国立青少年教育振興機構では、いくつかの国際交流プログラムを実施しています。こうしたプログラムの交流相手国には、それぞれ理由があります。たとえば、アジア諸国との友好関係を深めるという外交的・政策的な目的のもとで、文部科学省などが構想し、同機構に実施を委託するという形がとられています。

ところが、長く事業を継続していると、なぜその国と交流しているのかという本来の目的が忘れられ、プログラムが「当たり前のもの」として受け止められてしまうことがあります。実際には、組織内に経緯を記した文書が保管されており、調べれば分かるようになっていますが、日常業務の中でその原点に立ち返る機会はそう多くありません。

ある時の出来事が、それを痛感させました。

中東のA国から、青少年交流についての情報収集や国際プログラムの可能性を探るため、担当者が国立青少年教育振興機構を訪問したことがありました。対応した幹部は、A国の人々の人柄に好印象を持ち、「とてもいい国だ」とすっかり気に入ってしまった様子でした。

その後、A国で開催されたSDGs関連の国際会議に、同幹部は職員2名を同行させて出張し、その際、A国の政府関係者に対して「ぜひ国際交流プログラムを実施しましょう」と正式に発言してしまいました。

しかし、問題はその先にありました。国際交流プログラムの実施には、それなりの予算が必要です。その財源の見通しもないまま、さらには他に優先順位の高い国があるにもかかわらず、「相互交流をしましょう」と相手国に伝えてしまったことで、後に引けない状況になってしまったのです。

その経緯を説明するため、文部科学省に出向いたところ、担当課長から厳しい叱責を受けました。
「どうしてこんな話になったのか。勝手に進めないでほしい。なぜしっかり組織としてグリップできていなかったのか」━━まさにそのとおりでした。ある人の好意や思いつきが、制度的な手続きを飛び越えてしまったのです。

今振り返れば、そのような事態になる前に組織として方向性を確認し、適切な判断と対応をしておくべきでした。幸いにもその後、新型コロナウイルスの影響もあり、結果的にそのプログラムの話は自然消滅する形で終わりましたが、冷静に考えれば、大きなトラブルに発展していてもおかしくない事案だったと思います。

国際交流には、相手国との相性や関係性、過去の経緯、予算的な制約、そして政策的な優先度といった多くの要素が絡んでいます。だからこそ、「その国と、なぜ交流するのか」という問いを常に忘れず、制度的な枠組みの中で冷静に進めることが大切だと、あらためて痛感しました。