伊藤邦武氏の「宇宙の哲学」(講談社学術文庫)の内容について、興味深い点をまとめてみました。

そこでは、ケプラー、パスカル、ニュートン、カント、パースなどによって宇宙の謎にどのようにアプローチしてきたのかを振りかえり、宇宙の歴史は有限か無限か? 「この宇宙」はどのように生まれたのか? 時間の誕生に以前には何があったのか? などの難問に答えを出そうとしています。

そうした中で、補講1で述べられている次の文章は、私自身が現在考えていることと同様の方向性をもっているものです。

たとえビッグバンによる「この宇宙の」誕生が特定の過去の時点の出来事として認められるとしても、私たちには依然として、この宇宙以前にも宇宙の誕生と消滅の連鎖が永遠に続いていて、宇宙全体の時間は結局無限なのではないか、とか、宇宙の誕生「以前」という概念は意味があるのかどうか、といった、哲学的な問いを立てたくなる気持ちが残っているような感じがします。しかも、こうした問いを立てることは実際に今なお可能であり、これらは決して純粋にアプリオリな思弁による空論であるとか、もはや科学的な見地からすればほとんど意味のないたわごとであるとして、退けられる必要はないと考えられるからです。

興味を持った方は、購入するなどして、ぜひこの本全体を読んでみてください。

第1講 コスモロジーの自立

コスモロジーの自立のために

近代から現代へと貫く共通の問題意識というものを、一言で特徴づけることは容易ではありませんが、ここではそれをさしあたって仮に、「コスモロジーの自立」という言葉で表現してみたいと思います。

ここでいうコスモロジーの自立とは、宇宙全体の過去から将来までの一切についての認識が、その認識成立の可能性の原理をも含めて、その理論内部の説明原理によって得られることになるような、一種の科学の理想を意味するとします。今日の私たちの宇宙論の主眼点が、このような理論的な自立を成し遂げようとする努力にあることは、間違いありません。しかし、近代の自然科学の主題もまた、同じような理論的自立にあったと考えられるのです。たとえば、・・・カントのいう「コペルニクス的転回」は、近代科学におけるこうした理論的自立の意識に、カントの認識論を重ね、負荷したかたちで表現しようとしたものであると解釈できます。

近代の自然科学は、現代に生きるわれわれとは異なったパースペクティヴからではあるが、現代のわれわれと同じように人間の知識の自立ということを主題とし、その可能性を説明するとともに、その意義についても反省を加えようとしていた。それは、科学と哲学とが手をたずさえて、コスモロジーという総合理論を構築しようとする、1つの息の長い理論的な闘争であった。しかし、そこで展開された哲学的な反省には、いくつかの重大な制約も含まれていた。したがって、その哲学的反省の実質を概観するとともに、その制約の露呈を見極めることが、現代の私たちのコスモロジカルな反省と思弁的努力にとっても、有効な視座を与えてくれるのではないか━━。「宇宙を哲学する」という知的冒険をスケッチするこの本では、おおよそこのような見通しのもとで、まず始めに、7回の講義というかたちで、西洋近代哲学における「コスモロジーの自立」の努力とその帰結とを跡づけてみたいと思うのです。

第2講 ケプラーの夢

ケプラーとは誰か

ケプラーは1571年にドイツで生まれました。彼はプラハでティコ・ブラーエの弟子となって、当時としてはヨーロッパでもっとも精密な天文学上の観察記録をもっていたブラーエの資料を用いて、火星を中心とする諸惑星の運動論の完成を試み、その結果、いわゆるケプラーの3法則をみちびいて、ニュートンの万有引力の力学への道を切りひらいたことで知られています。その3法則とは、「楕円軌道の法則」(惑星は太陽を1焦点とする楕円軌道を描く)、「面積速度恒存の法則」(惑星と太陽間の直線は、単位時間に等しい面積をカヴァーする)、「調和法則」(惑星の公転周期の2乗は、太陽からの平均距離の3乗に比例する)と呼ばれています。彼は、このうちの最初の2法則を『新天文学』(1609年)、第3法則を『世界の和声学』(1619年)のなかで発表しました。・・・この講義ではその革新性の要点のみを、しかもきわめて表面的にですが、考察してみることにしましょう。

世界初のサイエンス・フィクション

しかし、その具体的な特徴に触れる前に、彼のもう1つの著作で、遺著となった、『夢』と題された珍しいテキストを取り上げてみたいと思います。・・・これがなぜ珍しいかといえば、それはこのテキストが世界でも最初のサイエンス・フィクション、つまり空想「科学」小説であるといわれているからです。

彼はこのような書物をなぜ書いたのか、またそれをなぜ母と息子の物語としたのかを、次のように説明しています。

教えを受けていない単なる経験、つまり医学の用語でいうところの経験のみの修練は、「知識」を生みだす母なのである。知識にとっては、その母親である「無知」が人々のあいだに生き続けているかぎりは、物事の奥深く隠された原因を暴くのは安全ではない。・・・私の『夢』の目的は、地球の運動を支持する議論を打ち立てるために月の例を使うことである。・・・月の住民から見れば、その天体に見える大きな球体、すなわちわれわれの地球は、それ自身の不動の軸を中心にしてたえず回転しているように見える。彼らはこの回転の証拠として、その球体上の諸地点の変化を挙げることができるのである。

私はこの説明のなかに、少なくとも3つのきわめて重要な主張がこめられていると考えます。1つは、「科学」すなわち「知識」(これらの原語はいずれもスキエンティア、つまりサイエンスです)とは、それまでの長い無知からの離脱を目指すものであるが、この離脱は子供が親から独立することに等しく、さまざまな感情的な葛藤や混乱をともないがちだ、という主張です。2つ目は、この知識の自立においては、地上の住むわれわれ自身を月のような外の世界から観察する視点が必要であり、いいかえれば、物事を観察したり経験したりしている自分自身をも、外から突き放して考えてみる必要がある、という主張です。そして、3つ目は、こうしたいわば自己中心的な見方からの脱却が可能になるのは、自分たちが経験を通じて得てきたデータだけに満足するのではなくて、それらのデータの背後にある、現象の奥にある本質的な「因果関係」を突き止めようとする努力によるのだ、という主張です。

ここではただ、ケプラーの3番目の主張だけに限って、彼が自然の奥にある原因ということで何を考えていたのか、また、それは「単なる観察」とどうかかわっているのか、さらには、そのことが先に挙げた彼の天文学的な業績にどうつながっているのか、ということについてのみ簡単にまとめてみることにしましょう。

「円が完全な図形であると考える理由は何もない」

さて、ケプラーには、上述の2冊の主著以前に出版された、『宇宙の神秘』(1596年)と題された有名な著書があります。・・・彼はそこで、当時知られていた6つの惑星のあいだの5つの空間が、正4面体から正20面体までの、5種類の正多面体を入れ子状にした世界として理解できるであろう、という理論を展開しています。

彼の第3法則を記した『世界の和声学』も、この一種の数学的な調和の思想をさらに徹底したもので、そこでは各惑星の運動それぞれに対応した音階のパターンが特定されて、それぞれが1つの和音の形式をもち、その多声形式としての太陽系の「音楽」が生み出されるというふうに、語られています。

このように、ケプラーの宇宙論には、魅力的ではあるけれども、いわゆる科学的な実証的精神には縁遠い、直感的な着想がふんだんに用いられているために、彼の思想はしばしばロマン主義の一種、あるいは場合によっては魔術的な世界像として語られがちです。

しかしながら、この点は特に『新天文学』の記述に明瞭に示されていることですが、ケプラー自身の探究方法は、そうした直観に頼った空想的な方法とは、まったく正反対のものです。彼はこの著作で、ブラーエの蓄積した膨大な観察データをどうにかして数学的に単純な記述に帰結させしょうとした悪戦苦闘の過程を逐一述べて、その結果ついに、古代ギリシャ以来の根本的固定観念、すなわち、天体は「完全なる図形」である円を描くという思い込みを捨てて、惑星軌道のうちに楕円を読み取ることができた思考の道筋を詳細に語っています。

パターンの発見と力学的な説明

要約してみましょう。ケプラーの探究方法は、膨大な観察結果をできるだけ整合的に説明できるような「数学的パターン」の発見を目指したうえで、さらにそのパターンの「因果的説明」を、力学上の理論によって与えようとするものです。彼がいう、自然の「奥」にある本質を探究する方法とは、複雑な現象に隠された単純なパターンの発見と、そのパターンの力学的な説明という2重のプロセスを組み込んだものであり、彼はこの方法を、単に過去に蓄積された体験を無秩序に列挙したものを重視するだけの従来の方法に対置したわけです。

第3講 無限宇宙の永遠の沈黙

夜空の星々への畏敬と恐怖

カントについては、後で何度も考察しますが、彼の墓碑銘にはこう書かれています。「思えば思うほど私のこころを驚きと畏れのいや増す気持ちでみたす2つのもの。天上の星をちりばめた大空と、私の内なる道徳法則」。「驚きと畏れ」、それが天上の星々と自分のこころの内なる道徳法則とにかんして等しく感じられるというのが、啓蒙時代を生きたカントの哲学の根本的な考えかたをよく表しています。一方、ケプラーやデカルトの少しあとに生まれた天才数学者パスカルの方は、こう書いています。「この無限の空間の永遠の沈黙は私を恐れさせる」。すなわち、同じく「おそれ」といっても、カントにとっては畏敬の念であったものが、その100年前に生きたパスカルにとってはよりストレートな恐怖として感じられたわけです。

沈黙する宇宙と人間の孤独

さて、パスカルが右の言葉を記したのは、彼の死後に残された断片集を編纂して出版された『パンセ』という本のなかでです。・・・『パンセ』は、現行の版では27章に分かれていて、その全体が、前半部の「神なき人間の悲惨」と後半部の「神とともにある人間の幸福」という、2部から構成されています。右にあげた「無限の空間への恐怖」という断章は、「人間の知識から神の知識への移行」という、ちょうどまん中あたりにある章に含まれていて、「神なき」状態にある人間の悲惨さの一面を、ぎりぎりまで追い詰めたかたちで提示する、という意味をもっています。

無限の空間、永遠の沈黙、恐怖

さて、『パンセ』の多くの断章のなかには、たしかに多少とも作者の個人的な心情を強調しようとするあまり、誇張ととられてもしかたのない文章もあります。しかし、私たちがここで問題としているテーゼにかんしては、単にパスカルの個人的な感情とか、文体の問題といってすますわけにはいかない、重要な諸問題もまた凝縮されたかたちで述べられていることを見て取る必要があります。それらの問題とは、すなわち「無限の空間」、「永遠の沈黙」、「恐怖」という3つのタームそれぞれにかかわる問題です。以下、これら3点をめぐる哲学的、宇宙論的議論を簡単に教科書風にまとめてみましょう。

(1)空間の無限性

デカルトはよく知られているように、その哲学の探究を、アルキメデスの定点ともいうべき「コギト」の原理から出発することによって、精神と物質とを根本的に峻別する二元論的な世界観を樹立した。これら2つのうち、精神の方は「考えるもの」という本質的規定が与えられ、物質の方には「延長するもの」という規定が与えられた。そして、この延長体が数学的分析の対象となるかぎりで、それには限りがないという意味での「無際限」という形容詞がつけられることになった。実際にはデカルトにあっては、本当に積極的な意味での「無限性」は、精神と物質との共通の作者であるところの神にのみ帰せられると考えられているが、しかし同時に、その神の創造物である世界に限界を設けることはできないという意味でも、空間あるいは延長的世界は無際限であるとされたのである。

パスカルの「無限」空間は、このデカルトの消極的意味での無際限な空間を超えて、個別的な延長体における有限性とのさらに明確な対比を強調しようとしたものである。というのも、彼はその数学研究において、後の積分法の萌芽というべき「無限小の冪(べき)」というアイデアを考案しており、また、無限大と無限小の中間者としての有限量という視点を、とくに重視していたからである。この点で、彼にはデカルトの物質観をより徹底するための数学的なテクニックがそなわっていたのである。

(2)沈黙、すなわち無目的性

無限に拡がる空間が永遠に沈黙しているというのは、この空間内のさまざまな事象の変化、運動のありかたには何の特別な意義も認められないということであり、運動の果てに設定されている目標というものもないということである。この考えも、デカルトの機械論的自然観を下敷きにしたものであるが、パスカルはこれについても独自なしかたでそれを徹底させる道をとっている。

デカルトがガリレイとともに採用した機械論的自然観によれば、自然現象のなかにはアリストテレス主義に立つ中世のスコラ哲学者たちが認めたような、目的原因や形相的原因は存在せず、すべては自然法則にしたがったメカニスティックな運動を展開するのみである。そもそも、自然のうちに何らかの目的や意義を読み取ろうとすることは、その創造者である神の無限の知性における計画や意図を理解しようとするのに等しく、人間の有限な精神にとっては不可能なことなのである。

パスカルはデカルトのこの議論を認めたうえで、さらに、その当の創造者である神の「存在」そのものが、人間の有限知性によっては知りえないのではないか、と問いかける。デカルトは、神の存在が、自然の内なる目的性や調和の事実に頼らなくても、「考えるもの」として私の存在から証明できると考えた。しかし、パスカルによれば、そのような形而上学的議論はあまりにもこみいっていて、「われわれのこころを打つことはない」。神はむしろ、徹頭徹尾われわれの知性の前から「隠れている」。その存在は証明されるのではなくて、われわれ一人一人の生を賭けた、不確実な幸福への飛躍によって信じられる他はない。その賭けは、永遠の沈黙を守る自然世界を前にしてなされるのである。

(3)恐怖、あるいは情念

デカルトのいう精神は、延長体である自然世界と完全に断絶しながら、その自然世界を数学的に解析している精神である。この精神がまた延長体である身体というものをもちうるということは、彼の二元論にとっては解くことのできない謎として残される。パスカルも同様に、人間が精神と身体からなる二重的存在者であることを、われわれの知性にとっては理解できない神秘と見る。しかし、この神秘は知的レベルでの謎として終わることはできない。というのも、心身の二重存在者である人間はその心身結合のゆえに、情念というものをもつのであり、さらにこの結合体そのものが、無限大の宇宙を前にしてほとんど無に等しく、しかも無限小のミクロな存在者にたいしては無限大にも等しいという、さらに謎めいた二重性をもっているからである。人間が自分自身を心身の結合体とみなし、その結合体としての自己理解のもので、自分自身がマクロとミクロの世界の中間にいわば宙吊りになっていると感じられるということが、パスカルのいう「不安」あるいは「恐怖」である。それは世界を数学的にのみ解析しようとしている純粋精神にとっては知りえない、身体と直結したなまなましい自己認識のレベルでの情念なのである。

第4講 時空をめぐる論争

ニュートン力学が切りひらいた問い

デカルトやパスカルは、宇宙の空間が無限である、もしくは無際限であると考えました。彼らはこのことを、実際に宇宙の無限のかなたについての知識をもっていたために主張したのではなくて、おもに、その数学的な記述の適用可能性のゆえに理論的に想定していたにすぎません。しかし、彼らの機械論的な自然観が、「ニュートン力学」という自然世界の普遍的な力学として完成されることになると、この世界全体が無限の大きさをもつのか、それとも有限な拡がりしかもたないものなのか、という問題はもっと具体的な、切実な問題として意識されるようになります。

たとえば、いかなる物質も存在しなかったとしても、空間自体は存在していると考えてよいのか。それとも、物体なしには空間もまた存在しないのか。また、そうした空間の無限・有限の区別は、原理的に人間の知識によって理論的な決着がつけられるものなのか。こういう根本的な問題が、ぬしさしならないかたちで突きつけられていると感じられるようになるわけです。

ニュートンの『プリンキピア』の出版は1687年ですが、この書物はその発表と同時にそれが当然に価するきわめて高い評判を全ヨーロッパ中でうけるとともに、右のような深刻な理論的関心をもひきおこしました。そうした関心はいうまでもなく、科学、宗教、哲学などさまざまな方面から複雑なかたちで寄せられたわけですが、哲学の領域にかぎっていえば、その代表的なリアクションは、2つの立場から加えられたものがもっとも有名です。

その1つはフランスのデカルト派からのもので、それはデカルトとニュートンにおける「運動学」対「動力学」の対立と、力の「近接作用」対「遠隔作用」の対立という、2重の焦点をめぐって争われました。もう1つは、ドイツのライプニッツによって挑まれた論争であって、この論争ははじめは微積分法の発見の先取権をめぐって争われたのですが、最後には空間・時間の存在論上の身分をどう考えるのか、それは物体の存在と独立に設定される「絶対的なもの」なのか、それとも、物体どうしの関係に付随的に設定される「相対的なもの」なのか、という大規模な問題に発展しました。

さて、これらの論争に実際にほぼ決着がつけられたとみなされるようになるのは、18世紀のもなかば以降のことです。すなわち、デカルト派との対立については、ヴォルテールやダランベールらのフランスの啓蒙思想家たちが、ニュートンに有利な評価を下します。一方、ライプニッツとの時空論争については、ドイツの啓蒙思想を担ったカントが、両者の立場を総合して、それに新たな解釈を与えるという解決を企てました。

カントによる時空論の総合

ここで、これらの知の巨人たちが、『プリンキピア』という世紀の傑作にたいして具体的にどんな論陣をはり、そこからどのような教訓を読み取ろうとしたのか、ということを考察してみることは非常に興味深いことなのですが、残念ながら、この講義ではそうした詳しい検討を行う余裕はありません。

そこで私たちは、これらの哲学的反省の系譜の最後に位置しているカントの場合だけを、この講義と次回の講義において、見てみたいと思います。

まずニュートンとライプニッツの時空論をめぐるカントの新しい総合ということについて、その骨子を要約してみれば、次のようになります。

ニュートンは、『プリンキピア』で、「時間」「空間」「場所」「運動」の4つの概念について、それぞれのその相対的なものと絶対的なものとを区別する必要を説いた上で、自然のさまざまな現象を、ただ現象として記述するのではなく、その「真の原因」にまでさかのぼって説明するということは、これらの概念を絶対的な意味で用いて物体の絶対的な運動を明らかにすることであると主張しました。この考えによれば、いかなる物体も存在しないところにも、物体とは独立に空間が存在し、時間が流れていることになります。

一方ライプニッツは、これにたいして次のように反論しました。このような考えでは神が世界を理解するために、何らかの「手段」を必要としていることになってしまう。また、このような議論では、「すべての物はその性質や変化の原因をそれ自身のうちに十分にそなえていなければならない」という、あらゆる存在者にあてはまるべき「十分な理由の原理」を破っていることになる━━。彼はこれらの論拠から、絶対時空論を否定して、空間や時間はさまざまな物どおしの「併存の関係」と「継起の秩序」を表す副次的なものであり、徹底して事物に相対的なものであると主張しました。そして、彼の形而上学では、本当の意味で実在しているのは精神的な単位(彼の言葉でいうモナド)とされますので、物体とはそのモナドが世界を「映した」現象界を構成する(神によってよく秩序づけられた)諸現象にすぎず、時空はその現象界内部の経験的、相対的な秩序ということになります。

さてカントは、これら双方の議論の一部を認めつつ、それぞれにさらに1ひねりを加えることを提案します。まず、物体と空間との関係は、ライプニッツのように物とその内部性質というものに還元することはできない。というのも、たとえば左右の手袋のように、それら内部の部分どうしの関係は同一でも、けっして互いに重ねあわせることができないものが現に存在している。このことは、空間の「方向」が、物のうちにそなわっているわけではないことを示しているからです。

しかし一方、ニュートンがいうようにこの非依存的な空間が現象を超えて、物そのものと同格の、あるいはそれ以上の絶対的な実存性を要求できるわけでもない。というのも、そう考えることは、ライプニッツが皮肉ったように、空間や時間を何かよく分からないが、世界に対する神の通路のような特別なものにしてしまわざるをえないからです。この点では、自然のうちなる諸事物を「現象」として捉えたライプニッツの方が厳密である。とはいえ、事物が現象にすぎないのは、それが精神的な実体と比較されてそういわれるのではなくて、むしろ、さまざまな事物が、空間・時間という「格子」または「網」をとおしてしか、われわれに与えられることががないからである。つまり、神であればその創造物を何らかの直接的なしかたで捉えることができるかもしれないが、われわれ人間は、その世界の知覚の形式である空間・時間を足場にして、はじめてさまざまな事物を自分の「対象」として捉えることができるのであり、その意味で、われわれの認識の対象は現象にすぎない、と考えざるをえないわけです。

このカントの議論には、先行者であるニュートンとライプニッツ双方のアイデアが非常に巧みに生かされて、総合されているのが分かると思います。しかし、ここでもっとも注意されなければならないのは、彼がその総合を、右の2人に共通する誤りを批判するというしかたで行っているという点です。その共通の誤りとは、すなわち、われわれの自然認識の根本原理の説明において、「神」という超自然的な存在者を想定するということです。カントは、神の世界認識に対比される人間の認識の特徴というものをきわだたせるために、対象の現象性というライプニッツのアイデアを生かし、同時にその現象界の成立の形式的条件として空間・時間を設定することで、「われわれにとっての絶対的なもの」の視点を樹立したのです。

形而上学と科学的探究の峻別

ところで、私たちは前回の講義で、パスカルが神の存在証明を行うことは、「われわれのこころを打つことがない」ゆえに無意味であると述べたことを見ました。この点で、カントはパスカル以上に徹底しています。すなわち、彼は、そうした証明はわれわれ人間の判断や推論の条件に照らしてみるかぎり、原理的に不可能である、というのです。

その理由はこうです。われわれが何かについて、その性質を論証にもとづいて証明するという場合、その何かが存在しているということは、論証に先立ってあらかじめ確かめられていなければならない。いいかえれば、「xが存在する」という命題は、証明の結論となることはできず、x自体は時空のある1点にすでの与えられているのでなければならない。神がそのような感覚の対象として与えられるものではないことは明白である。それにもかかわわず、多くの哲学者がその存在を「証明」しようと試みたのは、彼らの多くが「存在は性質ではない」ということを見落としていたためである━━。

カントはこのように、神の存在の有無をめぐる一切の知性的な議論や論証というものを廃棄すべきである、と宣言します。これは、われわれの理論理性(実践にかかわる「実践理性」と対比される「純粋理性」)の探究を厳密に科学的探究にかぎるということ、つまり、神の存在のような形而上学的な問題は、科学の領域に関与することはありえない、ということを意味しているのです。

最後に、時空をわれわれの感覚的対象経験の形式的条件とするこの議論によれば、空間全体が無限であるか、それとも有限であるかという、パスカルらが非常に神経をとがらせた問いも、神の存在と同じように無意味な、原理的に答えのない問いにならざるを得ないということが、理解できるでしょう。

以上の彼の議論は、『純粋理性批判』に展開されたものですが、そこでいう「批判」という言葉には、あるものの能力や権利の正当性の範囲をきちんと確定するという、法律上の意味がこめられています。ニュートン力学の正当性を明確に論証し、あわせてそれに付随しがちな不当な形而上学的思弁を一掃するということ、これが「批判」の主要なテーマだったのです。

第5講 レヴォリューション━━回転か革命か

世界観の転換

前回の講義で私たちは、カントの『純粋理性批判』の一番基本にある、時空をめぐる考えを概観してみたのですが、正確にいえばこの理論には、もう1つ重要な議論の柱があります。それは、時空というわれわれの対象受容の形式によって捉えられた諸対象が、どのようにして1つの命題という判断の形式にもたらされるのか、という問題です。われわれはxやyなどの対象を感覚を通じて認知するばかりではなく、さらに、たとえば「xはyの原因である」とか「xはyという性質をもつ」のような、1つの判断を行います。このことは、どのようにして可能になるのか━━。

これにたいするカントの答えは、人間には「原因・結果」や「実体・属性」のような判断の形式(カテゴリー)が「先天的に」そなわっていて、それを通じてのみ1つの十全な「経験」を成立させることができる、というものです。つまり、われわれの経験の成立は、時空という感覚的受容の形式と、カテゴリーという判断の形式の2重の作用が加わって、はじめて可能になるというのです。

さて、このようなカントの理論を文字どおりにとると、私たちの自然認識はそれ自体としては客観性を主張できるものではあるが、同時にそれが私たちの認識の形式に全面的に依拠したものであるという意味では、一種の「観念性」をもったものだということになるはずです。いいかえれば、私たちの認識は、「物それ自体」を直接把握したものではなくて、人間の認識の条件に相対的にのみ立ち現れてくるものをとらえたものである、というわけです。

カントは自説のこのような性格をそっくり認めて、それを「超越論的観念論」と呼んでいます(「超越論的観念論」という言葉にはいかにも難解な、哲学的な響きがありますが、ここでは、「人間と世界との認識関係を、その関係の外側から考察する立場に立ってみると」というような意味で使われています)。そして、このような人間の科学的認識の観念性を認めて、われわれの経験の対象そのものが現象に過ぎないものであることを自覚することこそ、「コペルニクス的な」世界観の転換を意味するものだというのです。

時空やカテゴリーは固定的か

『純粋理性批判』のなかには一方で、・・・それが、「われわれにとっての客観性」という新しい思想の危ういバランスを崩す方向に作用していることも、否定できません。それは、時空やカテゴリーの具体的なありかたを、カントが非常に固定した、不変なものと考えていて、その永遠不変性のゆえにこそ、人間の認識は客観性を確保できるのである、という議論を展開している側面です。

カントがなぜこれらを固定的なものと考えたのか、その理由を詳しく説明しようとすると、人間の知覚のメカニズムや、論理学や幾何学の根本的な原理にまでさかのぼって考えなければならなくなるのですが、ここでは彼がユークリッドの幾何学やアリストテレスの倫理学を唯一の体系とみなしていて、科学的な知識の構成のための形式的な条件は、これらと結びついた時空形式やカテゴリー以外にはありえないと考えていた、ということだけを指摘しておきたいと思います。

ところで、その理由がなんであれ、人間の認識を可能にする形式上の条件が固定した、確定的なものであるということを強調すると、われわれの知識の成果は人間の認識のそうした特殊なありかたに照らしてのみ妥当なものであり、したがって「主観的なもの」であるという性格が、どうしても前面に出てくることになります。その結果は、知識の「前進」や「革命」の可能性は後ろに退いて、ただ同じところを機械的に回転している認識能力の作用だけが浮き彫りにされることになりかねません。いわば、人間はニュートン力学という世界像を構築するように定められており、その固定的なパラダイムの枠内で、さまざまな個別的な研究にはげむべきであるということになります。こうして超越論的観念論という思想は、人間の認識の条件の制約を謙虚に認めるべきであるという主張から、この条件がひととおりしかありえないとう独断にまで拡張されたとき、その本来の柔軟な科学観を、硬直したものに変質させてしまった面があるのではないかと思われるのです。

第6講 決定論の崩壊

ラプラスの魔

ニュートン力学の威力は、19世紀の前半までは、衰えるどころかますます強力なものと認められるようになりました。それは、ニュートンやライプニッツの微積分法が「解析学」として完成し、ラグランジュ、ルジャンドル、ラプラス(3人のL)によってさらに精密な数学的物理学の地位を確立することができたからです。

このようなニュートン力学の万能な力は、ラプラスびいわゆる「魔」(ダイモーン)のたとえによく表されています。ナポレオンの時代を代表するフランスの天才科学者ラプラスは、ある絶大な知性をもち合わせた者がいれば、その者は自然法則と初期条件の知識とによって、全宇宙の全時間を通じた全状態を特定できるであろう、と予想しています。

「偶然」の時代

そして、・・・19世紀末になると、多くの思想家が「偶然」や「非決定性」をさまざまな角度から論じる姿が見うけられます。この時代の哲学者、文学者などで、偶然について思索した哲学上もっとも重要な思想家としては、ニーチェとパースの名前が挙げられます。

たとえば、ニーチェはツァラトゥストラの口を借りて、「私は「すべての事物のうえには、偶然という空、無邪気という空、無計画という空、放恣という空がかかっている」、と教えるが、これは1つの祝福であって、けっして冒涜ではない。「無計画に」━━これは世界でもっとも由緒の正しい貴族性なのである。私はこれをすべての事物に取り戻してやったのだ」、と述べています。(『ツァラトゥストラかく語りき』、第3部4節「日の出まえに」)。

また、アメリカの哲学者パースは、当時としてはもっとも進んだ数学的・論理学的観点から独自の「宇宙生成論哲学」を構想し、この進化論的宇宙論のもとで、世界には基礎的要素としての「偶然」があまねく作用していると述べています。

「決定論」という概念

したがって、この19世紀の数十年のあいだに自然世界についての「決定論」(determinism) は、その興隆と崩壊とをあわただしく経験したということになります。この交代劇は実際にかなり劇的なものであったようです。というのも、右に挙げたラプラスの絶大な「知性」を初めて「ダイモーン」と呼んだのは、ドイツの生理学者デュ・ボア・レーモンの「自然認識の限界について」という講演なのですが、この講演は1872年に行われたものです。ニーチェやパースの偶然論の主張はその数十年後ぐらいのものですから、いわば、ラプラス的な決定論的世界像の浸透の認識が、同時にそれへの反発を生みだして、それを崩壊へと導いたとさえ感じられます。

決定論の興隆と崩壊

さて、それでは具体的には、決定論はどのようにしてその興隆と崩壊とをほぼ同時に迎えるという、奇妙なドラマを演じたのでしょうか。このとこを正確に理解することは、かなり難しいことです。

ここでは、ごく簡単に、このドラマの1つのスケッチを試みることにしましょう。まず、最初に述べた、ニュートン力学の威力の拡大ということがあります。ラグランジュやラプラスによって確立された、微分方程式の展開による物体の正確な運動予測という方法は、さまざまな分野で応用されたわけですが、それが太陽系の惑星の運行に適用されると、かえっていくつかの観測データとの微妙な食い違いを浮き彫りにして、そこから既知の6つの惑星の外にある別の惑星の存在を予知させる、という結果をもたらしました。海王星や天王星の発見はこのような力学上の予測にもとづいて可能になったのですが、このことは、既知の宇宙像にたいする大きな揺さぶりを意味していたと思われます。

そのうえに、19世紀のなかばに発達した、熱、磁気、電気、化学変化についての諸科学が、力学を中心とした自然科学のありかたを一変させ、「質量」にかわる「エネルギー」という新しい基礎概念を登場させました。この概念によっても、「エネルギー恒存の法則」に見られるように、決定論的了解はさらに強化されたわけですが、一方で熱力学の第2法則、つまり、エントロピー増大の法則が唱えられると、「宇宙の熱的死」という考えが現れてきます。これは、ニュートン力学が暗黙に前提している、自然現象の「可逆性」というものを廃棄することを意味しています。こうして、ニュートン力学的方法の成功と拡張とは、それを宇宙論的に捉えるかぎり、かえって空間的にも時間的にも、不安定な要素をもたらすという様相を帯びてくるわけです。

一方、ラプラスが「宇宙のうちなるもっとも大きな物体の運動も、もっとも軽い原子の運動をも包摂」できるであろうと豪語した「同一の方程式」は、実際にはミクロのレベルでは通用できないことが、熱現象を多数の分子の運動エネルギーによって説明しようとするような、気体の分子運動論において次第にはっきりしてきました。このことはとくに、マクスウェルの『熱理論』(1871年)に代表的に見られるものですが、彼はそこで、複数の分子の運動速度の平均値が統計的に標準的な分布を形成し、それによって非常に多数の分子からなる系全体の物理的作用を特定できる、という議論を展開しています。これは1つの運動系に厳密に妥当するような意味での決定論ではなく、「統計的決定論」という、より緩やかな決定論を認めるということです。

第7講 ビッグバンの方へ

ビッグバン宇宙論の誕生

ビッグバン宇宙論が20世紀の50年前後にジョージ・ガモフらによってはじめて唱えられたとき、その理論の根拠となった基本的な考えは、宇宙の始まりのきわめて早い時期には、宇宙全体が高温高密度で、原子核どうしが激しくぶつかりあい、陽子や中性子などがばらばらになっていただろう、というものです。このような考えが具体的に描かれるためには、物質を構成する究極的な粒子についての理論が基本的に完成していなければならなかったわけですが、それは、プランクに始まる20世紀の量子力学あるいは素粒子論の発展によって可能になりました。一方、このような宇宙の進化的理解が可能となるためには、そもそも宇宙には始まりも終わりもないのではないか、というそれまでの暗黙の大前提(いわゆる「定常宇宙論」)が否定されなければならなかったわけですが、この点については、一般相対性理論によって、宇宙空間の膨張率ということが有意味に問われるようになり、さらにハッブルの星雲間の距離の拡大にかんする仮説が観測によって検証された結果、宇宙が空間的に拡がりをもたなかった時点が、すなわち宇宙の始まりである、という明確な議論がなされるようになったのです。

相対性理論については、ニュートン以来の空間・時間概念と電磁気現象、ことに光の伝播という現象をどのように結びつけるのかという問題から始まって(特殊相対性理論)、そこで考案された「時空」という一体化された世界と重力との結びつきにまで議論が深化して(一般相対性理論)、曲率をもった時空そのものが発展変化するところまで、われわれの世界像は進展しました。

そして一方の量子論においては、電子の理論を出発点にして、電子の構造から、さらに原子核内部の構成要素の特定へと、ミクロの世界の力学的探究が深められると同時に、その分析の道具立てとして、「量子的飛躍」という理論草創期の驚くべき概念が生まれたばかりでなく、さらにそれに追いうちをかけるようにして、「不確定性定理」「相補性」あるいは「観測における波動の収束」、ひいては「場の量子論」や「反粒子」など、これまでの自然哲学の基本的カテゴリーからは到底思いもつかない、きわめてアクロバティックな概念や原理が、矢つぎばやに導入されることになりました。

しかも、これら2つの根本理論のあいだには、誕生から100年以上たった現在でもいまだに十分な理論的統合がなされていない、という非常に厄介な問題があります。この問題は、20世紀の前半には、たとえばアインシュタインによる量子論の確率的性格にたいする疑念というかたちであからさまに表現されたわけですが、それがアインシュタイン自身の一定の了解を得た後に相当の年月をへた現代においても、自然世界を構成する4つの基本的力の作用をどう統一的に分析するか、とうい究極的な問題や、ビッグバン以前の本当の意味での宇宙の始まりについて、これらの2つの理論をどのように結びつけて利用すべきなのかという問題など、さまざまにかたちを変えて今日にまでもちこされています。ビッグバン宇宙論がいまだ1つのフィクションであると思われるというのは、その十全な完成の前にこうした数多くの難問が執拗に立ちはだかっているということに他なりません。

カント哲学の積極面と消極面

もう一度、私たちが前回まで考察してきた近代哲学の歩みを振りかえって、その粗筋を要約してみますと、それはだいたい次のようなことになります━━。

近代の自然探究的探究は、単に太陽系その他の天体の運動にかんする、よりよい説明原理を求めたというばかりではなく、そうした説明の可能性の根拠や限界についての鋭い問題意識というものをともなっていた。こうした問題意識は、当初は宇宙の創造者と目されていた神の計画をいかにしてわれわれが明らかにするか、あるいはそうした計画を自然のうちに見出すことができないとしたら、われわれはいかに生きるべきなのか、というかたちで問われていた。しかし、実際にニュートン力学が完成してみると、問題なのは神と世界との関係ではなくて、むしろ世界と人間の認識能力との関係であるということが、たとえば空間・時間の存在論上の位置などをめぐって明らかになった。

カントの哲学は、このような問題意識の系譜の最後にあって、人間の世界認識がわれわれの思考の形式に全面的に依拠しているがゆえに、われわれの認識は「観念的なもの」であることを認めると同時に、神の存在の如何(いかん)や、宇宙全体の有限・無限の区別は原理的に論証不可能であるという帰結を承認した。そのために彼が用いた議論は、人間の対象受容の能力や因果的な判断の能力の形式的基盤(時空という直観形式とさまざまなカテゴリー)を、ユークリッドの幾何学やアリストテレスの論理学の絶対性に結びつけて理解する、というものであった━━。

さて、このような近代哲学の代表としてのカント哲学の結論には、ビッグバン宇宙論の構築を目指す今日のわれわれの目からみると、明らかに誤っていたと認めざるをえない面があります。とくに、彼が、宇宙全体の空間的・時間的なスケールについての議論は必然的に矛盾(彼の言葉でいう「アンチノミー」)にまきこまれるとした点は、いまや完全に否定されていいるといってよいでしょう。そして、こうした誤りが、彼が根本的に疑うことのなかったわれわれの感覚形式や判断形式の、あまりにも硬直した見方にそのおもだった原因をもつことも明らかです。

そしてもう1つつけくわえますと、この認識論では、感覚的知覚と知性的な判断の役割というものが、画然と分けられていたという点にも、限界があったと思われます。今日のわれわれの観察や実験のありかたを見れば、さまざまな実験的経験そのものの過程に、理論的知識を応用した対象世界の構成と測定や観察の方法が本質的に関与していることが歴然としています。この、知的経験と理論的知識との本質的協働という可能性を見落として、対象知覚というものをすべて直接的な個人的感覚作用に限定したところには、純粋精神としての神に対比された、精神とともに身体をもつ人間の二元性という思想が、カントにおいても彼以前の他の哲学者同様に根深く残っていたという印象がぬぐえません。カントの認識論の図式では、私たちは時空という形式のもので現れる対象を受け取り、その性質や運動について知性的に判断するということになっています。しかし、私たちの認識はこうした一方向的なものではなく、理論的知見を負荷された実験や技術のもので、対象そのものをさまざまに追い詰めてゆくダイナミックな作業でもあるはずです。

批判と構築

私たちは今や、全知の神やダイモーンの威光にストレートに頼ることなく、みずからの力で宇宙のビッグバン時代や、さらにそれ以前に想定される「ゼロ時間」、あるいは「虚数時間」の方へと向かっています。そしてこの探究のさなかで、新たな宇宙的感性を培い、「宇宙船地球号」の運命を捉えなおそうとしています。しかしその過程はつねにまた、これまでの長い批判的思索の歴史を通じて乗り越えてきたはずの数々の幻想へと、知らず知らずのうちに舞い戻ってしまう危険が━━たとえば、「万能な思考機械」への盲信などというかたちで━━つきまとっていることにも、注意を怠ることはできないでしょう。おそらく、そうした根深い夢想への誘惑に抗して、厳しい批判と積極的理論構想という2重の思想的課題に、どこまで厳しく挑戦してゆくことができるかということが、これからの私たちの哲学的な探究の価値を決めることになるのだと思います。

補講1 有限説と無限説

宇宙の歴史は無限か有限か

宇宙を貫く時間の流れは、無限の過去から始まって無限の未来へと続く永遠のものなのか。それとも、有限の過去のある時点から始まった、あるいは有限の未来において終結するような、有限のものなのか━━。

宇宙の寿命の無限ー有限をめぐるこの問いは、人間の思弁的な問いのなかでももっとも古くからある代表的なものとして、あらゆる神話、宗教、哲学において問題になった問いであると言ってよいでしょう。

ユダヤ━キリスト教とギリシア思想の対立?(古代~中世)

さて、思想史のなかでこの問いをめぐる対立としてすぐに思いつくのは、神による「無からの創造」を根拠に基本的に世界の永遠性を否定するユダヤーキリスト教思想と、さまざまな円環的時間や永遠の時間説を謳うギリシア思想との対立です。

しかし、これらの思想においても、その時間論が厳密な意味で有限説であったのか、あるいは無限説であったのかは、正確にはにわかには決定しがたい面があります。というのも、一見明確であるように思われる『旧約聖書』「創世記」の記述でも、よく読むと両義的な書きかたがしてあります。またギリシアにおいては、多くの哲学者の意見を調べてみると、原子論者、プラトン、アリストテレス、ストア派など、それぞれの立場によってかなり多様な考えが入り乱れていることが分かります。

ここでは思いきって非常に単純化したいいかたをしますと、プラトンは時間というものが根本的に天体の回転運動と結びついたものであると考えたので、時間そのものを一種の円環運動として考えた。これに対してアリストテレスは、時間とは「運動の数」であるとして、「物の変化を計る尺度」と考えた。そして彼はそれが尺度であるので無限の線のようなもので表されると考えた。つまり、プラトンは時間の観点からいってある種の有限宇宙を考えたが、アリストテレスは無限的宇宙を考えたということになります。・・・そして、プロティノスやプロクロスなどのいわゆる「新プラトン主義」に立つ思想家たちは、プラトンの思想を最大限に重視し継承したのだが、こと時間の問題にかんしては、むしろアリストテレスにしたがって、無限の直線のようなものに考えていた、とされています。

ところで、この新プラトン主義の無限時間にかんして異議を唱えて、「創世記」の時間の考えを擁護しようとしたことから、いわゆるキリスト教やイスラム教の哲学者の有限時間説が本格的に説かれるようになり、「無からの創造」という神学的なテーゼが強くいわれるようになりました。

それは、ふつうの哲学史の教科書にもあまり書かれていないので、耳なれない話なのですが、6世紀のアレクサンドリアの科学者兼キリスト教思想家に、ヨハネス・フィロポノスという人がいて、世界が無限の過去をもつことは不可能であるといった、という思想史のエピソードです。彼が新プラトン主義者の無限論に反対した理由は、「世界の過去が無限の長さをもつとすると、現在までの間に無限の瞬間が続いたということになるが、それは不可能である」というものでありました。

このフィロポノスの思想を継承した者としては、アラビアの思想家で、9世紀のル・キンディや11世紀のアル・ガザーリが代表的な者であるといわれています。そして、中世ヨーロッパの思想は、アラビア経由でギリシア哲学が流入してきたとき、その最盛期を迎えることになるので、結果として中世のキリスト教哲学では、このアラビア思想経由のアリストテレス━新プラトン説が採用されたり、されなかったりという、かなり混乱した事態が生じます。

たとえば、スコラ哲学最大の思想家トマス・アキナスは随所で宇宙の時間的有限説を批判して、アリストテレスの無限説を採るべきだといっている。トマスにいわせると、「世界が永遠に存在していたわけではないというのは、信仰にもとづいてのみいえることで、理性によって証明できることではない」としている。

反対にもう1人の中世哲学の代表者アウグスティヌスは、その思想形成における新プラトン主義の強い影響にもかかわらず、この問題については有限説を採用しました。

このように、古代ギリシャからスコラ哲学の時代までの西洋の思想をざっと見渡たしただけでも、ユダヤ、ギリシア以来のヨーロッパの思想においては、宇宙の時間的有限説、無限説が入り乱れて、はっきりとした定説はないということになります。

世界の永遠説(17~18世紀)

ところがこの事情が一変したのが、17世紀からのヨーロッパです。講義では、この17世紀の哲学を西洋の近代哲学の出発点に位置づけたうえで、代表的な思想家としてケプラーやデカルト、パスカルらの思想について触れました。これらの思想家は、講義のところで考察したように、宇宙の問題としては主として「空間」のことを論じていて、宇宙の「時間」の問題についてはまだほとんど言及していませんでした。

これにたいして、これらの思想家に後続する17世紀から18世紀にかけての思想家を見ると、フランスのガッサンディやイギリスのバロウ、ニュートンらのように、宇宙の年齢ということを論じつつはっきりと世界の永遠説を打ち出している人たちが目立ちます。

この時代の哲学者が宇宙の時間を無限と考えた基本的な理由は2つあって、1つは世界が神の創造によるとすれば、その被創造物が有限であるはずがない、ということであり、もう1つは、世界が幾何学的な対象として表現できるならば、世界には限界がないはずである、ということです。

カントによる調停(18~19世紀)

講義のなかで述べたように、カントは、時間が世界のなかにある諸対象の存在や性質に依存しない絶対的なものであるとして、ニュートンの考えに同意する一方で、時間は人間の精神に依存した観念的、主観的なものだとして、ライプニッツの考えも活用しました。彼はこうした調停の結果として、時間はわれわれが世界を感覚的に捉えるときの形式であり、われわれの認識はこの形式によって構成されるかぎりで、「超越論的に観念論的なもの」であるということを結論しました。

しかし、この超越的観念論は、時間の絶対・相対という区別を調停することから直接に導かれたというよりも、むしろ正確にいうと、「時間の有限・無限の問題はどこまでいっても解決不可能で、どちらともいえない問題であり、必ずアンチノミーに巻き込まれてしまう」という議論の方から導かれたのです。アンチノミーとは二律背反ということで、2つの主張が矛盾しあってどちらも成立しないということです。ニュートンは少なくとも表面的には絶対時間が無限であることを認めていました。ところがカントはそれが成立しないと考えました。それはなぜなのか、また、なぜそれが超越的観念論と関係しているのか━━。

これについては、次の講義でアンチノミーの議論の中身を紹介し、その妥当性について検討するときに少し触れますので、ここではとりあえず省略します。ただ、ニュートンの100年後にカントのこのアンチノミーの議論が出されて、これが哲学的に決定的な解答であるということが広く認められるようになった。つまり、宇宙の時間が無限か有限かということについては、「解答不可能」という驚くべき解答が出されてそれが正しいということになり、この問題はひとまず決着を見た、ということをここでは押さえておくことにします━━。

以上が古代の考えから近代哲学までの宇宙の寿命についての思想の、入り組んだ変転ということになります。そして、カントの時代以降では、彼のこの決着を決定的なものと認めて、このテーマについては直接には論じないようにするか、あるいは漠然とニュートンの世界像を想定して、世界は無限の過去から続いて無限の未来へとつながっているだろう、というふうに長いこと考えられてきて、それがほとんど哲学の定説であったのです。

宇宙の起源の特定(20世紀)

ところが、ある意味でかなり厄介なことに、カントによって決定的な決着がもたらされたと200年近くにわたって信じられてきたこの問題が、20世紀の物理的宇宙論の発展によって突然もう一度、非常に大きな変化をこうむることになりました。それはいうまでもなく、ビックバン(火の玉)宇宙開闢説の展開によって、宇宙の起源が約140億年前の出来事として特定され、少なくとも宇宙はその過去にかんしては有限であるということが明らかにされたということです。・・・経験的に確立されていた宇宙の膨張説や、その後に検証された宇宙背景輻射の観測によって、現在ではほとんど疑うことのない事実であるとされています。

しかし、宇宙が始まりをもつとすれば、カントにいうようなアンチノミーはもちろん成立しないということになる。アンチノミーによれば、宇宙の歴史は無限でもなければ有限でもないはずです。ところが、こうした曖昧なことはもはやなくなってしまった。これがつまり、カントの立場が「誤り」であったということで、そこから近代哲学を学ぶことの意義が改めて鋭く問われることになるだろう、というこの補講の最初の問題意識が出てくるわけです。

宇宙についての哲学的反省はどこへ向かうべきか

さて、ビッグバン宇宙論の確立というこの決定的な事実によって、少なくともカントが提出した純粋にアプリオリな哲学的議論による宇宙の時間をめぐる問題の解決は、そのままのかたちで退けられることになりました。しかし、それならば、宇宙の寿命をめぐるこの問いは、現在ではすでに完全に解決済みの、きちんと定説となった答えをもつ問題になったのだろうか。これはもはや御用済みの問題として、まったく顧みる必要のないテーマなのでしょうか。

そういうふうに聞かれれば、多くの人は「たしかに一見そう思えるが、よく考えてみると必ずしもそうとはいいきれないような気もする」、と答えるのではないでしょうか。というのも、たとえビッグバンによる「この宇宙の」誕生が特定の過去の時点の出来事として認められるとしても、私たちには依然として、この宇宙以前にも宇宙の誕生と消滅の連鎖が永遠に続いていて、宇宙全体の時間は結局無限なのではないか、とか、宇宙の誕生「以前」という概念は意味があるのかどうか、といった、哲学的な問いを立てたくなる気持ちが残っているような感じがします。しかも、こうした問いを立てることは実際に今なお可能であり、これらは決して純粋にアプリオリな思弁による空論であるとか、もはや科学的な見地からすればほとんど意味のないたわごとであるとして、退けられる必要はないと考えられるからです。

今日では、宇宙の始まりにかんする私たちの一般的な理解は、特に量子力学に特有な「虚数時間」という概念を巧みに使った、ホーキングらの議論などによってぼんやりとしたかたちであれ、一定の共通のアイデアとして徐々に定着しつつあります。しかし、宇宙の「創造」のメカニズムの解明にも等しいこの主題は、相対性理論と量子論の関係というきわめて困難な問題を巻き込んでいるために、冷静にいえばいまだに完全な解決を見たというのにはほど遠い状況にあります。

この問題はそれ自体が非常に複雑な問題です。しかし、ここではロックやカントなどの西洋近代の哲学者が考えた哲学の使命をもう一度思い出すことで、一定の見通しを得るのが賢明であろうと思います。その哲学の使命とは、科学のいわば下働きとして、科学の思考法や原理の基礎について丹念に反省してみるということです。

ここで問題にしている宇宙論的な問題について、そうした反省はどういう方向で進むべきでしょうか。それは恐らく、哲学の分野では長い年月を通じて定説とされていたカントのアンチノミーについてもう一度整理しなおしてみて、今日の観点からみてそれがどの程度まで意味のある主張なのか、どこにその議論の問題点があったのかを指摘してみる、ということだと思います。そのうえで、できるならば、その改良版の議論を提示するというところまでいければ、哲学と科学の協働という本来の作業を遂行することができるようになるかもしれません。

補講2 カントのアンチノミー

アンチノミーが暴くもの

ここから、少しカントのアンチノミーについて細かく見ていくことにします。

アンチノミーというのは二律背反とか、自己矛盾ということで、漢文で出てくる「矛と盾」の話と同じだと考えていただいても結構です。要するに2つの主張があって、2つは互いにまったく正反対のことをいっているにもかかわらず、どちらの主張も正当なものなので、結局2つとも誤りとする他はない、という困った事態のことです。

カントはわれわれが理性を思いきり羽ばたかせようとすると、必ずこうした二律背反に陥ってしまう、それはわれわれ理性の避けられない運命のようなものだ、といいます。彼はこの議論を『純粋理性批判』の「超越論的弁証論」という箇所で提示しているのですが、そこには4種類のアンチノミーが掲げられています。それぞれのアンチノミーは2つの主張からなる1組なので、4組の根本的に対立する主張があるといってもよいでしょう。(「超越論的弁証論」という言葉は前に出てきた「超越論的観念論」同様に、カントならではの厳めしい表現ですが、今度の場合の「超越論的」というのは「カントが目指す認識批判の観点から見た」というぐらいの意味で、「弁証論」というのは「理性のさまざまな詭弁を暴く議論」ということです)。

アンチノミーになってしまうといわれている4組の主張は、次のようなものです。
「世界は時間的、空間的に有限である/世界は無限である」
「世界はすべて単純な要素から構成されている/世界には単純な構成要素はない」
「世界のなかには自由が働く余地がある/世界に自由はなくすべてが必然である」
「世界の原因の系列を辿ると絶対的な必然者に至る/系列のすべては偶然の産物で、世界には絶対的必然者は存在しない」

私たちがこの補講で問題にしているのは、いうまでもなくこのうちの第1のアンチノミーのことです(それも時間の問題に限って論じていて、空間のことはとりあえず無視しています)。

第1アンチノミーの議論

まず、テーゼは「世界は時間的に有限である」といっている(繰り返しますが、ここでは空間の方は無視して議論を進めます)。他方、アンチテーゼは「世界は時間的に無限である」といっている。

テーゼの証明は、・・・「世界の時間が無限であるということを仮定すると、それは不条理だということが分かる」、だから時間は有限である、という議論です。

また、アンチテーゼの証明は、反対に、「世界の時間が有限であるということを仮定すると、それは不条理だということが分かる」、だから時間は無限である、という議論です。

そして、なぜ「無限の時間は不条理か」、また、なぜ「有限の時間は不条理か」ということについて、カントは次のように答えています(『純粋理性批判』中、篠田英雄訳、岩波文庫、1961年)。

(テーゼの証明)かりに世界は時間的な始まりをもたないと想定してみよう。そうすると与えられたどんな時点をとってみても、それまでに無窮の時間が経過している、したがってまた世界における物の相続継起する状態の無限の系列が過ぎ去ったことになる。しかし系列の無限ということは、継時的総合によっては決して完結されえないことを意味する。ゆえに過ぎ去った無限の世界系列は不可能であり、したがってまた世界の始まりは、世界の現実的存在の必然的条件であるこいうことになる。

(アンチテーゼの証明)世界が時間的に始まりをもつと仮定してみよう。始まりというのは、現実的存在のことである、すると物の存在していない時間がそれよりも前にあるわけだから、世界が存在していなかった時間、換言すれば空虚な時間がその前にあったにちがいない。しかし空虚な時間においては、およそ物の生起は不可能である、かかる空虚な時間のどんな部分も、非存在のかわりに物を新たに生ぜしめる条件を含んでいるという意味で、他の部分から区別されるようなものをもたないからである。ゆえに世界においては、なるほど物の多くの系列が始まりうるにせよ、しかし世界そのものは始まりをもたないし、したがってまた過ぎ去った時間についていえば、世界は時間的に無限である。

まず、カントによるテーゼの証明の要点はこうです。宇宙の過去が無限に遡ることのできるものであるとすると、現在までに時間というものは無限の継起を経てきて、現在において完結しているとうことになる。しかし、無限なものの継起というのは、たとえば数の系列の例からも明らかなように、その本質からして、どこまでいっても完結しないということを特徴としている。したがって、無限に続いている継起が現在において完結しているという考えは、まったく不条理である。

他方、カントによるアンチテーゼの証明の要点はこうです。宇宙が有限の時点で始まったとすると、その宇宙の「始まり」以前には、何もない「空虚な時間」だけが流れていたことになる。そして、この空虚な時間のどこかの時点が、宇宙を生み出したことになる。しかし、空虚な時間というのは、その本質からして、どの時点にも特別の性質が属さないのっぺらぼうの時間であるということを本性としている。したがって、その継起のどこかの時点に宇宙を生み出す特別の性質が宿るというのは、まったく不条理である。

この議論は、それまでの哲学史上の宇宙の有限・無限をめぐる長い論争に終止符を打つことになった議論ですから、きわめて強力な議論であることは間違いがありません。一見そっけない議論ではありますが、少し考えただけでも、非常によく考え抜かれた議論でできていて、鮮やかな切れ味をもった証明であることがお分かりいただけると思います。

疑問と謎

とはいえ、いうまでもなくこのような鮮やかな論証であっても、そこにはいろいろな理論的前提があらかじめ想定されていることは事実ですし、この論証の説得力もそうした想定を認めるという条件つきで初めて獲得されるのだ、ということも確かです。

もう一度証明をじっくり見てみると、カントはアンチテーゼの証明の方で、「世界や物が存在しなくても、空虚な時間は存在していた」という意味のことを書いています。カントにとっては、アンチテーゼの問題は、この空虚な時間のなかに物が現れるのは、空虚な時間のなかにも特異な点を認めることになるので不条理だ、というわけですが、これはいわば「虚無はどこにも区別がつけられない」、「無はいかなる性質ももつことができない」、ということを理由にした論駁ということになる。この理由はまことにもっともですが、しかし、そもそも虚無の時間であれ何であれ、世界の存在に先立って絶対時間が無限の過去から存在しているということをあらかじめ認めているのなら、時間にかんする有限・無限の問題そのものは始めからない、ということになる。物がなくても時間があるなら、その時間が無限の時点の継起からなっていてもかわない、ということになるはずです。

これにたいして、もう一方の、テーゼの証明の方を見ると、そこでは、現在の時点までに無限の時間が続いていたとすると、無限の瞬間の連鎖が現在の時点で完結したことになるが、これは不条理だ、といわれている。このことはなるほどもっともなようですが、よく考えるとこの議論は無限な時間が不可能だということとはまったく別の論理です。テーゼの証明がいっていることは、無限系列の完結は考えられないということだけで、無限な時間という観念に矛盾があるということではない。そしてこれだけでも、テーゼとアンチテーゼはストレートに矛盾しあったり、二律背反にはなっていないということになります。というのも、これらの議論を合わせて浮かび上がる困難は、時間は無限に流れているのだが、その流れが現在の時点に完結するという事態は理解不可能である、ということだからです。こうして宇宙の過去をめぐる謎と思われた困難は、「現在の時点」についての謎に帰着してしまうことになるのです。

しかも、さらに面倒なことに、この謎も本当の謎であるかどうかは大いに疑問です。というのも、そもそも時間の流れや無限に続いているように見える「時点の継起」は、この現在において本当に「完結」しているのでしょうか。一見したところ、たしかに現在は時点の継起をストップさせますが、実際にはこの現在というものがそれ自体流れていて、決して完結しているわけではない。しかし、現在もまた1つの時点にすぎず、終点であるわけではないとすれば、ここには何の問題もないことになります。たとえばここで観点を変えて、これから未来へと向かう時間の永遠の継続ということを想定してみるならば、ニュートン的絶対時間の無限性には何の問題もなくなってしまう。

つまり、議論のコアは、現在という時間が無限の系列の完結にように思われるとき、そこには深刻な謎があるということであって、決して無限な時間が不可能だということにはなっていない。そうであるとすると、カントの議論は結局のところ時間の無限性にまつわるさまざまな概念上の整理がついていないことを利用して、アンチノミーのようなものを作り出しているのであって、彼が確信しているほどには独断的理性の自己矛盾を暴き出すことに成功していない、ということもできると思います。

もちろん、こういういいかたが、あたかもカントが意図的に詭弁を弄したかのように取られるとしたら、それは彼にたいしてまったく不親切です。というのも、ここでカントが直面しているのは、まさしく「アキレスと亀」で代表されるゼノンのパラドックスそのものなのですから、それが深刻な問題ではないどころではない。ただ、問題は理性の二律背反ではなく、「連続的な無限数列」をめぐる謎そのものだ、ということです。

アキレスと亀のパラドックスについては、・・・。亀とアキレスが徒競走をする。ただし、亀の方が少しだけ先に出発するとする。そうすると、どの時点をとってもアキレスが通過する地点は、亀がそれ以前にすでに通過してしまっているので、アキレスは決して亀に追いつくことができない。いいかえると、アキレスは亀と並ぶ地点にまで決してたどり着かない、無限の過去からの時間の流れが決して現在にまで届くことができない、という先に見たテーゼの議論が、この議論のヴァリエーションであることは明らかです。

ゼノンのパラドックスから19世紀の数学・論理学へ

さて、このゼノンのパラドックスにかんして、なんとか数学的にすっきりとした解法がないのか、そして「無限の要素の連鎖からなる集合」というものを「実無限」として扱うことはできないものか(アキレスが無限の地点の連鎖を通過できる、と考えられないものか)という問題意識が、19世紀の数学者や論理学者の大きな研究テーマとなりました。そしてそこから現代に通じる形式的論理学というものができてきた、ということはよく知られていると思います。

この補講では次の最後の回で、・・・前の講義の6回目「決定論の崩壊」で登場したパースの理論を概観して、カント以後の宇宙論的洞察の例を、1つのモデルとして見るということにしたいと思います。アメリカのパースはドイツのフレーゲと並ぶ新しい論理学の創始者であると同時に、カントの問題意識を引き継いで、集合論的論理学や連続性の理論を使ってカントの直面しているディレンマを乗り越えようとした哲学者です。彼はまた、その宇宙論的ヴィジョンによって時間の始まりというような謎めいた問題について考えようとした思想家の1人といえます。

パースのこの宇宙論は19世紀の末に生まれたものですから、当然のことながら現代の物理学のような洗練さをもっていません。しかし不思議なことに、それは基本的には今日的な宇宙論と同じ構造をもっていて、その意味で、カントの哲学と時代の自然像とを橋渡しする役目を担うことができると思われます。そのうえパースは無限の問題ということを単に形式的に分析するだけではなく、それをわれわれの直接の経験の次元で解説しようという、一種の現象学的な関心も示していました。そういう意味で彼の哲学は、「宇宙のなかでのわれわれの位置」を哲学的に考えてみよう、という私たちの関心に直結する面をもっていると考えられるのです。

補講3 パースの宇宙論

進化論的宇宙論━━カオスからコスモスへ

チャールズ・パースはすでに紹介しましたように、主として19世紀後半において、アメリカのみならずヨーロッパでも知られた科学者、論理学者、哲学者です。

パースはカントの哲学を徹底的に研究したうえで、カントが洞察することのできなかった新しい論理学や数学の地平を開拓し、結果的にカントを乗り越えるような形而上学の可能性に思いいたるようになりました。彼は自分のことを新時代のライプニッツであると自負していましたが、その理論の真価は親友のウィリアム・ジェイムズなどごく少数の例外を除いてまったく理解されることがありませんでした。しかしながら、現在では彼が本当に意味で革命的な、現代の哲学の進路を先導する思想家であったことは、広く認められるよになっています。ここで取り上げようとする彼の理論は、1890年代に彼がいろいろなかたちで発表した、いわゆる進化論的な宇宙論です(彼はそれを「数学的形而上学」と呼んでいました)。

進化論的宇宙論とは、宇宙には始めの状態があり、そこから発展する論理があり、現在の宇宙の大局的な構造がこの発展の結果としてある、と考えるような、時間的発展の軸にしたがって宇宙を説明する理論モデルのことです。ビッグバン宇宙論は、いうまでもなくこの進化論的宇宙論の一形態であり、宇宙の始まりについてバラバラな素粒子どうしの凝縮した高温高密度な状態があり、そこからの膨張によって現在の宇宙ができたという理論です。

ビッグバン宇宙論はいくつかの観測結果と素粒子論との合体のようなものとしてできたものですが、パースの宇宙論は19世紀後半の理論的産物ですから、そうした観測にもとづくものでも、量子論のような物理学に導かれたものでもありません。

カントの立場では、世界のさまざまな事象が法則的なかたちで生じているのは、われわれが「因果性」というカテゴリーを世界に投げ入れて、現象そのものを因果法則的なものとして構成しているからである、ということになります。しかし、この議論が使えないとしたらどうしたらよいのか━━。パースの答えは、自然界に見られる法則の成立を当の自然界全体の進化の結果と考えればよい、というものです。すでに決定論の崩壊のところで見たように、彼は「ミクロのレベルでの非常に多くの不確定的な事象が、結果としてマクロのレベルでの規則的性格を形成する」という、確率統計的な視点の創始者の1人でした。それゆえ、宇宙は無数の「偶然」の海、すなわちカオスから出発しながら、結果としてその大局構造において秩序だった「法則」の体系、コスモスとなるという考えに、自然に進むことができたのです。

ここではパースの考え方の形式的側面をかいま見るために、その「カテゴリー論」と「連続性の理論」のさわりを見てみることにしましょう。

まず、カテゴリー論の方ですが、・・・パースはフレーゲやラッセルとまったく同じように、形式論理学に出てくる基礎的な概念が、世界そのものの形式的な性質を映し出していると考えました。そして、カントでは三段論法のようなアリストテレス以来の古い論理学しか利用できなかったものを、彼は命題論理と述語論理という新しい記号体系によって置き換えることができると考えました。この考えによれば、カテゴリーとは真理を担う命題の述語となるものの種類だということになります。したがって、述語の一般的な種類さえ列挙できれば、世界のなかの事実の一般的な種類が特定できると考えられるわけです。そして、述語の種類とはその「価数(valency)」による種類のことであるとすると、述語には単項述語、2項述語、3項述語などの種類があることになります。

述語は物の「性質」や「関係」を表し、その価数は述語の形式的種類を表します。たとえば、「xが赤い」という命題に現れる「赤い」という述語は、xがもつ単項関係、つまり性質を表し、「xはyを愛する」というときの「愛する」という述語は、xのもつ2項関係を表し、「xはyにzを与える」というときに「与える」という述語は、xのもつ3項関係を表すわけです。そうすると、世界に存在する事物には一般的にこうした種類の区別がどれだけあるのでしょうか。いいかえれば、世界には一般的な観点からいって、何種類の関係があり、その結果として、(もっと抽象的な意味で)何種類の命題があるといえるのでしょうか。

パースはこの問いにたいして、世界には第1性(単項性)、第2性(2項性)、第3性(3項性)の3種類の形式が必要であり、かつこれで十分であるということを主張するとともに、そのための「証明」を提出しました。

ところで、この3つのカテゴリーはそもそも単なる論理的な道具立てではなくて、存在論上のエレメントを列挙したものでした。そこでこれらをより具体的なこの世界のうちなる存在者として考えてみると、それぞれ、何らかの「質」、「2つの事物の遭遇」、「それらを媒介する第3者」ということになります。いいかえると、世界の究極的な構成要素とは、確定的な事実となる以前の非限定的、偶然的、自発的な性質の現出と、何らかの作用どおしのぶつかり合い、そしてそのぶつかり合いの根拠、原因、理由となるもの、の3者です。

自然のうちなる「事実」「出来事」とはこのカテゴリー論を使うと、個々の事実が法則によって規定された仕方で生じているということになるわけですから、それはまさに、第2性としての事実が第3性による媒介のもとで生じている、ということになります。したがって、このカテゴリー論を、「カオスからコスモスへ」という先に出てきた進化論的宇宙論の基礎的なモチーフに重ねてみると、宇宙のこの進化の過程とは、第1性のみの世界から第3性に支配された第2性の世界への移行ということになります。つまり、あらゆる確定的、法則性を免れた混沌の世界から、第3性としての法則性が成長することによって、あらゆる事実が法則に従ったかたちをとって生じるような第2性となる世界への移行というのが、この宇宙全体のもっとも大規模な進展の論理である、ということになるわけです。

連続性の理論

そこで、この「移行」いいかえれば、第3性の「成長」ということが改めて問題になります。世界には3つのカテゴリーが存在するというだけでは、その進行の論理は明らかにならない、むしろ、それらのカテゴリーの存在の様態━━法則性の成長━━が明らかにならなければならないはずです。そして、この法則性の成長を説明するのが、もう1つの数学的観点である「連続性の理論」です。

パースは連続性をめぐる数学的議論が、彼の時代のカントールの理論によって決定的に前進したことを認める一方で、その議論によっては真の連続性がいまだ捉え切れていないのではないか、と考えました。カントールがはっきりさせたことは、自然数の無限性がもつ濃度(アフレ・ゼロ)と、実数の無限性がもつ濃度(アフレ、あるいは後の呼び方ではアフレ・ワン)の相違ということです。前者は可算無限の連続体であり、後者は非可算無限の連続体です。私たちの通常の理解では、たとえば直線の連続性は後者の非可算無限個の点からなる連続体であり、実数の体系に写像される。つまり、ある線が点からなる連続体として、すきまのない連続性をもつのは、それが実数と同じような濃度をもつからであると考えられるわけです。

しかし、よく考えてみると、線分を実数からなる連続体とした場合、デデキントの切断によって、切断箇所での点はどちらか一方の線分に所属することになります。しかし、それは分割された2分線の鏡像関係を破壊してしまうことを意味します。したがって、線を構成する点の連続性が実数の連続性と同種のものであると考えることは、実際には不条理なのです。

この線上の点の連続性を、線の切断や移動、重ね合わせ、連接という事実などと整合的なしかたで理解するためにはどうしたらよいのか━━。パースはこの問題の解決のために、線上のそれぞれの点を、ちょうど現代の数学において「超準解析 (non-standard analysis)」という考え方に現れる「モナド」に相当するものと考えて、それが「無限小」の距離(近傍)にある無数の「部分点」を含むものと考えました。個々のモナドが含む部分点の数はそれ自体が非可算無限個であるとされ、結果的に線上のあらゆる点を構成する要素の総和は、いかなる無限の数え上げによっても数え上げられない多数性、あるいは濃度をもつものとされます。すなわち、線上のすべての点は現実には特定できない無数の潜在的な点からなり、線という連続体とはこの潜在性の総体、潜在性の集合という特異な存在として、その連続性を保持しているというふうに考えるのです。これは簡単にいえば、真の連続体はその部分からその下位部分を無尽蔵に算出する性質をもったものだ、ということです。

何かが真に連続的であるとは、それを構成する各要素の部分の数の数え上げが、たとえ非可算無限回という極限的な回数まで繰り返して行われると想定しても、なお完結しないであろうような、そういう要素からなる連鎖であるということである。

連続性が無尽蔵の算出可能性をもつ潜在性をもつことから、すべての第3性、法則性は、それ自身がさらに進化する傾向をもつこと、さらに高次の法則性を生み出す力をもつということが導かれます。そこで、この理論を使えば、「カオスからコスモスへ」、という進化論的宇宙論のストーリーは、潜在性の連続体という混沌の世界から、さまざまな秩序ある世界、時間や空間に従い、法則に従った世界が次々と体系化していく世界が現れてくるストーリーとして語られることになるのが分かります。

多宇宙論へ

ところで、カテゴリー論の第1性や第3性を使ったこの「カオスからコスモスへ」というストーリーは、宇宙の進化のモデルとしてはもっとも粗っぽい素描にすぎないわけですが、もちろんこの理論の内実はそうした骨組み以上に、さまざまな細かい議論からできています。そして、その複雑さのなかでもとりわけ今日のわれわれの目から見て興味深く思われるのは、この宇宙論がわれわれの現実の「この宇宙」を1つの例示として考えるような、潜在的な無数の宇宙からなる「多宇宙論」の視点を備えているという点です。

多宇宙論とは、この現実の宇宙だけが唯一の宇宙ではなく、この宇宙の誕生には無数の宇宙の誕生が先行後続している、あるいは、この宇宙の誕生に平行して無数の宇宙が生まれているという考えです。

時間とこの宇宙はどのように生まれるのか

パースの考えでは、真の無限からなる連続性の世界とはいくつもの連続体を包み込む「物自体」のようなものであり、そこから有限なわれわれの時間(現象世界)が生まれてくる、ということになります。これを、先に出した「宇宙の卵」のアイデアと重ねると、無秩序で不規則で自発的な「質」の戯れの世界こそ、もっとも濃厚な可能性の連続性からなる世界であり、そこから実数によって表現できるような1つの「時間」の流れが生まれ、その時間の秩序のもとで現実の「この宇宙」が進行し、より体系的なものへと進化していく、という理屈になります。

この「時間の誕生」の有り様は、次のように述べられます。これは・・・「謎への推量」という題で書いた、未刊の形而上学論文からの引用です。

事物や実体のみならず、出来事もまた規則性によって作られる。時間の流れは、それ自身が規則性である。したがって、規則性のまったくないカオスとは、単なる不確定性の状態であり、何も存在せず、何も生じていない世界である。時間が存在する以前の、発展のこの第1段階についてのわれわれの把握は、『創世記』第1章の記述と同じくらいぼんやりとした、修辞的なものにならざるをえないであろう。この不確定性の母胎から、第1の原理によって何かが生じたのだといわなければならない。われわれはこの原理を「閃光(flash)」と呼んでもよい。そして、習慣の原理によって、第2の閃光があったのだといえる。そこにはまだ時間は存在しなかったとしても、第2の光はある意味で第1の光の後になる。というのも、それは第1のものの結果として生じたからである。そしてその後で、もっともっと互いに密接に結びついた後継者が生じ、習慣とそれを獲得する傾向とがますます自己強化していったのであろう。その結果として、諸々の出来事は1つの連続的な流れにようなものに束ねられていったのである。われわれは現在の時点でも、時間がその流れにおいて完全に連続的で斉一的であると考えるべき理由をもっているわけではない。とはいえ、原初の閃光から帰結したこの連続性の疑似的な流れ(quasi-flow)は、われわれの時間と比較したとき、次のような決定的な相違をもっている。すなわち、複数の異なった閃光からは異なった流れが始まっていて、それらの間には共時性とか先後の継起性とかの関係が成立していないかもしれないのである。したがって、1つの流れが2つの流れに分離したり、2つの流れが1つに融合するかもしれないのである。とはいえ、習慣のさらなる結果として、長期間分離していたものは不可逆的に完全に分離したものになり、しばしば共通点を示した流れはやがて完全な合一体と融合するであろう。そして、完全に分離した世界どうしは互いにまったく知ることのない数多くの異なった世界となり、最終的にわれわれの目の前には、現実に知っている世界だけが現前しているということになるのである。

1つの世界の始まりはまったくの「無」であり、空間も時間も存在しない。その無限の世界に「閃光」が走り、さらには閃光どおしの「流れ」ということが生じる。この閃光の流れにも継続性のあるものとないものがあり、多くは短期的な継起ののちに消滅する。そして、比較的長期に連なる閃光の連続も、分裂したり融合したりするが、そのなかに1つでもほとんど完全に斉一的な流れができれば、それがわれわれの経験している「時間」となるだろう━━。

右のパースの図式は、・・・ほとんど世界各地に伝えられている世界創造の神話と記述と変わりがないほど、文学的なものです。とはいえ、この世界創造の神話的記述ともいうべきものが、他方では、われわれの今日の科学的宇宙論におけるある種の世界創成のモデルと驚くほど類似していることも、また明らかではないでしょうか。たとえば、空間も時間もない無を量子論的な真空と捉えて、無の世界における「ゆらぎ」を設定し、粒子と反粒子の対生成から超ミクロな宇宙が生まれては収縮するという動きを導き、さらにはそうした超ミクロの宇宙のなかに偶然による急速な膨張、インフレーションの生起を仮定して、最終的にわれわれの観察可能な宇宙の現出を説明するような「無からの創造説」と、この議論はほとんど同じような説明形式をもっています。このことは、やはり注目せざるをえない不思議な一致だと思われます。

「時間以前」の世界

右のテキストでは時間の成立以前にも、たとえば第1の閃光と第2の閃光との間に、「ある意味で」の先後関係を考えうるとなっています。しかし、時間とは独立に考えられる先後関係とは何なのか。この問題こそ、まさしく私たちがこの補講の最初から問題にしてきたテーマです。したがって、パースのこのカントを改変した形而上学的宇宙論では、「時間以前」というこの謎めいた問題は結局どうなっているのか━━当然このことが確かめられる必要があります。

すでに述べたように、今日の「真空のゆらぎ」にもとづく観測可能な宇宙の誕生に対応するものは、パースにとっては究極的な連続性の世界からの具体的な連続体の誕生です。つまり、時間が生まれるために生じている出来事とは、究極的な連続性の世界におけるさまざまな種類の連続体の発生ということであり、もしも時間が実数的な連続体からできているとすれば、時間の誕生によるこの宇宙の現出とは、母胎である究極の連続性の世界からの、実数の体系の誕生ということを意味します。

宇宙の原初に位置する混沌たるカオス、「事実」さえ成立していない偶然的「閃光」のみからできた無秩序とは、カテゴリー論からいえば第1性としての「潜在性」の世界です。真の連続体たる潜在性の連続体とは、この第1性の海というべき世界です。これは決して現代の宇宙論における高温高密度の素粒子のスープといわれる原始の宇宙と同じものではありませんが、同じように混沌として自然法則に従う物質の単位以前、存在以前の、存在の断片の集合からできている。その意味で、それは「無」であると同時に、もっとも高濃度の集まり、エネルギーの凝縮でもあるような状態と考えられます。

無であって、しかも最高度の可能性を凝縮した世界━━これはたしかに簡単にはイメージしにくい世界ですが、もう一度カテゴリー論を使えば、恐らく次のように考えることができるでしょう。われわれにとって、日常的な経験のなかで出会われる事物のもっている「質」は、色や音その他の性質として、さまざまな確定的で個別的な具体的性質として現れています。たとえば色でいえば、赤や桃色や橙のように、複数の色からなる色のシステム、色の連続体があります。これはしかしどんなに多くの色名からなっても、それぞれの質が個別的に捉えられていて、決して真に連続的なものではありません。とはいえ、たとえば色というこの1つの性質をとっても、こうした色のシステムの背後に、その無数の色合い、鮮度、明度が真に連続的につながっていて、決して個別化や分離のできない色の連続性の世界というものをあえて想定することはできるだろうと思います。その真の連続性の世界は、色という個別の性質以前の潜在性が圧倒的に凝縮されて集合した、色としては「無」というべき光の世界と考えることができないでしょうか。つまり、私たちが感じうるもっとも微妙な質の無数の集まりがもっとも高度に密集した世界、それをすべてを生み出す「無」として考えるのです。

私たちの色の感覚の世界は、長い進化の過程で生存に適したかたちで世界を知覚するために身に構えるようになった、1つの質のシステムです。それは長い進化の過程を通じて獲得されたために、一見生得的とも思われるのですが、このわれわれの質的な知覚能力を、もう一度もっとも原始的な生命の感受性の世界へと戻してみるということができるかもしれません。同じように、時間とはわれわれが外的な世界の変化━━もろもろの事物の運動や成長、結合や分離等々━━を把握し、そこに意味を見出すために必要となる数学的道具としての、実数の世界と相即的に存在しているものだといえます。

現実の「外」へと目を向ける方法

パースの考えでは、日常生活に即したこの通常の数学的思考を超えて、より根源的なカテゴリーや連続性の論理に形式的な思考をもって迫るとき、この世界がより不定形な、一切の事物の根源ともいうべき無限な質の世界から誕生した有り様も、また思考できるようになるだろうというのです。それはある意味では、現実の時間の「外」の有り様を経験の次元でかいま見させることだともいえるでしょう。

彼の哲学はこうした現実の外へと目を向ける方法のヒントを、数学の論理と感覚的な質の論理の交差する思考上のもっとも微妙な地点を指差すことで、与えようとしたものです。それは、原始の神話的思考が試みたことを形式的思考によって引き継ぎつつ、来るべき科学の向かうべき方向を示唆する作業を成し遂げようとした、きわめてアクロバティック的な試みだったと思われます。しかしそれはある意味では、カントが廃棄した哲学的思弁の可能性をわれわれがもう一度取り戻すために、あえて冒さるざるをえない危険を引きうけた、勇気ある試みでもあったのです。私たちはここに、科学と協働して進もうとする現代の哲学という思考作業の、1つの特徴あるありかたをはっきりと確かめることができると思うのです。

世界は無から生まれた有限なものか、それとも永久の彼方から続いているものなのか━━。カントは宇宙の寿命が有限でもなければ無限でもないと答えることで、この人類の永遠の謎に1つのピリオドを打ちました。しかしこのピリオドは、決して最終的なピリオドではなかったようです。パースはむしろ、宇宙は(現実的には)有限であるが、同時に(潜在的には)無限でもある、というかたちで、カントの解答を裏返しにする方法を開拓しました。そして、現代のビッグバン宇宙論は今のところこのパースのモデルを踏襲して、多宇宙論の途を進んでいるように見えます。

解説 新しい自然科学は未解決問題に挑めるか 野村泰紀

第4回と5回の講義では、時空というものをめぐって過去の偉人たちの哲学的な思考が紹介されています。この時空というのは、量子重力理論という私自身が物理学者として専門の対象にしているものでもあるので、ここで少し補足的な解説を加えてみる意味もあるかと思います。

著者自身も「このような近代哲学の代表としてのカント哲学の結論には、ビッグバン宇宙論の構築を目指す今日のわれわれの目からみると、明らかに誤っていたと認めざるをえない面があります」と書いているように、近代哲学の代表者であるカントの時空に対する態度は、現在的観点からすると硬直したもののように思えます。彼の思考は、科学的な知識の構成のための形式的な条件はユークリッドの幾何学と結びついた時空形式以外にはありえない、もっと言うと人間はニュートン力学という固定的なパラダイムの枠内でさまざまな個別的研究にはげむべきであるといったもののようですが、以後の物理学の発展はこの考えから大きく逸脱した方向に向かって進むことになりました。

実際20世紀以降の物理学は、固定化された時空のなかで物体の力学を考えるというよりは、むしろ時空そのものの理解を深めることによって発展してきました。1905年には有名なアインシュタインの特殊相対性理論により、空間と時間はデカルトやニュートンが考えていたような独立したものではなく、お互いに「混ざりあう」ことができるものだということが明らかにされます。具体的には、ある(私たちからすると)極端な条件の下では、ある人からみた時間というものが別の人にとっては空間となる(またはその逆)という不思議なことが起こり得ることが示されました。

また同じアインシュタインによって1916年に完成された一般相対性理論では、時空というのは我々が通常言うところの物質があるかどうかなどとは関係なく、それ自体が物理的な意味を持っていることも明らかにされました。たとえば、もしも物質が全くなかったとしても、時空自体がエネルギーを持つということが可能だったり、さらには時空は「曲がったり、丸まったり、波打ったり」することができ、力学の対象になるということも示されました。

そして現在では、時空というものもより基本的な自由度から「創発」されるものだということが明らかになってきています。具体的には、私たちの住む世界は量子力学的な状態で表されますが、時空というのはそれを構成する自由度の間の、量子のもつれと言われる特定の関係を分かりやすく記述したものにすぎないということが分かってきています。すなわち、時空というのは近代の哲学者たちが考えていたような科学的思考に不可欠なものではなく、ある意味で2次的な概念ということです。実際に、時空という概念が存在しない世界は考えることができますし、そのような世界も存在するだろうと考えられます。少なくとも、そういった世界を数学的に記述することは何の問題もありません。

また、3回にわたる補講では、時間が有限か無限かというテーマに絞って古代から近代にいたる哲学が解説されています。この時空の有限、無限性(より現代的には、我々の世界を構成する時空等を記述するために物理的に必要とされる量子的自由度の数の有限、無限性)というテーマは、大変興味をそそられる議論になっています(ちなみに時間とは物理的実体の相関を記述するものにすぎないとする現代物理学の知見によれば、時間的有限/無限と空間的有限/無限には本質的な違いはありません)。

ここで・・・理論物理学者として一言付け加えておくと、現代の量子重力理論では、無限自由度系は(たとえば反ドシッター空間の量子重力理論と非重力の共形場理論の対応などにより)数学的に厳密に定義することが可能だが、有限の系の定式化にはまだ謎が多いという状況だということをお知らせしておこうかと思います。