学長という立場になると、さまざまな場面で、その場にふさわしいスピーチが求められます。特に3月から4月にかけては、学部の卒業式、大学院の修了式、学部の入学式、大学院の入学式と、なんと4回もスピーチを行う必要があります。

あるとき、学長から「4種類ものスピーチ原稿を考えるのは大変だから、少し手伝ってくれないか」と声をかけられ、いくつかの原稿をお手伝いしたことがありました。私なりに丁寧に考え、内容にも配慮して書いたつもりですが、その後、学長が少しだけ手直しを加えたうえで本番に臨まれました。

しかし、原稿を書いた当時から、「これでいいのだろうか」という思いが心に残っていました。学長の言葉として学生の前で語られるには、やはり、ご自身の経験や信念が込められていないと、どうしても説得力に欠けるように感じられたのです。

同じようなことを思った出来事が、もう一つあります。かつて韓国の日本大使館に勤務していた際、日本人学校の卒業式で小倉和夫大使がスピーチされることになり、私がその原稿を用意しました。他校の校長先生の卒業式スピーチなども参考にしながら丁寧に作成したのですが、大使は当日、私の原稿を使わず、ご自身の言葉で語られました(正直、少し驚きました)。

しかし、そのスピーチは、教育現場の経験がないにもかかわらず、大変説得力があり、聴く人の心にしっかりと届く内容でした。原稿では出せない「伝わる力」がそこにはあったのです。

もちろん、学長には日々多忙な業務が山積しており、スピーチ原稿まで手が回らないという現実もあるかもしれません。しかし、学生にとっては、学長のスピーチは、大学の最高責任者から直接言葉を受け取れる、数少ない貴重な機会です。しかもその学長は、教育や研究の道を極めてこられた方なのです。

だからこそ、卒業式や入学式では、原稿に頼るのではなく、学長自身の思いや経験を率直に語っていただくのが、何よりも学生の心に残るのではないか━━いまさらながら、そんなふうに感じています。