内の広い範囲に軸索を伸ばしているため、音であれ触感であれ、言葉による賞賛であれ、意味のある刺激ならどんな種類でも変化に引き金を引くことができる。「これは重要だから、これを感知する能力を高めろ」と知らせる人類共通のメカニズムだ。その重要性を明確にする手段として、対応する領土を広げる。
フレッド・ウィリアムズが(姉のセリーヌやヴィーナスと違って)テニスを嫌っていたのを思い出してほしい。姉たちと同じ時間だけ練習したのにフレッドの脳が変化しなかったのは、神経修飾物質が一枚噛んでいなかったからだ。
コリン作動性ニューロンは脳の様々な領域に投射している。だとすると、そのニューロンがおしゃべりを始めたらあちこちで可塑性のスイッチが入って、神経が広範囲に変化してしまわないだろうか。じつは、アセチルコリンの放出(とその影響)は別の神経修飾物質によって調節されている。アセチルコリンが仕事をするあいだ、別の(ドーパミンのような)神経修飾物質が関与することで変化の方向が決まり、罰と報酬のどちらが得られているのかが符号化される。現在、世界中の研究者が取り組んでいるものの、神経修飾物質の複雑な動きについてはいまだ解明の道半ばだ。それでもこうした色々な化学物質のメッセンジャーが一体となって、一部の再編成を許しながらも残りの領域を固定されたままに保っていることだけは間違いない。
デジタルネイティブの脳
脳が神経修飾物質によって調節されることと、自分にとって大事かどうかが物をいう点を踏まえると、若い人たちに教えるうえでのヒントが得られる。従来の授業では教師がひとり単調な声でしゃべり続け、箇条書きのスライドを読み上げることも多い。脳を変化させるという視点からすれば素晴らしい教え方とはいえない。というのも、そこに生徒が関与していないからであり、関与がなければ可塑性はほとんど発揮されないからだ。学んだ情報が定着しない。
この点に目をとめたのは私たちの世代が初めてではなく、古代ギリシャの人々も気づいていた。現代の神経科学で用いられるようなツールはなくても鋭い眼差しを備えていたおかげで、彼らは学習にいくつかの段階を定めている。最も学びの大きい段階は、生徒が好奇心と興味をもって学習に専心するときだ。これを現代的な視点から表現するならこうなる━━神経の変化が起きるためには複数の神経修飾物質が特定の調合で放出される必要があり、どのように調合されるかは好奇心や興味や、どの程度エネルギーと時間をつぎ込んでいるかで決まる。
ビルとメリンダのゲイツ夫妻などの慈善家がアダプティブ・ラーニング(個々の学習者に合わせた学習を提供すること)の確立を目指すのは、こうして興味を引き出すことの重要性を認識しているからである。アダプティブ・ラーニングではソフトウェアを活用して生徒ひとりひとりの知識レベルをすばやく判断し、各人が次に知る必要のあることを過不足なく教えてくれる。このやり方ならマンツーマンのレッスンのように個々の生徒に合ったペースを維持でき、興味を搔き立てる教材を用いてレベルに合った指導ができる。
アダプティブ・ラーニングのソフトウェアは、生徒が苦労している箇所があればそこに継続して取り組ませる。正解がなかなかわからず焦(じ)れるにせよ、かならず答えが見つかるたぐいの問題だ。生徒が答えられなければ問題のレベルは変わらず、正解を得られたら問題が難しくなる。教師の役割がなくなるわけではない。基本的な概念を教えたり、学習の進め方を指導したりする仕事はまだある。しかし、神経科学の知見に基づき、脳が自らをどう調整して配線を書き換えるかを踏まえるなら、教室では基本的に個々の生徒が自分の情熱の赴くままに広大な知識の世界を掘り進んでいくのがいい。。
前のほうの章ではボディプランの改変が脳をどう変化させるかを取り上げ、感覚器官や手足に注目した。本章では運動性の行為を練習したり、感覚入力を通して報酬を得たりすることによる変化に目を向けた。これらすべてに共通する大きな原理はそのことが自分にとって大事かどうかである。報酬や目標から外れていない限り、あなたが時間をかけて取り組む課題に合わせて脳は自らを調整する。たとえば、視力を失った人にとってはほかの感覚を高めることが切実な問題だ。その思いが深いレベルで働くことにより、視覚野がほかの感覚に乗っ取られることが可能となる。たとえ点字に繰り返し指を滑らせていても学びたいという強い意欲がなければ、適切な組み合わせの神経修飾物質は放出されず、脳の配線が書き換わることはない。同様に、遠隔肢を体につけ足すことが自分にとって大事であれば、体はそれを使いこなすようになる。イヌのフェイスが一風変わったボディプランを操れたように。
このように、自分にとって大事であることが脳の変化をもたらすという原理を踏まえると、動物が絶えず傷つきながらも諦めず、必要に応じて脳を調整しながら目標に向かって歩みを止めないことが理解できる。
第7章 なぜ愛は別れのときまで己の深さを知らないのか
川の中のウマ
錯視を初めて記録したのはアリストテレスである。ある時1頭のウマが川の真ん中で立ち往生していて、アリストテレスはその救出作業をじっと見ていた。ようやく目をそらしたとき、ほかの何もかも━━岩も木も大地もすべて━━が川の流れとは反対方向に移動しているような気がした。アリストテレスはどれだけとまどい、そしてこの現象を面白く感じたか、手っ取り早く追体験するには滝に目を凝らすといい。しばらくそのまま視線を動かさずにいてから滝の脇の石に目をやると、静止しているはずの岩が上に昇っていくように見える。
このタイプの錯視は「運動残効」と呼ばれる。この錯視が起きる原因はニューロンが受動的に疲労することではなく、能動的に自らを再調整することにある。下向きの運動が継続する状況に一定時間さらされると、視覚系はこれが「新たな常態」になったのだと判断する。初めのうち、下向きの運動は脳に強い印象をもたらす情報だ。ところが、それをしばらく凝視していても新しい情報はいっさい入ってこない。すると脳にとってはそれが新たな現実のありようとなり、世界は上向きより下向きに流れるようになったのだと想定するようになる。そこで視覚系は世界を映す際の予想を慎重に調節し直し、上向きより下向きの動きを予期するようになる。だから滝から目を離して崖の岩壁を眺めたとき、脳が基準点(何を静止しているとみなすか)をどう修正したかがあらわになって岩も木々も上に流れていく。
なぜか? 視覚系は変化に気づきやすきするために、基準となる真実を定めたくなるものだ。この場合でいうと、視野一面が滝の光景であるときには下向きの流れがもはや新しい情報を与えてくれないので、脳は何とかしてその下向きの動きの重みを相殺しようとする。そのため脳回路は自らを調整し、新しい情報が到来するときに備えて感度を最大限に高めるようにする。
見えないものを予期されたものに変える
1804年、スイスの医師イグナーツ・トロクスラーはにわかには信じがたい現象を発見した。中央に点が1個あって、その周りをぼやけたしみのようなものが取り囲んでいるとき、その中心点を凝視していると周辺のもやもやしたものがやがて消失するのである。中央の黒い点から視線をそらさず、周辺のしみを見ないようにして10秒ほどそのままでいると、しみは背景に溶け込んでしまう。まもなく一様に灰色の視覚が目に映るだけになる。
この錯視は「トロクスラー効果」と呼ばれ、周辺視野への刺激に変化がないとそれはほどなくして消えてなくなることを示している。なぜそんなことが起きるのだろうか。それは視覚系がつねに動きや変化を探しているからだ。固定された不変のものはすぐに見えなくなる。よい情報は新しいものに更新されることが予想されるので、変化しないものは視覚系から無視されるのである。
だとすれば、キッチンや職場がトロクスラー的になって、静止している家具のたぐいが消滅してしまわないのはどうしてだろうか。まずひとつに、世界のたいていのものは明確な輪郭線をもっているのでぼやけたしみとは違う。視覚系にとってはそのほうがつかまえておきやすい。だが、もう一段深いレベルにも理由はある。自覚することはまずないものの、私たちの視線は絶えず細かく動き回っている。友人の眼をじっと観察してみるといい。友人が目覚めているあいだじゅう、毎秒3回くらいの割合で眼球が急に跳ねるような動きをするのに気づくはずだ。さらに近づいてみると、大きな動きの合間にも細かい振動が続いている。眼に不具合があるわけではない。こうした大小の急速な眼球運動は網膜の像を更新し続ける役目をもち、まったくの無意識のうちに像がつねに変化する状態を維持している。なぜわざわざそんなことをするのだろうか。それは、網膜上の一か所に像が完全に固定されてしまうと見えなくなってしまうからである。
変化したいものを無視する戦略を用いているからこそ、動くものや姿を変えるものがあればすぐさま感知する態勢がとれる。これを極端なまでに推し進めたのが爬虫類の視覚系だ。変化だけをとらえる仕組みになっているため、人間が立っていてもじっとしている限りは気がつかないし、相手の位置すら気にしない。こういうシステムでも何の不足もなく、十分に事足りる。現に爬虫類は数億年ものあいだ生き残って繁栄を続けてきた。
予測と実際の違い
ここまではその種の錯視を適応の結果として説明してきたが、別の見方もできる。予測の結果としてだ。滝の下向きの動きや、ボートの揺れや、コンタクトレンズの絵を消し去ることができるのは、それが継続して存在すると予測しているからこそである。脳は回路を適応させるとき、次の瞬間に世界がどうなっているかを推測している。だから、新しい出来事があってもその継続が予想されるものであれば注意を払うのをやめる。
ニューロンを発火させたらエネルギーを食うので脳としてはありがたくない。そのため、無駄なエネルギー消費をできるだけ減らす方向にネットワークを再編成しようとする。予測できる(もしくは一部だけでも推測できる)パターンが流れ込んできたら、感覚系はその入力情報を回避するように自らを構築し、それに驚かされないようにしてエネルギーを節約する。神経系が静かにしていればいるほど、予測を裏切られることが少ないのを意味する。つまり、外界の物事はおおむね予想どおりに進みそうだということである。言葉を換えるなら、脳はつねにエネルギーを気にしているので、できるだけ何でもかんでも予測どおりのものとして消し去りたい。そうすればエネルギーの消費を抑えて、予想外のデータにだけ対応すればよくなる。
脳が能動的に自らを再調整するのは消費エネルギーを少なく済ませるためである。しかし、もっと根本的なレベルでもひとつの原理が働いている。脳は頭蓋の闇の中で、外界に関する内部モデルを構築すべく奮闘しているということだ。
あなたが家の中を歩き回るとき、周囲の状況などほとんど気に留めていない。それはすでに脳内に満足のいくモデルができているからである。それに対して外国の都市で車を運転している場合、これと決めたレストランに行きたければ辺りの何もかもに注意を払わざるを得ない。道路標識、店の名前、建物番号、信頼できるモデルをまだもたないために、何を予期すべきかがわからないからだ。
では、どうすれば優れた内部モデルを築けるのだろうか。予想と食い違うデータポイントに焦点を当てながら説明済みのものを軒並み無視するには、どんな神経テクノロジーが用いられているのだろう。
それを私たちは「注意」と呼ぶ。突然の大きな音、いきなり皮膚をこする何か、目の端をかすめた思いがけない動き、注意によってあなたは高分解能のセンサーを問題に向け、どうすればそれを内部モデルに組み込めるかを判断する。「ああ、ただの草刈り機の音だ」「子ネコが触れただけだ」「あれはハエだ」。これであなたのモデルは更新される。一方、左足に当たる靴の感触の場合はそこに注意を払うことはない。すでにそれに関する内部モデルができていて、その感覚を受け取ることをモデルが一貫して予測しているからだ━━少なくとも靴の中に小石が入り込むまでは。そうなったら小石はあなたの注意を促し、内部モデルが更新を求められる。
こうした背景を踏まえると、薬物がどうやって神経系を変容させるかが理解しやすくなる。何かの薬物を摂取すると、その薬物に対する受容体の数が脳内で変化する。その変化の大きさといったら、死後に脳を調べて分子レベルの変化を測定すれば薬物依存が判明するほどだ。人が薬物に対して脱感作を起こす(つまり鈍感になる)のはこのためである。脳はその薬物の依存を予想するようになり、次の一撃が来たときに安定した平衡感覚を保てるように受容体の発現を調節する。文字どおりの物理的な意味で脳は薬物がそこにあることを想定し、生物学的なこまごまとした部分もそれに合わせて調整される。一定量の薬物の存在を前提にするので、当初の高揚感を味わうにはもっと多くの量が必要になってくる。
断薬の際に不快な症状の数々が起きるのはここに原因があり、脳が薬物に適応すればするほどそれが奪われたときの落差は苦しく感じられる。断薬に伴ってどんな症状が現れるかは薬物の種類によって異なるものの(発汗、震え、抑鬱など)、ひとつ共通しているのは、あって当然のものが存在しないことによるダメージの大きさだ。
「神経は予測する」という視点でとらえると、愛する人との別れがどうしてつらいのかも見えてくる。愛する相手はあなたの一部になっている━━比喩としてだけでなく物理的にも。世界を表す内部モデルには周囲の人間も取り込まれていて、その人たちが存在することを見越して脳は自らをつくり替えている。だから恋人と別れたり、友人や親が亡くなったりすると、その降って湧いたような喪失によって脳は平衡状態を大きく逸脱する。詩人のカリール・ジブランが「予言者」に綴った言葉を借りるなら、「これまでもつねにそうだったように、愛は別れのときまで己の深さを知らない」のである。
光に向かって、または砂糖に向かって、もしくはデータに向かって進む
植物には屈光性がある。これは光を最大限にとらえるために自分の向きを変える性質をいう。生長するさまを早送りで見ればわかるように、植物は光源へ一直線に向かっていくわけではない。実際には光へと向かう理想の軌道を少し上にはみ出したり、あるいは少し下にずれたりしながら伸びている。事前に決められた任務を遂行するのではなく、修正を繰り返しながら断続的にダンスをしているかのようだ。
鞭毛(べんもう)をもつ細菌の運動にも似たようなうやり方が見られる。食料(たとえばキッチンカウンターに落ちた少量の砂糖)の集中している場所を探すとき、細菌は3つの単純で賢い法則を用いて砂糖のほうへ向かっていく。
1 適当な方向を選んでまっすぐ進む。
2 状況がよくなっていけばそのまま進む。
3 状況がよくならなければ1回転して適当な方向に向きを変える。
別の言い方をすれば、状況が改善しているときは同じ方法を続け、うまくいかなければそのやり方を捨てるということである。この単純な指針により、食料の最も集中している地点まで短時間で効率よく進むことができる。
脳にも似たような原則が働いているのではないかと私は考えている。日光や食料を最大限に得られる方向へ進む代わりに、脳は情報を最大限にしようとする。私はこれを「向情報性(infotropism)」と呼んでいる。この仮説のとおりだとすれば、脳回路は変化することによって環境からできるだけ多くの情報を引き出そうとしている。
これまでの章を振り返ってほしい。どんな感覚器官であっても━━そのとらえるものが光子であれ電場であれ匂い分子であれ━━脳が使いこなせるようになるのを私たちは目の当りにした。また、体に付属しているのがヒレでも脚でも、はたまたロボットアームでも、脳がそれを操れるようになるのも見た。どういう状況にあっても脳は自らの回路を微調整し、世界から流れ込むデータをできるだけ多くしようとする。この微調整を助けるのが報酬だ。何がうまくいったことを脳回路全体に知らせてくれるのが報酬である。こうして事前プログラミングは最小限でありながら、世界との相互作用をどうすれば最適化できるかを脳は自力で探り出す。
予期せぬことを予期するために自らを変える
植物が日光を、そして細菌が砂糖を求めるように、脳は情報を探している。自らの回路をつねに変化させながら世界からできるだけ多くの情報を引き出そうとしている。そのために外界に関する内部モデルを構築し、そのモデルは予測に等しい。世界が予測どおりに進んでいるときは脳はエネルギーを節約する。
煎じ詰めれば脳は一種の予測装置だといえる。予測を原動力としてつねに自らを再編成している。脳は世界の状態に関するモデルをつくって適切な予測ができるように自らを変化させ、それによって予期せぬ出来事への感受性を最大限に高めている。
第8章 変化の縁でバランスをとる
領土が消えるとき
カリブ海に浮かぶイスパニョーラ島はハイチとドミニカ共和国に分かれている。仮に津波がドミニカ共和国を襲い、住むに堪えない土地に変えてしまったとしよう。何が起きるだろうか。ひとつ考えられるのはドミニカが地図から消え失せ、ハイチはそれまでどおり続けるというもの。だが可能性はもうひとつある。ハイチが国境を大きく西に移動させて領土を縮小させ、空いた土地に広い心でドミニカ人を受け入れてあげるのだ。こうすればそれぞれの国民は以前より狭い領土に押し込められはするものの、難を逃れた土地に仲良く共存できる。
話を脳に戻すと、使用できる領土が病気や怪我や脳損傷で減少したら何が起きるだろうか。隣り合った国々の場合と同じく、やはり可能性はふたつある。失われた組織に対応する部分を地図から消し去るか、元々の地図を圧縮して以前より小さい土地に収まるかだ。
どちらになるかを見定めるため、アリスという名の少女に注目しよう。アリスは3歳半になった頃から軽いてんかん発作を起こすようになった。両親が娘を病院に連れて行って脳をスキャンしてもらうと、医学界を驚愕させる事実が明るみに出た。アリスには生まれつき脳の左半球しかなかったのである。きわめて珍しい異常により、右半球がまったく存在していなかった。
だが、本当に驚くのはここからである。アリスは正常な幼児期を送っていた。脳がじつに奇妙な発達を遂げていたにもかかわらず、たとえば目と手の協調運動といった能力は意外にも何の影響も受けていない。発作を起こしはしたものの、それは服薬で抑えられた。しばらくするとアリスが右半球を欠けていることを外からかんじさせるものは、左手を使った細かい動きに苦労することだけになった。
アリスの事例からは根本的な疑問が浮かび上がる。通常、脳の配線は両半球にまたがってはりめぐされるのに、片方の半球しか発達しなかったらどうなるのだろうか。
答えを理解するため、まずは左眼から入った情報が脳までどう伝達されるかを考えてみたい。左眼の網膜の左半分から伸びる視神経(視野の右半分から来る情報を処理)は、左半球の視覚野の奥へと情報を運ぶ。アリスには左半球があるので、これには何の問題もない。ところが、左眼の網膜の右半分から来る情報(視野の左半分からくる情報)は通常は左右の境界線を越えて、右脳の視野野へと送られる。アリスは右半球をもっていないわけだから、視神経はどこへ行ったらいいのだろう。
じつは、網膜の左半分・右半分どちらの視野の情報を運ぶ神経も脳の左半球につながっていた。これはライブワイヤリングをまざまざと示す奇跡のような事例であり、過去数十年には想像すらされていなかった現象である。唯一残された土地で視野全体の情報が処理されていた。いい換えればハイチが領土の一部を分けてあげた。
アリスの視覚や目と手の協調運動が正常だったとすれば、もうひとつ注目すべき点がある。視覚系が発達する初期段階で配線が通常の編成と違っていたにもかかわらず、周辺領域はこの一風変わった地図を苦もなく使いこなせたということだ。つまりアリスの視覚野が通常の遺伝子ルールブックに従っていなくても、ほかの脳領域の機能には何の支障も生じなかった。これもまた本書でずっと見てきたことと一致する。アリスの遺伝子がつくり出したのは、計画を大きく逸脱したら機能しなくなるような脆弱なシステムではなかった。代わりにライブワイヤードなシステムを生み出し、仕事をやり遂げるにはどうしたらいいかを自ら探り出せるようにした。
麻薬の売人を均等に配置するには
神経科学についての教科書を何でもいいから手に取ってみれば、かならず神経伝達のことが書かれている。ニューロンが少量の化学物質をメッセンジャーとして放出するという例のあれだ。その化学物質は別のニューロンの受容体に結合し、わずかな電気的ないし化学的活動を引き起こす。ニューロンはこうしてメッセージを送り合う。
だが、このやり取りに別の角度から光を当ててみたい。私たちを取り巻く微生物の世界では、いたるところで単細胞の生物が化学物質を分泌している。とはいえそれは親しみを込めたメッセージなどではなく、防御メカニズムだ。要は威嚇射撃である。では、脳内にある数百億個の細胞が数百億匹の単細胞生物だと考えてみよう。私たちはニューロンどうした喜んで協力しているとみなすきらいがあるが、見方を変えれば戦いに明け暮れているともとれる。互いに情報を送り合っているのではなく、つばを吐き合っているというわけだ。こうした視点で眺めると、活動中の脳組織で私たちが目の当たりにしているのは、数百億の個別の行為者が競い合う状況である。そのひとつひとつが資源を求めて戦いながら懸命に生きようとしている。
こう考えると、いくつかの実験結果が理解しやすくなる。たとえば、1960年代の初めに神経科学者のデイヴィッド・ヒューベルとトルステン・ウィーセルは、哺乳類の視覚野に交互に現れる縞状の領域を調べて、それぞれが右眼か左眼からの情報を携えていることを実験で示した。正常な状況下なら右眼と左眼はその土地を均等に分け合っている。ところが、幼いうちに片方の眼に眼帯をして閉じると、反対の眼からの入力が強いためにそちらが多くの領土を占領する。つまり、視覚野の地図は経験によって大幅に変化し得る。強いほうの眼から来る入力は維持され強化され、閉じた眼からの入力は弱められて衰えていく。ここからふたつのことがわかる。ひとつは、視覚野の地図が100パーセント生得のものではないこと。もうひとつは、脳内の領土を保持できるかどうかは活動の度合いにかかっていることである。土地を失わずにいるためにはつねに活動する力が必要だ。入力が減少したらニューロンは接続の仕方を変えて、活動が起きている場所を探す。(この研究は、ヒューベルとウィーセルに1981年のノーベル生理学・医学賞をもたらした。)
個々のニューロンのレベルだけでなくもっと大きな規模に目を向けると、脳組織が柔軟性を発揮すべきか固定したままでいるかを判断している。ニューロンにはふたつの種類がある。接続相手にメッセージを伝えてそれを発火させるもの(興奮性ニューロン)と、相手の発火を抑えるもの(抑制性ニューロン)だ。この2種類のニューロンがネットワークの中に織り合され、両者が一体となって脳領域にどれだけの柔軟性をもたせるかを決めている。抑制が強すぎれば、ニューロンは十分な競争が行えないのでそれ以上の変化は起こらない。抑制が足りなければ、競争が激しすぎて勝者が現れなくなる。調整の行き届いた柔軟なシステムであるためには、抑制と興奮をちょうどいいバランスにしなくてはならない。そうすればニューロンは過度な競争のなかで競い合うことができる。
ニューロンは自らのソーシャルネットワークをどうやって広げるか
脳の再編成を成り立たせている基本原理のひとつは、沈黙した接続が脳内に多数ひそんでいることである。これらは普段は抑圧されていて何かの役に立つことはないものの、いつか必要になったときには利用できる。こうした接続を活用することにより、入力が変化したときにも脳はただちに反応できる。とはいえ、沈黙の接続は数に限りがあるため、もっと長期にわたって広範な変化を起こしたいときには別のやり方が用いられる。短期的な変化がその動物にとってプラスに働くものであった場合、追って長期的な変化(新しいシナプスを増やしたり新しい軸索を成長させたりなど)が続く。さらに長い時間軸に目を向けると、脳が自らをつくり替える方法はもうひとつある。死だ。
よい死に方をすると得をする
細胞が死滅するにはふたつの方法がある。十分な栄養が得られない場合(動脈が詰まって組織内の血液が欠乏するなど)、細胞はいわばだらしなく死んでいく。その途中で炎症性物質を細胞からしみ出させて周囲領域にもダメージを与える。これを壊死という。もうひとつの方法はアポトーシス(プログラム細胞死)であり、こちらのほうは細胞が潔く死を選ぶ。決然と店をたたみ、諸々(もろもろ)の始末をつけたうえで自らを破壊し尽くすのだ。アポトーシスによる細胞死は悪いことではなく、むしろそれこそが神経系を形づくる原動力といえる。胚の発生過程で手の水かきが取れて指1本1本がはっきりしていくのも、細胞を足すのではなく取り除くからこそだ。同じことが脳にもいえ、発生の過程では必要な数の1.5倍のニューロンがつくられる。細胞の大量死は脳が適切に機能するための標準的な手順にすぎない。
脳の森を守る
本章では領土をめぐって競争するという単純な法則により、脳の地図が拡大もすれば縮小もすることを見てきた。本章で登場したアリスは片方の大脳半球を先天的に欠いており、第1章に出てきたマシューは片側の大脳半球っを手術で切除した。どちらの脳も配線が書き換えられたおかげで、残されたひとつの大脳半球で両方の視野の情報を処理できるようになった。それを可能にしたのはシナプスレベルやニューロンレベルでの競争である。その競争によって既存の接続がすぐ利用できるようになるとともに、いずれは新しい軸索を成長させて新しいシナプスをつくれるようにもなった。このプロセスの原動力となったのは、歩きたい、鬼ごっこをしたい、自転車に乗りたいというアリスとマシューの願いである。願いがあるからこそその活動が自分にとって大事だという信号が生まれ、それを受けて脳は自らを再編成する。
多雨林で見出されるものがいかに複雑かを考えると、脳の森にもどれだけの複雑さが秘められているかを思わずにはいられない。私たちが860億個のニューロンのことを考えるとき、ともするとみんなで仲良く暮らしている樹木に見立てがちだ。だが、じつはニューロンが本物の森林の構成員のようであって、生き続けるために片時も休まず競争しているとしたらどうだろう。森林では高木も低木も際限なく様々な戦略を試しながら、ほかの木々より高く、より太く、さもなくば別のかたちで優位に立とうとしている。それもこれも日光を浴びたいがためであり、光がなければ命を保つことができない。本章で取り上げた神経栄養因子はニューロンにとっての日光である。ニューロンがどういう作戦で互いを出し抜こうとしているのかを私たちはいつの日か解明できるかもしれない。
第9章 老犬に新しい芸を仕込むのはなぜ難しいか
大勢の人間として生まれる
あのふたりの赤ん坊、ハヤトとウィリアムにもう一度登場してもらおう。ふたりとも生まれたばかりの頃は、人間のもつあらゆる音を理解できる。それだけではない。自分が属する文化の複雑な細部を拾い上げ、宗教の教えを吸収し、対人関係のルールを身につけていく。膨大な情報をどうやって集めればいいかも学び、その方法は世代によっては巻物をひもとくことだったり、書籍のページを繰ることだったり、小さい長方形の画面をスワイプすることだったりする。
ところが、大人になる頃には話がいささか違っている。ハヤトは特定の政党を支持していて、その信念を変えそうにない。ウィリアムはピアノがまずまずの腕前でありながらも、ほかの楽器を習う気はない。ハヤトは料理が好きで、どんなひと品をつくるのにも慣れ親しんだ14種類の材料を組み合わせる。ウィリアムがネットにつながるときは、何十億というウェブサイトがあってもそのごく一部しか閲覧しない。ハヤトのゴルフの技量はなかなかのものだが、ほかのスポーツには関心がない。ウィリアムは人口800万人の市に暮らしていても、親しい友人は3人だけだ。ハヤトは学校で教わらなかったような科学にはとくに興味をもっていない。店でのウィリアムはどんなシャツが並んでいようが目もくれず、いつも自分が着ている種類を色違いで2着買う。ハヤトは8歳のときから同じ髪形をしている。
ふたりの人生の軌跡からはひとつのことが見えてくる。人間の赤ん坊には生まれながらに組み込まれた技能がほとんどなく、脳の可塑性がきわめて高い。それに対し、大人の脳は特定の仕事をマスターしてきたが柔軟性を犠牲にしている。適応力と効率はトレードオフ(何かの利益を得ると別の何かが犠牲になるような相容れない関係)になっている。脳は特定の仕事がうまくできるようになるにつれ、別の仕事に取り組むのが難しくなっていく。
特定のパターンや習慣に落ち着いていくというのは、神経のネットワークから見てどういうことなのだろうか。数キロ離れて町がふたつあるところを想像してほしい。一方の町から他方へと移動する道筋はいくつも考えられる。尾根伝いの風光明媚な道を歩いてもいいし、崖下の日陰を通っていきたい人もいる。川沿いの滑りやすい石を縫っていく人もいれば、物騒だが近道になる森を抜ける人もいる。こうして経験を重ねるうちに、しだいにどれかひとつの道筋に人気が集まる。大勢の足で踏まれたのでその道はくぼんでいき、そこが標準ルートになっていく。何年かすると自治体がそこに道路を敷き、数十年後にはそれが幹線道路へと発展している。多種多様な選択肢が減った末にひとつの標準が残る。
脳もこれと同じだ。初めのうちは通れる道が神経ネットワーク内にいくつも存在する。やがて、たびたび使われるルートが去りがたいものとなり、使用されない道はすたれて消えていく。世界とうまくやり取りできないニューロンは、いずれ店をたたんで自死を遂げる。経験を何十年と積み重ねるうちに脳は環境を物理的に表現したものとなり、その時点で残された舗装道路を通ってあなたの決定は下される。そうすると何が得かといえば、問題が電光石火の早業で解決できることだ。反面、型破りの斬新な発想で問題に取り組むことはだんだんできなくなっていく。
歳をとった脳の柔軟性が失われることには、通り道の選択肢が減る以外にも理由がある。変化が起きるにしても規模が小さいのだ。それにひきかえ乳児の脳は広範囲にわたって再編成ができる。コリン作動性ニューロンのような広域に投射するシステムを通して乳児は脳全体に声明を伝え、複数の経路や接続を変更する。彼らの脳はどこもかしこも修正可能であり、それがポラロイド写真のように徐々に焦点が定まっていく。大人の脳は一度に少しずつしか変化しない。接続のほとんどを固定したままにし、すでに学習されていることにしがみつく。神経伝達物質が正しく組み合わされたとしても、変えられる領域は狭い。大人の脳は点描画家のようなもの。絵画はほぼ完成していて、数個の点の色合いを変えるくらいが関の山である。
赤ん坊と大人の違いはわかりやすいが、前者から後者への神経の移行はなだらかな直線状に進むわけではない。むしろドアがバタンと閉じるのに似ている。一度閉まったら、大規模な変化はもう起こらない。
感受期
第1章に登場したマシューは手術で片方の大脳半球を切除した。これは大脳半球切除術と呼ばれ、こうした思い切った処置が推奨されるのは一般に8歳未満の子供だけである。マシューが手術台に上がったのは6歳のときであり、年齢の上限に近づいていた。上限を超えていると(たとえば思春期の子供の場合は)脳が仕事に合わせて適応してくれるのを当てにはできず、仕事のほうを脳に合ったものに改める必要が出てくる。
ドアが閉まりつつあることは脳のもっと微妙な変化からも見て取れる。第2章で取り上げたように、フロリダの住宅で発見されたダニエルは深刻な育児放棄の被害に遭っていた。物心ついたときから狭い部屋に閉じ込められ、会話もなければ愛情を向けられることもない。そのせいで結局は話をすることも、遠くを見ることも、人との正常な触れ合いをすることもできなくなってしまった。これから改善する見込みも薄く、それには発見が遅かったという理由が大きい。警官がダニエルを見つけたとき、脳内の世界地図はすでにおおむね固定されていた。
マシューとダニエルの物語からはひとつの事実が浮かび上がる。脳の柔軟性が最も高いのは、幼いうちの「感受期」と呼ばれる短い期間内だということだ。それを過ぎると神経の地形は変化しにくくなる。
このようにコミュニケーション能力は時間の窓が開いているあいだに獲得する必要があり、それは言語のもっと細かい部分、たとえば発音の癖などについても同じである。女優のミラ・クニスは、それとわかる訛りがいっさいなしにアメリカ英語を話す。だから、じつはウクライナ出身で7歳になるまで英語をひと言も口にしていなかったことなど、ほとんどの人が知らずにいる。それに対し、アーノルド・シュワルツェネッガーは20代前半からハリウッドとアメリカ映画界に身を置いてきたのに、この先オーストリア訛りを振り払える見込みはまずない。脳から見て、英語を使い始めるのが遅すぎた。一般に、新しい国への移住が7歳までなら音を修得するための時間の窓がまだ閉じておらず、その国で生まれ育った人と同等のレベルで新しい言語を流暢に操れるようになる。8~10歳で移り住んだ場合は発音で周囲から浮かないようにするのにやや苦労するものの、ネイティブに近いところまではいく。しかし、アーノルドのように10代を過ぎていると流暢とはとてもいえないレベルにとどまりやすく、その人の来歴をしのばせる癖が発音に残る。音声の面で異なる文化に溶け込めるかどうかは、わずか10年ほどで閉まるドアにかかっている。
時期に左右される現象はすべての感覚で確認されている。全体としていえることは、そうした変化が起こりやすいのは若い脳だということだ。ミラ・ク二スに訛りがないのもそうだし、イツァーク・パールマンがヴァイオリンを始めたのも幼い時分である。10代でヴァイオリンを習いだしてもパールマンになれる見込みはない。たとえパールマン以上に努力して、同じだけの練習時間を積み重ねたとしても、脳の面ではすでにレースで出遅れている。
ここまでは感受期という概念を把握しやすくするために「ドアが閉まる」という比喩を用いた。今度はこの比喩を次のレベルへと進める番だ。じつはドアはひとつではなく、いくつもある。
閉じる時期の異なるいくつものドア
脳領域はそれぞれ別々の可塑性スケジュールで動いている。頑なに変わろうとしない神経ネットワークもあれば、順応性の高いものもある。感受期の短い領域もあれば、長いものもある。
これだけの差が生じる背景には何らかの一般原則のようなものが働いているのだろうか。ひとつ考えられるのは、脳領域ごとの根本的な学習戦略が異なるせいで感受期が違ってくるということである。こういう視点に立つと、生涯を通して学習を続けるべく調整されている領域は、世界の中で変化し得る情報を符号化していることがわかる。たとえば語彙や、新しい行き先や、人の顔を覚えることは、脳の柔軟性を保っておきたい作業だ。それに対し、ほかの領域は世界との関係が安定している。たとえば視覚の構成要素や、食べ物をどう噛むかや、文法の一般的な規則などがそれにあたり、これらを扱う領域は比較的短時間で固定化する必要がある。
しかしその固定化の順序を脳が前もって知るなど、どうすれば可能なのだろうか。遺伝子にコードされている? そういう面もなくはないだろうが、私は別の仮説を唱えている。扱うデータが外の世界でどの程度変わる(または変わる見込みがある)かによって脳領域の可塑性の度合いが決まる、というものだ。入力データが一定していればシステムはそれを中心に固まり、データが絶えず変化していれば柔軟なままでいる。その結果、安定したデータを相手にする領域から先に固定化する。
具体的に、耳からの情報と体からの情報を比べてみよう。世界の基本的な音を符号化する領域(一次聴野など)は変化しにくく、短時間で固まる。考えられる様々な音の景色の中でハヤトとウィリアムの位置が定まったとき、まさしくそういうことが起きていた。一方、体性感覚野と運動野がそれほどの可塑性を失わないのは、ボディプランが一生同じでないからである。体は太ったり痩せたり、ブーツやスリッパを履いたり、松葉杖をついたり、自転車やスクーターやトランポリンに飛び乗ったりする。ハヤトとウィリアムが成人してから出会って一緒に休暇をとり、ウィンドサーフィンを習ってマスターできるのはそこに理由がある。音に関する統計的なデータは大きく変わらないのに対し、体が世界から受け取るフィードバックは絶え間なく変動している。だから一次聴覚野は固定化し、ボディプランにかかわる領域はその度合いが小さい。
今度は一個の感覚、たとえば視覚に注目してみよう。低次の視覚野(一次視覚野など)では、ニューロンによって世界の基本的な構成要素(輪郭線、色、角度など)が処理されている。一方、それより高次の視覚野はもっとまとまった単位の情報処理にかかわっている。たとえば通り沿いの建物の配置、今年発売されたスポーツカーの流線形の外観、スマートフォンの画面に並んだアプリなどがそれにあたる。低次の領域で最初に情報が確立され、それに続く各層はその土台に載るかたちで配線される。おかげで、線どうしがどういう角度を取り得るかは固定されていても、なお最新の映画スターの顔を覚えることができる。このように柔軟性が階層化されていると、最下層での表現が真っ先に学習される。これらは視覚世界の基本的な統計データを反映しているのでそうそう変化しない。こうした低次の表現が安定しているからこそ、それらが集合した高次の表現(こちらはもっと短時間で変わる可能性がある)を学習できるようになる。
このように、歳を重ねても脳に可塑性はあるかという問いへの答えはひとつではなく、どの脳領域を問題にするかによって違ってくる。可塑性は加齢とともに低下するものの、脳全体を見渡してみるとその低下の仕方は一様ではない。担当する機能に応じて、減り方が急激な場合もゆっくりな場合もある。
この仮説のように、可塑性がデータの可変性を反映するという現象は遺伝子の世界でも確認できる。メカニズムはまだ解明されていないものの、どうやらゲノムは塩基配列の一部をほかより固定されているようなのだ。つまり変異しないように守っている。反対に、保護されていない領域では遺伝子の変異がもっと起こりやすい。おおまかにいって、遺伝子変異の生じやすさは世界の特徴がどれくらい変わりやすいかを映している。たとえば、色素をコードする遺伝子は変異しやすい。それは人間が色々な緯度で暮らす可能性があり、十分な量のビタミンDを合成するには色素の色を変える必要があるためだ。それにひきかえ、糖分解酵素をコードする遺伝子は安定しており、それは糖がきわめて重要な不変のエネルギー源だからである。人間生活における精神・対人・行動に関する様々な機能についても、どれくらい「変わりやすい」かを将来的には数値化できるかもしれない。そうなれば、環境の中での変化の大きい部分を扱う脳領域ほど本当に回路の可塑性が高いのかどうかを、検証するのも夢ではなくなるだろう。
それでもまだ変化する
加齢とともに脳の可塑性が低下するにしてもなくなってしまうわけではない。ライブワイヤリングは若者だけの特権ではないということである。神経の再編成は継続していくプロセスであって、命のある限りやむことはない。私たちは新しい考えを組み立て、初耳の情報を蓄え、人や出来事を記憶していく。
アメリカでは脳の加齢とアルツハイマー病を研究するために「修道女研究」が実施されていて、数十年にわたって数百人のカトリック修道女を追跡調査している。研究に参加している修道女は全員が同意のもとに認知機能の定期的な検査を受け、医療記録を研究者に開示し、死後は検体として脳を提供することになっている。近年、この研究からまったく予期せぬ結果が得られた。何人かの修道女の脳を死後に解剖したらアルツハイマー病にむしばまれていたのだが、いずれも生前は認知機能にいささかの衰えも見られず、頭の回転が抜群に速かった。つまり、彼女たちの神経ネットワークは物理的に変質していたにもかかわらず、行動の遂行能力はそうではなかった。これをどう説明すればいいのだろうか。鍵を握るのは、その修道女たちが最後の最後まで頭を使わなければいけなかったことである。担当の職務を全うし、日課をこなし、人づきあいもし、議論をする。夜はゲームに興じることもあれば、グループで討論することもあり、ほかにも色々な活動があった。世間一般の80代と違って彼女たちに引退はなく、ソファにどっかと座ってテレビを見る生活とも無縁だった。神経の道がところどころ物理的に途切れていても、つねに頭を働かせていたことが脳に絶えず橋を架けさせた。なにしろ、分子病理学的にアルツハイマー病とみなされる脳をもっていた修道女の3分の1に、予想される認知症候群が現れていなかったのである。相当な高齢になってもつねに脳を使っていれば新しい接続が育まれる。
このように、何歳であっても学習はできる。では、脳が年をとるとなぜそのペースが遅くなるのだろうか。ひとつには例のドアの多くがすでに閉まっているからだが、これには別の見方もできる。脳が変化する原動力は内部モデルと現実との差異にあるのを思い出してほしい。このため、物事が予測どおりであれば脳は変わらない。人は年を経るにつれ、世界がどんな規則で動いているかがわかるようになっていく。家庭生活で何が起きるかも、社交の輪の中でどうふるまうかも、自分がどんな食べ物を好むかも予測の域を出ない。こうなると脳は未知の新しい刺激を受けることが減り、所定の位置に落ち着きやすくなる。たとえば私たちが子供の頃には、誰もが自分と同じことをを信じているという内部モデルをもっている。やがて、世界の中で経験を重ねて予測と実際の差を学ぶにつれて、大きくなっていくギャップを埋めるべく脳のネットワークが自らを変えていく。
脳が固定化するのは世界をうまく理解できていることの裏返しでもある。神経回路がしだいに深く刻まれていくのは機能が衰えるからではなく、物事を適切に判断できるようになったしるしだ。だとすると、本当に子供時代の可塑性を取り戻したいのかどうかはよくよく考えたほうがいい。何から何までスポンジのように吸収する脳に心惹かれはするものの、人生というゲームの中ではルールを把握することがかなりの割合を占めている。私たちは柔軟さと引き換えにその道の知識や技能を得る。様々な事柄のつながり合ったネットワークを大変な苦労の末に手に入れる。それが全面的に正しいとはいい切れないし、辻褄の合わない部分すら内包しているかもしれないが、その全体がすなわち人生における経験であり、ノウハウであり、世界に対する向き合い方を表している。会社を経営したり、深い思索に喜びを覚えたり、一国を率いたりするのは子供にはどうしたって無理だ。可塑性が低下してくれなければ世間の色々な習慣を自分のものにはできないし、優れたパターン認識とも、対人関係を円滑に運ぶ能力とも無縁になる。本を読むことも、意味のある会話を交わすことも、自転車に乗ることも、食料を調達することもできないだろう。完全な可塑性を失わずにいることは、無力な乳児の状態を続けるのと同じである。
第10章 あのときを思い出す
未来の自分に語りかける
哺乳類の記憶にはどんな物理的基盤があるのだろうか。それを初めて体系的に調べたのはハーバード大学の神経生物学者カール・ラシュリー。1920年代のことである。ラットに新しいこと(迷路を通り抜けるルートなど)を教えてから脳のしかるべき場所を切り取れば、その新しい記憶を消せるのではないかとラシュリーは考えた。あとはその魔法の場所を突き止め、取り出し、ラットがルートを覚えていないことを実証すればいい。
そこで、20匹のラットに迷路を通り抜ける訓練を施した。それから手術用のメスを手にし、1匹ごとに大脳皮質の別々の領域を切除した。回復を待って再び同じテストを行い、迷路の知識を蓄えていたのがどの領域だったのかを確かめようとした。実験は失敗に終わる。どのラットも完全に迷路のルートを覚えていたためだ。忘れたものは1匹もいなかった。
だが、失敗したこと自体がこの実験の成果を不動のものにした。迷路の記憶はどこか一か所に局在しているわけではないとわかったからである。記憶は特定領域にのみ蓄えられているのではなく、じつは広い範囲に分散していた。記憶専用の脳構造など存在しないことがこの実験によって明らかになった。記憶の保存はファイリングキャビネット式というより、分散型のクラウドコンピューティングに近い。電子メールの受信トレイが地球上の複数のサーバー上に散らばっていて、重複も多いのに似ている。
そうはいっても、数億個からなる細胞のグループに対してどうやって1個の記憶(ひとつの名前、あるスキー旅行、何かの楽曲)を分散させて書き込むのだろうか。経験の領域を物質の領域へと読み替えるのはどんなプログラミング言語なのだろう。
19世紀には高解像度の顕微鏡がまだなかったので、神経系は血管系に似ていると考えられていた。つまり、途切れ目のない無数の神経線維が網状につながり合い、幹線道路のように全身を走っているという構図である。ところがいまから100年あまり前、実際の脳は不連続な細胞が何十億と集まってできていることにスペインの神経科学者サンティアゴ・ラモン・イ・カハールが気づいた。幹線道路ではなく、地域ごとの道路計画を継ぎはぎしたようなものであり、その道路どうしが連絡を取り合っている。ラモン・イ・カハールはこの枠組みを「ニューロン説」と呼び、この研究によって誕生まもないノーベル賞を受賞した。ニューロン説は新たに重要な問いをもたらした。脳細胞がひとつひとつ分離しているのなら、どうやってコミュニケーションをとっているのだろうか。答えはすぐに突き止められた。現在ではシナプスと呼ばれる特殊な接続点が存在するのである。学習や記憶はシナプス接続の強度が変化することで生じるのではないかとラモン・イ・カハールは説いた。
神経科学者のドナルド・ヘッブはニューロン説について徹底的に考え、それをさらに精緻にして1949年に著書として発表した。仮に細胞Aがつねに細胞Bを駆動させているとしたら、両者の接続は強化されるというのがヘッブの仮説である。要するに「共に発火すれば、共につながる」だ。
ヘッブがこの仮説を提唱した当時は裏づけとなる実証証拠がなかった。やがて1973年になって、ふたりの研究者がヘップの正しさを示唆する発見をした。海馬と呼ばれる領域で入力側のニューロンを刺激したところ、受け取る側の細胞(シナプス後(こう)ニューロン)の電気反応が強くなったのである。電気信号の増大は最大で10時間持続した。彼らはこれを「長期増強」と名づけた。最近起きた出来事によって接続の強さが修正されることがこのとき初めて実証された。
誰もがすぐさま考えたのは、上がったものは下がらなくてはならないということだった。接続を増強できるのなら、それを元に戻す能力も備えている必要がある。さもなければネットワークは飽和状態になって、それ以上新しいものを保存できない。1990年代に入る頃には、様々な操作(Aが発火してもBが反応しないなど)が「長期抑制」につながることが示された。つまり、2細胞間の接続が弱まるということである。
1980年代の初めには物理学者のジョン・ホップフィールドが、ごく単純化した人工ニューラルネットワークで少数の「記憶」を保存できるかどうかを調べてみた。その結果、ネットワークにいくつかのパターン(アルファベットの文字など)を入力したうえで同時発火するニューロン間のシナプスを強化すると、ネットワークがそのパターンを覚えることをホップフィールドは見出した。個々の文字(たとえば E )が特定のニューロン群の活動を引き起こし、それらのニューロンは互いどうしの接続を強める。別の文字、たとえば S は別のパターンで表現される。次に、一部が欠損した文字(たとえば E の上の横棒がないなど)をホップフィールドが提示したところ、ネットワーク内を活動の連鎖が広がり、それはやがて完全な E を表すパターンへと変化していった。つまり、ネットワークはそれまでのすべての経験を踏まえて、E がどう見えるはずかという理解に合うようにパターンを補ったのである。しかもこの種のネットワークは予想以上に劣化に強く、分散された記憶はノード(接続点)をいくつか減らしても引き出すことができた。こうして単純な人工ニューラルネットワークに記憶を蓄えられることが見事に示されたことにより、「ホップフィールド・ネットワーク」研究のブームに火がついた。
その後の数十年のあいだ、とりわけ近年になってから、人工ニューラルネットワークの分野は活況を呈してきている。それは理論の進歩によるものというより、大規模な計算能力のおかげである。数百万ないし数十億のユニットをもつ巨大な人工ネットワークでシミュレーションできるようになったのは大きい。その種の巨大ネットワークは、世界屈指のチェスプレイヤーや囲碁の棋士を破るなどの快挙を成し遂げてきた。
だが華々しいファンファーレとは裏腹に、本物の脳の働き方にはまだ遠く及ばないのが実情である。確かに度肝を抜かれるような能力を店てはくれるものの、課題を変える(たとえばネコとイヌを見分ける課題から鳥と魚を区別する課題に変更する)ように指示されると目も当てられないような大失敗を喫する。人工ニューラルネットワークは脳を参考にしてつくられてはいるが、独自の単純化された方向へと道をそれてきた。脳の魔法(つまり人工ニューラルネットワークにはいまのところ真似できないこと)を理解するには、生体に備わった本物の記憶がどんな巧妙な手段を用いているのか、また何につまずきやすいかを曇りのない目で眺めないといけない。
記憶の敵は時間ではなく別の記憶
脳を待ち受けてる最初の厄介の種はそれが長く生きるということである。動物は変わりやすい困難な環境と向き合っているため、数年ないし数十年にわたって絶えず新しい情報を取り込まなくてはならない。しかし生きているあいだじゅう学習をするには、新しい情報を受け入れつつも古いデータを保護する必要がある。これは難しい舵取りだ。人工ニューラルネットワークの場合は「学習」の段階で(普通は数百万個の事例を通して)学習が行われ、それから「想起」の段階でそれを検証する。動物にはそんな贅沢をしている余裕がない。その場で学習し、その場で覚えることを生涯を通して続けなければならない。
残念ながら、シナプス変化の基本原則を忠実に踏まえて記憶モデルを構築してもすぐ壁にぶつかる。ヘッブ式の学習は記憶を符号化するのには申し分ないが、記憶の符号化を申し分なく続けるせいで前に学習したことがすぐに上書きされてしまう。記憶でいっぱいになった人工ネットワークは劣化して記憶の泥と化す。ネットワーク内で新たな活動が生じるたびに、古い記憶はあいまいになる。それがあまりに短時間で起きるために、第一幕が終わる頃には劇の始まりがどうだったかを思い出せない。この問題は「安定性と可塑性のジレンマ」と呼ばれる。いったい脳はどうやって学習内容を保持しながら、新しい情報を迎え入れているのだろうか。記憶は何等かの方法で守る必要がある。時間によって荒らされるのを防ぐのではなく、ほかの記憶が侵入してくるのを食い止めるために。
脳はこのジレンマを回避して何らかの手段で古い記憶をしまい込んでいるのだから、ネットワーク内でシナプスを強化したり抑制したりするだけがすべてではないことがわかる。このジレンマを回避するひとつ目の方法は、システム全体を一度に変えないようにすることだ。狭い範囲でのみ柔軟性のスイッチを入れたり切ったりし、自分にとって大事かどうかをそのオンオフの判断基準にする。第6章でも取り上げたように、神経修飾物質はシナプスの可塑性を慎重にコントロールする性質をもつ。そのおかげで学習は適切な場所で適切なときにのみ起こり、そのつど活動がネットワーク全体に広がることはない。このように局所に限定すれば、重要なことが生じているときにだけシナプス強度を修正すればいいので、ネットワークが記憶の泥になり果てるのを遅らせることができる。
とはいえ、これで安定性と可塑性のジレンマが解消するわけではない。注目すべき記憶だけに絞ってもやはり大変な数にのぼるからだ。そこで脳はふたつ目の解決策を実行している。記憶を蓄える場所を一か所に限定しないのである。すでに学習した内容を別の領域に移して、もっと長期に保存する。
脳の一領域が別の領域に教える
1953年、27歳だったヘンリー・モレゾンという名の患者がてんかんの治療のために手術を受け、左右両方の脳半球から海馬を切除された。すると手術後に重篤な健忘症を発症し、新しい記憶を形成して新しいことを学ぶ能力を失った。不思議なことに、それでも限られた範囲で新しい技能(鏡文字を読むなど)を身につけることはできたが、その技能を習得した事実を覚えていなかった。神経科学者のブレンダー・ミルナーと同僚らによって詳細な研究がなされた結果、手術前に起きた出来事の記憶は正常に近いことが判明する。モレゾンの症例によって海馬に注目が集まった。とくに焦点となったのが、海馬は事実を学習するうえで欠かせないものでありながら、それがなくても学習済みの事実を思い出すのに支障がないのはどうしてかという点である。
答えは何か。学習における海馬の役割は一時的なものにすぎないということである。海馬は記憶が永久に保存される場所ではないために、モレゾンは手術前の自分の人生についてはおおむね細かく思い出すことができた。記憶を新しくつくり出す際には海馬が必要だが、記憶はその場所にずっととどまるわけではない。別の皮質領域に送られて、そこでもっと長期にわたって蓄えられる。
では、海馬という中継地点からもっと恒久的な皮質内のすみかへと、記憶はどうやって移動するのだろうか。ひとつ考えられるのは、活動パターンが皮質を一度通るだけでは安定した保存は達成できず、海馬のような領域がその通り道を何度か再活性化しない限り記憶は皮質に定着しないということである。この枠組みで考えると、なぜ記憶を固定するうえで海馬が欠かせないのかが推測できる。つまり、海馬で同じパターンを何度も再演する必要があるからだ。記憶は皮質に移ったら、しだいに安定性を得ていく。モレゾンの場合は繰り返してくれる脳構造がなかったために、記憶が長期保存されなかった。したがって脳の状態は以前のままだった。
記憶の移動は脳の様々な領域で確認できる。たとえば、赤い四角が見えたら手を上げ、青い丸だったら手を叩くという連合(観念と観念など、諸要素が心の中で結びつくこと)をあなたが学習したとしよう。練習の末にすばやくできるのようになった。脳の特定領域(尾状核(びじょうかく)など)は報酬の得られる連合を感知する働きがあるので、練習のあいだはたちまちそこに変化が現れる。ところが課題の実行を続けていくと、最終的に活動がほかの脳領域(前頭前野)でも確認できるようになる。そちらの領域のニューロンは変化のペースがゆっくりであることから、最初の領域が2番目の領域に学習内容を教えていることがうかがえる。
このように、入ってきた荷物を出荷していけば、安定性と可塑性のジレンマを解消する助けにはなる。しかし、スペースが限られている問題は依然として残る。荷物を世界中に発送するならまだしも、別の一か所に送り込んでいるだけなら問題を先送りしているにすぎない。いずれ2番目の倉庫もいっぱいになる。そこで、もっと根本的なレベルでの解決に向けた第3の道へと私たちはやって来る。
シナプスを超えて
たとえばあなたが異星人で、人間を初めて発見したとしよう。私たちが脳と呼ぶ流動的なシステムを見てみると、それはいくつもの可動部分で構成されている。あなたはとまどう。あなたの眼は解像度が高いので、人間どうしのやり取りを一日中観察しているうちにニューロンの形が変化しているのを確認する。何かを経験すると樹状突起が伸びたり縮んだりするのだ。目を細めてそのシステムをさらに注視していると細胞から細胞へと化学物質が伝達されていて、しかもその量が変動することに気づいた。また、化学物質のメッセージを受け取ろうと受容体が集まっていて、その数もやはり増減している。神経修飾物質が受容体の機能を変えていることも見抜く。新しい入力を受け取るたびにニューロンの内部では分子やイオンが複雑な連鎖反応を起こしながら、計算したり自らを調整したりしている。そのさまにあなたは舌を巻く。ニューロンの核内に目を転じると、ゲノムのレベルではらせん状のDNA鎖に化学物質が付加されたり離れたりすることで、遺伝子発現を促したり抑制したりしている。
こんなシステムを目の当りにしたら途方に暮れるに違いない。メカニズムのどれひとつをとってみても可塑性が発揮されていて、不動不変なものなどひとつとしてない。新生ニューロンの成長と挿入から遺伝子発現の調節に至るまで、あらゆるスケールでパラメーターが変化している。生体システムの中にこれだけの自由度が存在するのだから、記憶を保存する戦略にはいくらでも選択肢があるはずだ。
神経学者やAIエンジニアがネットワークの変化について語るとき、たいていは細胞間の接触強度の変化を念頭に置いている。しかし、予断のない異星人の目で眺めれば、シナプスだけではどう考えても不十分なことがわかるはずだ。可塑性はあらゆるレベルで脳全体に存在する。ネットワーク内を神経活動がどのように流れるかには大小様々な状態がすべてかかわっていて、そのどこを探っても可塑性が見つかる。では、なぜ研究者はほぼシナプスにばかり焦点を当てるのかといえば、一番簡単に測定できるのがシナプスだからである。シナプス以外の活動はあまりに微小な世界なので、生きている脳内の急速な変化の最中に調べることは最新のテクノロジーをもってしてもできない。だから、見える対象にのみほとんどの注意を向けている。
そういうわけで、調節できる目盛りが脳にはいくつもついており、このことが次なる疑問へとつながる。それだけたくさんの変数があるにもかかわらず、脳はどうやってほかの機能を乱さずに何かひとつを変えているのだろうか。あらゆる部分どうしの相互作用を理解するにはどうすればいいのだろう。自由度の大きさがそれぞれ違うのに制御不能に陥ることなく、互いを抑制と均衡のシステムの中にとどめておくにはどんな原理に基づけばいいのだろうか。
私が思うに、重要なのは生物学的なパーツに目を向けるのではなく、それらが働く時間軸に着目することだ。メカニズムの詳細という視点からではなく、それらが作動する速さという視点から語ればいい。
異なる時間軸を結びつける
何年か前、作家のスチュアート・ブランドは新しい考え方を提唱し、複数の階層が別々のペースで活動していることに目を向けなければ文明は理解できないと説いた。流行は次々に移り変わるのに対して、一地域における事業はもっとゆっくり変化する。道路や建物といったインフラはさらに長い時間をかけて徐々に発展する。社会の規則や法律━━つまりいかに統治するか━━はなかなか改まらず、それは変化の向かい風に飛ばされないように物事をしっかり押さえつけておきたいからだ。文化はといえば物語と伝統という分厚い土台に支えられ、のんびりと独自のタイムテーブルで変遷する。一番長い時間軸で動いているので自然であり、数百年から数千年かけて重い足取りで進んでいく。
わかりにくい場合もあるものの、このすべての階層が互いに影響を及ぼし合っている。比較的速く動く階層は革新が起きたことを遅い階層に教え、比較的遅く進行する階層は抑制と体系を速い階層に与える。一個の文明のもつ力と強靭さはどれかひとつの階層から得られるものではなく、それらすべての相互作用から生み出される。
ブラントの唱えたこの考え方は「ペースレイヤリング」(「ペースに応じて階層化する」という意味)と呼ばれる。ペースレイヤリングの原理は脳について考える際にも使える。脳の場合は流行/統治/自然というふうに分かれているのではない。最も速く動く階層は生化学的な連鎖反応で、最も遅いのは遺伝子発現の変化である。シナプスだけではなく、ほかの様々なパラメーターも変化している。こうした複数の変化の流れが正しく連動すれば、一過性の出来事が痕跡を残すことができる。なぜなら、速く進む連鎖反応がもっと遅い連鎖反応を始動させ、それがやがてさらに緩慢なプロセスの引き金を引き、最終的に最も深層にあるゆっくりした変化が動きだすからだ。このように、可塑性を生む変化は時系列に沿って生じるのであって、単に全か無かの変化として保存されているのではない。様々な形態の可塑性が互いに影響を及ぼし合い、各階層が協調して働くことでシステムの能力が発揮される。
記憶の様々な種類
本章ではあたかも記憶がひとつのものであるかのように語ってきたが、じつは記憶には様々な顔がある。1985年、ジョディ・ロバーツはワシントン州でジャーナリストの仕事をしていた。ある日、ジョディは消えた。家族は何年も懸命に探したが見つからず、つらいことだが死んだものと諦めるしかなかった。
ところが死んではいなかった。失踪の5日後、ジョディは1600キロほど離れたコロラド州オーロラのショッピングモールを途方に暮れた様子でさまよっていた。身元を証明するものは見当たらず、車の鍵を所持するのみで、その車も結局見つからなかった。自分の過去については何ひとつ覚えていない。警察によって病院へ連れて行かれたものの、自分が何者かわからず、ジェーン・ディーと名乗り、ファストフードのレストランで働き始め、デンバー大学に入学した。のちにアラスカ州に移住し、漁師と結婚し、ウェブデザイナーの仕事を得て、双子をふた組産んだ。
失踪から12年、知人がニュース記事を見て、それはジョディのことだと気づいた。涙ながらに喜ぶ家族とジョディは再会する。しかし、彼らのことは何ひとつ思い出せなかったため、失礼にならない態度をとりつつもどこかよそよそしかった。父親は記者にこう語っている。「基本的には同じ人間です。娘を取り戻したといえなくもありません」
ジョディのような事例で注目すべきは、英語を話したり、車を運転してり、好きな相手にアプローチしたり、仕事を見つけたり、ウェイトレスとして働いたり、ラブレターを書いたり、子供お世話をしたりすることは依然として覚えている点である。自分自身の過去だけが記憶から抜け落ちている。同様のケース(たくさんある)を通して、記憶には色々な種類のあることが明らかになった。表面的な印象とは裏腹に記憶はひとつのものではなく、じつはいくつもの種類に分類される。一番大きなくくりとしては、短期記憶(ボタンを押すあいだ電話番号を覚えておく)と長期記憶(2年前の休暇旅行で何をしたかを思い出す)がある。長期記憶の中は、宣言的記憶(名前や事実など)と非宣言的記憶(自転車の乗り方のように実行はできるが言語化できない)に分かれる。非宣言的記憶の中には、手続き記憶(すばやくタイプする方法)や古典的条件づけ(キャンディの包みをあける音を聴くと唾液が出る)などのさらなる下位区分がある。
何年か前、人工ニューラルネットワークの構築を研究する分野では、一般法則と具体例の問題に突き当たった。一般法則(「羽の生えた動物は飛べる」)を学習するネットワークか、具体例の集合(「ドーラという名の鳥は飛べないが、ポールという名の鳥は飛べる」)を保持するネットワークならつくれるのに、その両方となるとお手上げとなる。何千という事例に触れることでパラメーターをゆっくり変化させるか、個々の事例に小突き回されて急速な変化を起こすか。当時のネットワークにはそのどちらかしかできなかった。
その両方の時間軸で同時に物事を1個の脳に学習させるにはいったいどうすればいいのいか。なんといっても、世界に関する多種多様な事柄を覚えるためには異なる時間軸がどうしても必要となる。一般化したいときもあれば(「レモンは黄色い」)、具体例を記憶しなければならないときもある(「うちの冷蔵庫の野菜室に入っているレモンは腐っている」)。
結局、一見するとふたつの目標が並び立たないように思えることが重要な手がかりを与えてくれた。両方の仕事をうまくこなすには、学習速度の異なる別個のシステムをもたなくてはならない。環境から一般法則を引き出すためのシステム(遅い学習)と、エピソード記憶(宣言的記憶の一種で、個人が経験した出来事に関する記憶)のためのシステム(速い学習)である。ひとつ考えられるのは、このふたつのシステムがそれぞれ大脳皮質と海馬だというものだ。海馬は変化のスピードが速い(だから短時間で事例から学習できる)のに対し、皮質は時間をかけてゆっくりと一般法則を抽出する。前者は速い変化を通して具体的な事柄を保持し、後者は多数の事例を必要とするので変化には時間を要する。この巧妙な仕組みにより、脳の個々の事例(「このボタンを押せばレンタカーが走り出す」)からすばやく学習できると同時に、色々な経験を通して徐々に統計的パターン(「花はたいてい春に咲く」)を引き出すことができる。
歴史に修正される
シナプスの強化と抑制という古典的な構図がこれまで大いに役に立ってきたのは事実だし、人工ニューラルネットワークはその原理を用いて工学の分野に見事な偉業を打ち立てることができる。しかし、大きな配線図における接続の強弱というだけが記憶ではない。本章で見てきたように、単純なシナプスモデルでは新たなデータが流れ込んでくるとたちまち古いデータを表現できなくなる。本物の記憶が古いものほど安定していることからは、時間軸の異なる変化が起きているという秘密があぶり出される。
シナプスモデルは神経科学者やAIエンジニアにとっては都合のいいものだ。だが、自然がそういう方法をとっていないことはまず間違いない。実際には、記憶の基盤となる変化が膨大な数のニューロン、シナプス、分子、遺伝子に広く分散している。たとえるなら、砂漠がどうやって風を覚えているかに似ている。風は砂丘の斜面として、岩石の形として、そしてそこに暮らす昆虫の翅(はね)と植物の葉を形づくる進化の圧力として記憶されている。
記憶を研究する分野が進展してきたいま、解明しようとしている現象をできるだけありのままに眺めることが求められている。最新の人工ニューラルネットワークは素晴らしい成果をあげてはいるものの(超人的な技能で写真を見分けるなど)、人間の記憶がもつ基本的な特徴をとらえてはいない。私たちの記憶の豊かさは、異なる時間軸が生物学的に連動することで生まれていると私は思う。新しい記憶は古い記憶の上に築かれ、過去の経験のもたらす制約の中で自らの居場所を見つける。ひとつの事実を学んだら別の事実が記憶からこぼれてしまうんじゃないかと、心配する声をこれまで大勢の医学生から聞いてきた。ありがたいことに、この「容積一定モデル」は正しくない。実際には新しい物事をひとつ学習するたびに、関連する次の事柄を吸収しやすくなる。
第11章 オオカミと火星探査車
オオカミは足が罠に挟まると、その足を噛み切って3本足で逃げていく。それとは対照的なのが火星探査車「スピリット」だ。スピリットは2004年1月4日に赤い火星に着陸し、車輪走行しながら何年も立派に任務を果たしていた。ところが2009年、重さ185キロの車体が砂にはまった。抜けなくなったのには、右前輪が作動しなくなったせいもある。火星の地で立ち往生したうえに、ソーラーパネルがいつのまにか太陽のほうを向けなくなっていた。太陽電池は切れ、冬のあいだに修理不能の損傷を追う。2010年3月22日、スピリットは地球に向けて時世のビームを放ったあとで息絶えた。
火星探査車とオオカミを分けるものは何かといえば、「ただの情報」と「目的のある情報」の差だ。オオカミはスピリットと違い、たとえ足が罠にとらえられても強い願いをもって生きている。危険から逃れて安全な場所にたどり着きたいという願いだ。オオカミが何を意図してどう行動するかは、捕食動物の脅威と胃袋からの要求で決まる。オオカミは目標に導かれてさまよい歩く。脳はそうやって環境に関する情報と、残りの足で何ができるかについての情報を貪欲に吸収し、目標達成に一番役立つ行動へとその情報を読み替える。
オオカミの脳をハードワイヤードにしても意味のないことを母なる自然は知っている。ボディプランや環境が変化するだけでなく、何ができてどう行動するかもそのときどきで移り変わっていくからだ。だからあらかじめ回路を定めておくのではなく、向情報性をもつシステムをつくったほうがいい。動きながら情報に応じてすべてを最適化し、うまく目的に到達できるように自らを調整する。目的には長期的なもの(命を保つなど)もあれば、短期的なもの(逃げようとするカリブーを挟み撃ちにする方法を考える)もある。いずれの場合も、脳はその目的を追うことに自らを適応させる。
私たちのロボットにも同じことをさせるには何が必要だろうか。それは、ボディプランが変わってもそれを動かす能力に加え、食べたい、他者と交流したい、生き延びたいという強い願いをもたせることである。それを適切に組み込めば、車輪がなくなても部品が壊れても問題はない。残された回路が自らを調節し、意図していたことを最後までやり遂げる。想像してほしい。火星探査車が砂にはまった車輪を切り離し、ほかの車輪だけでどうやって進もうかを考えるところを。こうした原理に基づいて自らを修正できる機械を製作すれば、入力情報と目標を組み合わせることで機械自身が配線を調整できる。車輪が外れても、車軸が折れても、あるいは配線がちぎれても、まだ無傷な回路が必要に応じて自らを再編成し、始めたことを終わらせる。
脳がどういう原理のもとに働いているかが解明されていけば、AⅠから建築まで、マイクロチップから火星探査車まで、様々な分野に応用されて成果をあげるはずだ。私たちはもう、壊れやすい機械で延々とゴミ捨て場を埋め続けなくてもよくなる。自らを再編成できる装置は生物の世界だけでなく、人工の世界の住人にもなっていく。
第12章 エッツィの叶わぬ恋を見つけ出す
1991年9月、ふたりのドイツ人がチロル地方のアルプスをハイキングしていて一体の遺体に遭遇した。頭と肩だけがむき出しになっており、体の残り9割は氷河に閉じ込められて固く凍りついている。氷漬けになっていたのは男性で、状態がいっさい損なわれることなく凍結乾燥していた。男はその場所で5000あまり凍っていたのである。気の毒な氷男は「チロルのアイスマン」として知られるようになり、「エッツィ」というあだ名ももらった(発見場所であるエッツタール・アルプスにちなんだもの)。
以後、膨大な数の研究報告が次々と発表された。エッツィの消化管に残っていた内容物からは、最後の2度の食事のメニューが明らかになった(シャモア肉とシカ肉に、アインコルン小麦とふすまと根と果実を添えて)。最後の食事に含まれていた花粉はまだ新しかったことから、死亡したのは春と特定された。髪の毛からは死亡前の数か月にどんな食生活を送っていたかが突き止められた、髪の毛に銅の粒子が付着していたことから銅の精錬にかかわっていた可能性が指摘された。歯のエナメル質を分析して含有元素の組成を割り出した結果、どの地方で生まれ育ったかも判明している。黒ずんだ肺はたき火の煙を吸っていたことを物語っていた。脚を構成する複数の骨の大きさの比率を知らべたところ、若い頃に山岳地方でかなりの距離を歩いていたことが明るみに出た。すり減った膝関節に痛みを和らげるために原始的な鍼治療のようなものを受けていたと見え、そのことは膝の骨の状態と、それと対応するように皮膚に残された十字の跡からわかる。指の爪からは病歴が浮き彫りになった。横に入った3本の線が、亡くなるまでの半年のあいだに全身の不調に3度見舞われたことを告げていたのである。
ひとつの体からは途方もない量のデータを集めることができる。それは体が経験によって形づくられるからだ。そしてここまで見てきたとおり、それよりはるかに具体的に経験の影響を受けるのが脳である。その人が身近な環境の中で何を気にかけ、何に時間を費やし、どういう情報を重視していたかを脳の構造は教えてくれる。これを調べれば、エッツィが同時代の典型的な人間だったのかどうかがわかるだけでなく、脳細胞に刻みつけられた微細な日記を読むこともできる。私たちはエッツィのきょうだいや子供、目上の人や友人、果てはライバルの顔も目の当りにする。さらには銅器時代の雨の夜やたき火の匂いを嗅ぎ、エッツィの話していた言葉や知人の声を聞き、この男性が人知れず抱いていた喜びや恐怖や、叶わぬ恋や希望を感じることもできる。
私にいわせれば、生物の世界においてライブワイヤリングほど素敵で見事な現象はない。本書で私はライブワイヤリングのおもな特徴を以下の7つに絞り込んできた。
1 世界を反映する。(脳は自らを入力情報に適合させる。)
2 入力情報を受け入れる。 (流れ込んでくる情報を脳は何であれ活用する。)
3 どんな装置でも動かす。 (たまたまどんなボディプランの内部にいようと、脳はその体を操る方法を学習する。)
4 大事なことを保持する。 (自分にとって何が大事かに基づいて脳は資源を配分する。)
5 安定した情報を閉じ込める。 (脳領域間には柔軟性に差があり、それは入力情報の種類に応じて決まる。)
6 競うか死ぬか。 (脳領域の生存闘争から可塑性が生まれる。)
7 情報を求める。 (脳は世界に関する内部モデルを構築し、予測が間違っていたらそのつどそれに合わせて自らを修正する。)
ライブワイヤリングは自然界における仰天の珍現象というだけの存在ではない。記憶と、柔軟な知性と、文明を成り立たせるうえでなくてはならない巧妙な手法だ。仕事をするための道具がなくても、脳を微調整してその道具をつくり出せるのがライブワイヤリングである。自然選択による進化はこのメカニズムを用いることで、やりようのないことをしなければならないプレッシャーからいくらか解放される。つまり、脳は不測の事態をひとつ残らず予期する必要はない。無数のパラメーターをその場で調整しながら、予測不能の出来事に対処していけばいい。
可塑性はシナプスから脳領域全体まで、あらゆるレベルで確認できる。領土をかけた絶えざる戦いは適者生存の競争だ。個々のシナプスが、個々のニューロンが、ありとあらゆる構成要素が資源を求めてしのぎを削っている。境界線争いが進むにつれて脳内の地図は変化し、その生物にとって一番大事な目標がつねに脳構造に反映されるようになる。今後、ライブワイヤリングは私たちの標準的な考え方のひとつにもなっていく。なぜなら、身の回りの世界を調べれば調べるほど脳の役割が明確になっていくからだ。
ライブワイヤリングという仕組みのおかげで、私たちひとりひとりが一個の器(うつわ)となって時間と空間を湛(たた)えている。私たちは世界の一地点に生まれ落ち、その場所のこまごまとした情報を吸い上げる。いってみれば、自分が世界の中で生きている時間を記録する装置なのである。年上の人に会うと、その考え方や世界観にショックを受けることがある。そんなときには相手を一個の装置として眺め、生きてきた時間と独自の経験がそこに記録されているのだと思えば少しは理解しやすくなるのではないか。いつの日かあなたの脳も時間に押し固められたスナップ写真となって、次の世代に苛立ちを与えることになる。